ロレッタブログ

マリリン / グロリア・スタイネム ジョージ・バリス - 2012.04.14

お客様からいろいろと質問を受けるのですが、やはりマリリンのイメージは派手でちゃらちゃらしたイメージしか抱いていない人が多かったようですね。
これを機に、彼女を知ってみたい人にはお薦めの一冊。
彼女が亡くなる1962年8月4日の直前、6月1日~7月12日の間に数回にわたって行われた写真撮影とインタビューです。
かんばらさんは、たしか中学生か高校生の頃にこの本と出合いました。
マリリン / グロリア・スタイネム ジョージ・バリス / 草思社

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グロリア・スタイネムは、日本では「知っている人」と「全く知らない人」とが極端にわかれると思いますが、アメリカでもっとも影響力のある女性の一人と言わるフェミニスト。
「ウーマンリブの人って、強くて怖くておっかなさそう」と漠然とした印象を抱く人は少なくないと思うですが、こんな風に評されるほどアメリカでは非常に有名な女性です。

・メンズヘルス.comが行ったアンケートで、ジェニファー・アニストンが「史上最もホットな女性」に選ばれた。ジェニファーは、マリリン・モンロー、マドンナ、アンジェリーナ・ジョリーも抜いて1位に選ばれたが、自分が選ぶとしたら、フェミニズムの活動家として知られるグロリア・スタイネムになると彼女は語る。「わたしの中ではブリジット・バルドーとグロリア・スタイネムが引き分けね。どうしても選べと言われたら、グロリアかな。彼女はすべてを兼ね備えていて、それがとてもセクシーだと思う。
・先日、ストレスと疲労で緊急入院したデミ・ムーアに代わって、サラ・ジェシカ・パーカーが映画『ラブレース(原題)/ Lovelace』で、女性活動家のグロリア・スタイネム役を演じることになった。
降板直後はクロエ・セヴィニーやメアリー・ルイーズ・パーカーが代役にキャスティングされたと報じられたが、サラに決まったと監督のジェフリー・フリードマンとロブ・エプスタインはエンターテインメント・ウィークリー誌に明かしている。サラは1月30日から撮影をスタートさせるとのこと。
・・・グロリア役がサラですかー。デミのほうがまだリアルだったかも?
リンダ・ラヴレースは、有名になった後にプレイボーイ・マガジンでヌードを披露しているらしいので、雑誌と高級クラブ「プレイボーイ・クラブ」の設立者ヒュー・ヘフナー、そしてその「プレイボーイ・クラブ」のバニーに自ら応募しバニーガールの舞台裏や劣悪な労働環境を潜入取材したグロリア・スタイネムも出番、というところでしょうか?
写真をさがしてみたのですが、たぶんこれが潜入取材中のグロリア。(かわいい)

いまでも気品ある横顔がとてもうつくしいですね。

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「彼女がスターになるころには、この人工的につくられたマリリン・モンローというひとりの女は、おそろしく完璧で、また十分に練習もかさねられていたので、彼女は一瞬のうちにマリリンになったり、マリリンをやめたりすることができた。
俳優のイーラー・ウォラックは、誰にも気づかれずに道を歩いていた彼女が、突然、彼女独特のあの有名な身のこなしを見せて、道行く人々を振り返らせることができたことをおぼえている多くの同僚の一人だった。
『急にちょっとマリリンになってみたくなっただけ』と彼女は説明するのだった。」
「ハリウッドでは、女の子の貞節など、彼女の髪型ほどの価値もないのです。あなたは自分の中身によってではなく、単に外見だけで判断させるのです。
ハリウッドは、ひとつのキスのためにはなたに1000ドル支払い、あなたの魂には50セントしか支払わぬところです。私はよく知っています。
なぜなら私は最初の方の申し出をずいぶん断り、50セントのほうに手を差しのべたのですから。」
「彼女は自分のことを、『なんの価値もない、つまらない人間』であると感じていたと、彼女の最後の精神科医であったラルフ・グリーンソン博士は説明している。
『彼女が自分の人生になんらかの安定と重要性をもたらすためにもちいた最大のメカニズムは、彼女の肉体の魅力であった』」
「彼女は乳房の筋肉の張りを維持するためにブラジャーをしたまま眠り、また愛の行為を終えるとすぐにまたブラジャーをつけるのだと、彼女は女友達のひとりに語っていた。
彼女はよく約束の時間に遅れたが、それは彼女がそのつどメイクをもういちど新しくやり直し、神経質なほど自分をすべて完璧に見せたいという気持ちから、髪を洗い、セットを1日に何度もくり返すということさえしたためである。
彼女は、身支度に取り掛からなければならない時間はとっくに過ぎているというのに、芳しい香りをはなつ熱いお風呂のなかに、いつまでもからだをつけていた。
彼女が書いているように、『ときには私のしていることの真実が、自分にはよくわかります。バスタブのなかにいるのはマリリン・モンローではなくて、ノーマ・ジーンなのです・・・彼女は、自分の前に六人から八人の他の人たちが入ったお風呂に入らなければなりませんでした・・・ノーマは、本当の香水の香りのするきれいなお風呂のお湯の中に、どんなに長くからだをつけていても、それでもまだ物足りないような気がしてしかたがなかったのです』
~中略~
晩年近くには、ある友人によると、マリリンは老いを遅らせるためにホルモン注射をしてもらっていたらしい。
そしてつねに彼女のまわりには、おびただしい数の錠剤があふれていた。
あるものは眠るため、他のものは、最初のを飲んでぼうっとなっている彼女の目を覚ますため、さらに多くのものは神経を鎮めるため、そしてさらにそれより多くのものは睡眠不足が続いて朦朧としてきた彼女の意識をはっきりさせるためにものであった。
晩年近くになると、彼女はこれらと同じ処方薬を、その効果を早め、もしくは高めるために自分で注射していた。
~中略~
この彼女の薬に対する依存性は、多くの映画会社のお偉方や医師たちによってはぐくまれ、推奨されたともいえるのだ。
1950年代と60年代はじめのハリウッドでは、高価なタレントを能率よく働かせる方法として薬を用いるのは、ごく日常的なことだったのである。もし俳優や女優たちが薬なしでは仕事をすることができないと感じれいたら、彼らには多くの場合、その薬が与えられたし、もしくは常用することを積極的にすすめられる場合さえあった。」
「モナコのレイニエ王子が王位に即くために妻を探していた時、アリストテレス・オナシスは、もし新しい王女が華麗で、さらに有名であったなら、モナコの衰退した観光事業も活力を取り戻すかもしれないと考えた。
マリリンは友人として心からその婚約を祝ってグレイス・ケリーに電話をした。
『この商売から足を洗う方法がみつかって、本当によかったわね』」
「有名になってみると、かなり露骨に人間の本性のようなものに出くわします・・・人々のファンタジーの対象であるのはいいのですが、やはり本当の自分の能力や存在も認めて欲しいと思うのです。」
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そして、これがまさに生前最後の写真。

未完におわった最後の映画「女房は生きていた`something got to give`」について、ドキュメンタリー映像がありました。
とても死の直前とは思えない神々しく美しい姿から始まり、デビュー当時の初々しい姿にさかのぼり、彼女のキャリアと人生をたどります。
このブルネットの女の子が、

こんなに美しくなるまで。