ロレッタブログ

結婚して10年、妻に「NO」と言われ続けた夫は - 2018.02.20

先日のエントリーにひきつづき、男女ネタ。このCM作った人、おそらく99%の確率で男の人ですよね。

「奥さんにはいつも笑っていてほしい」と願う男性心理をめっちゃあらわしてますねー。
基本的にうちのお客様はここまで怒鳴りちらすCMとは違い、おそらく旦那様や恋人を大事にしている人が多数ですが、友人知人の話を聞いていると目を覆いたくなるような酷い扱いをされていることも。そういう事例は本当に気の毒におもいますね。(まあ、それはそれで自分をないがしろにする扱いを許しているのだから夫婦は鏡像であり同質とも思うが)

■私がこのCMを作ったのは男性の可能性が非常に高いと思った3つの理由
(1)ここまで余裕をなくしている奥さんなら、旦那さんが家計から黙ってお金を引き出して車を買ってきた暁には「なんで相談もせずそんな買い物するのよ!!勝手に使わないでよ!」と火に油を注ぐ可能性が高いが、そうなっていない。CMだから無理もないけど。

(2)奥さんの不満は常日頃からの積み重ねで、着実にマイナスポイントが1つずつたまっている。しかしそれに対して男性は、記念日に高額なプレゼント、家買う、車買う等の豪華だったり変わったことをやれば「これで今までのマイナスポイントは一気に挽回できたはず!」と思いがち。しかし女性に言わせれば「そこじゃないだろ。プレゼントも家も車も普段の手伝いも、全てが等しく1ポイントなんだよ。たまに何かやったぐらいで許されたと思うな」となるんじゃないか。

(3)男がサプライズ好きだから。「普段ふがいない自分のせいで奥さんが不機嫌。喜んでもらいたいから特別なギフトを」という場合もあるだろうけど、サプライズプレゼントとは本来とても独りよがりな性質のもの。「これをしたらきっと喜んでくれるはず。いや喜ばないはずがない」という価値観の押し付けの表れ。これを既に亀裂が相当進行した仲にさらに加えているところが男性ぽい。記念日だからサプライズという発想をする人は「相手が好き」というよりも「そんなことをしてあげられちゃう俺」がもっと好きだったりする。相手にとってもしかすると大して欲しくもないものをもらってしまった場合(たとえば(1)や(2)のように)いたたまれないであろう、気まずい思いをさせてしまうかもしれない、という可能性にはかけらほども想像を巡らせていない。これで仲が修復できる程度の亀裂なら、高価なプレゼントや記念日にわざわざ頼らなくても、普段からいくらでも修復の余地はあったんじゃないかと思う。その「手間」を「手抜き」しちゃいかんよ。

仕事柄女性の言い分をよく聞くので、現実的に考えるとおそらくこの3つが女性からのツッコミどころになるんじゃないかと思いました。(苦笑)

『あの頃も君はNOといった』とあるけれど、お付き合いしているときにプレゼントやおごってくれるのは男性の財布からの出費だから大歓迎。でも夫婦になったら男性がプレゼントしてくれようとする出費=うちの(私の)お金が減ることになる。だから「いらない」と返す女性もおそらくいるかな?これだと行動と反応に一貫性がないので男性は戸惑いそう。

あともう1つ、すっごく気になったのは、沢山の女性を観察しているとよーくわかるので、厳しい事実ですが、あえて指摘すると、小さな花束に喜べない女性は、車に一気に大喜びなんてもっとできないと思うんですよ。実際、この動画の奥さんもそうなってますよね。旦那さんの提案に、ことごとく「NO」出してますよね。これ、すっっっごくリアルですよね。

推測するに、それまでの恋愛経験で色々あったんでしょうが、「そんなことをしてもらえるほど価値がある私じゃない」的な「NO」だと自己肯定感が低すぎる。あとは常日頃から「NO」ばかりを口にしているので、もはや反射的に口から出るのが全て「NO」しかない、とかもあるかな。ほかに「NO」しか言えない女性のパターンとしては、「素直に喜ぶと男に媚びてるみたい。あたしそんな女じゃないから」とか「こんなことで喜んだら簡単な女扱いされそうで嫌」という自分を高売りしたいタイプもあるかな。ちょっとめんどくさい女のパターンですね。

いずれにしても、物の大小や値段云々を踏まえての「喜ぶ」or「喜ばない」ではなくて、もっと根源的な部分の問題。自分のことを思ってしてくれた相手の気持ちが嬉しくて、それに喜び感謝するという素直さを失くしてしまっているのが惜しい。

抱え込みすぎている人って、心に余裕がないから他人へのジャッジも厳しくなりやすい。だけど誰だって仕事でも家事でも最初からパーフェクトにできるはずがなくて、自分も振り返ってみればつたない時代があったはずなんですよ。良かれと思って手伝おうとして拒否され続けたら、さすがに誰だって自信を失うし、途方に暮れるとも思う。これって部下の育成指導と同じことなんですよね。「あの人に任せてもどうせ失敗するだろうから、自分がやったほうが早い」と抱え込み続けていると、効率は落ちるか回らなくなるかのどちらか。まずは失敗してもいいいから部下にやらせてみる→ベテランとしてサポートする→部下のスキルが上がる→より良いチームワークが実現→頼れる人がいるから自分も楽になる、を目指したいですよね。

ただし、真面目な人ほど自分が我慢して事態が良くなるなら・・・と自分を抑えてHELPを出せないまま抱え込みやすい、というのもあるかなー。一見世間的には「いい人」「献身的な人」タイプね。こうあるべきと世間が求めるような理想像を反射的に演じてしまうタイプというか。最初は「尽くす私」的なのを演じるのも、目新しいエンタメかレジャーみたいに自分でも楽しみながらできていたかもしれないのだけど、人生100年の時代にこういう無理をずっと続けるとひそかに相手に不満を積み立てることになり、「どうして私ばっかり」的な恨みつらみに発展しやすいです。

数十年というスパンの共同生活において、本意ではない我慢・忍耐・辛抱という譲歩を続けるのは、やっぱりいずれ無理がきて破綻する。だったら、本当に自分ができないときは「できない」でとおしていいんですよ。「相手を大事にすること=自分が犠牲になること」ではないから。そこまでの無理をしてまで、相手に合わせなくてもいいんです。それがお互い様ということだと思う。前はできたけど、今はもうできない、でもいいしね。いくらでも変更可能ですよ、環境もお互いの状態も日々かわるのだから。一回決めたら必ずやりとおすじゃなくて、話し合っていくらでも変えていい。相手のために自分がいるんじゃなくて、相手と自分それぞれのための生活なんだから。

あとね、頼るということは、そもそも相手を信頼していないとできない。誰にも頼れないというのは、当人が誰のことも信用していない証拠。だらしなかったり他力本願なのは論外だし「相手に媚を売ればどうにかなる」ということでもない。でも「いい加減」にするぐらいは良いんですよ。いい加減は「良い加減」。つまり程よい加減のことだから。それは、決して悪いことでも間違いでもないです。そのぐらいのことは、自分に許してあげてもいいとおもう。自分がやるクオリティに並ばなくても、頼った相手が「いい加減」でできていたら「NO」じゃなくて「YES」「OK」としてもいいんじゃないかなって、思いますね。お互いにね。

それを許さないような人とは、別れてしまってもいいと思う。自分を殺さないといられないような相手と終生共に生きるべき理由なんて無いからね。

続きは明日。