ロレッタブログ

美人ならいいというものでもない。 - 2017.10.24

結局、人は顔がすべて/竹内一郎/朝日新書

『昭和を代表する演劇評論家に戸板康二がいる。女優の表も裏も知りぬいた芝居の通である。彼はこう言っている。
「子供の時分から身辺に見て来た中で、「あの子は美しい」といわれて育った娘で、幸福に恵まれた女性よりも、逆の運命をたどった女性の方が、どうも多いような気がする」
「大体、美しい美しいといわれて、娘が大人になるというのは、決して幸福なことではないというのが、ぼくの意見だ」
「(美人の)十人のうち半分以上は、自然に思い上がる気持ちになり、自分よりも容姿の劣る同性に対して優越感を持ち、長じては男性は自分に奉仕してくれるものと思い込んでしまう傾きがある」
「美しい女優で、ことに目立つのは、わがままなことである。傲慢なのもいる。周囲へのいたわりが欠ける」
私も四十年間、演劇界にいるが、戸板康二と同意見である。すべての演劇人は、そう心得ているはずである。おそらく世界中の演劇人が――――――。

女優を一人も知らない人でも、人生を四十年ぐらい生きていれば、同じ意見になるはずだ。ちやほやされるうちに天狗になり、思い上がって、すっかり周囲の反感を買っている女性の一人や二人は思い当たるだろう。

演出家やプロデューサーの統計数字は存在しないが、美人で芝居ができて、なおかつ性格のいい女優は、1%もいないと言っていいだろう。美人だと芝居ができなくても、それなりに役があるから、演技の勉強をしない。当然、芝居はうまくならない。
次に美人で芝居ができると、ちやほやする人も多いし、仕事のオファーがたくさんくるから、必ずと言っていいほど傲慢、わがままになる。結局、みんなに嫌われる。ということは――――――。美人ならいいというものでもない。難しいでしょう?』