ロレッタブログ

整体入門 - 2018.05.10

入院中に読んだ野口晴哉先生の整体入門。実は何年も前にも読んでいるのだけど、いまだに体癖論や整体体操はわかるところもあり、理解が難しいところもあり。まだまだ咀嚼中。名越先生の性格分類ってこれにヒントを得たものだったような気が。植島先生とは、野口晴哉先生の息子さんであり植島先生のご友人である野口裕之先生の身体教育研究所の講話に一緒に行こうって話がでてたっきりなので、ぜひこれ実現しないとね!

それにしても、この本を読むと体や人間をずーっと定点観測してきた方々は皆同じことを語るというのがよーくわかる。
以下、野口先生の「整体入門」より。

病気になった時など、他人の知識や後援を当てにして、こういう力(火事場の馬鹿力のような平素の生活ではとり出せない力)を発揮しないで不平ばかりいっているようなことはおかしい。持っている自分の力を自覚しないで助けを求め、自分の体のことは自分の力を発揮して処すべきことだと思わず、自分の大便を他人に気張ってもらって出すつもりでいるから、体の中に勢いが起こらない。」

体力がないようなことをいうが、そうではない。頼ることやすがることばかりを考え、他人の力を当てにしているから、自分の力が働かないのである。持っている力が潜在したままで役に立たない。も少し困れば力がだせるかもしれないのに、庇ったり、守ったり、力を貸すことしか考えない周囲の人は、他人の排便を気張っていることに気づかねばなりません。その人は親切な行為と思っていても、他人の体の中に起こる勢いを消しているかもしれないのです。」

「そんな簡単なことが今の衛生観念からは忘れられているのです。だから、だんだんよくなってくると病気の治るのが惜しくて、未練症状を起こしている人がたくさんおります。また病気になりはしないか、今度重くなったらどうしよう、というように、病気が治ってもそんなことを心配しているのは、未練症状と言うのです。
未練症状が起こってくると、そういう気の動きで、また外路運動系が乱される。意識ではなく潜在意識の中に起こる未練症状で、体の運動が乱される。だから片方で丈夫になろうとしながら、体を壊すことをしているというようなことになっていく。いずれにしても衛生という面では、活元運動によって外路運動系を訓練して、どんな小さな要求にでも応えて動けるような状態にしておかなければ、健康を保つということは難しい」

「よく、健康にしてもらいたい、という人がおりますけれども、健康というものは自分で産んでいかなくてはならない。人からもらうものではない。自分で運動を調節し自分を作っていく。自分の生活の反映が今の健康なのです。自分の体の使い方の結果が今の健康である。異常なら自分の使い方の結果が異常なのです。だから異常をおこしてそれを治そうとするなら、体の使い方を改めなくてはならない。使い方を改めるのは頭で考えてもわからない面があるが、人間の体には意識しないでバランスをとる欲求があります。ご飯を食べるにしても、体に必要な時はうまいし、必要のないときはうまくない。働くにしても、エネルギーの調節が必要な時は心地よい、余分になると疲れる。」

「整体入門を出版しましたら、読んだ人が抵抗とか感じましたのは、自分で自分の体を正すとか、自分の体は自分で管理せよということに対することでした。多くの人は長い間、病気は他人に治してもらうもの、自分の体の管理は専門家に任せる者という考えに慣らされてきたからでしょう。」

「内臓をいくら検査しても、今自分が何を食べたいか、どんなことをしようと考えているかは他人には判りません。脈の乱れは判っても、それが失恋のためか株が下がったためか、隣の奥さんが新しい着物を着たためか分かりません。顔に、他人に見えないしみができたために陰鬱になっていた人もありました。自分の感じの中を確かめ、体の調子を知ることが管理の最初の問題なのだから、他人より自分が主役であるべきです。