ロレッタブログ

外反母趾手術に備えて勉強した理由 その1 - 2018.05.23

突発的な事故災害で負傷したことによるオペだったら予め勉強して臨むどころではない。でも私の場合は、将来5年後か10年後かわからないけれど、外反母趾で外科手術が必要になる可能性は非常に高い、という状態でした。

年単位で準備ができるのは利点ですよね。だって、オペと聞いて「やだーこわいー」ってぼやいて無為に何年も過ごすのって、生産性がもう絶望的に低すぎてもったいないじゃないですか。漠然とした不安や恐れは知らないことが原因なんだから、しっかりとした医学的な知識を得ることができれば安心につなげられるはず。自分の時間とエネルギーの割きどころが肝腎。せっかく新しいことが学べるチャンスを活かさないでどうする!

ただしインターネットが発達したおかげで素人も情報取集しやすくなった反面、玉石混交の中から価値ある玉を見つけづらくなっている。このブログも含めて、個人ブログやだれかの経験談って、しょせんその人のケースと見解でしかなくて、それが自分にも100%適用できるとは限らないわけ。

例えば私は知人から「おばさんが数十年前に手術したことがあるけど、外反母趾が元に戻ったって言ってた。もうあんな痛い手術は絶対に嫌だって言ってた」的な話をされたんですが、私が会ったことも話したことも、まして術前術後の足を見たことも無い人の、しかも口づての大昔の体験談が「玉」かというと否なんですよ。あてになるかと言うと、むしろあてにすべきではない情報。見つけ出したい「玉」は信頼性の高い最新情報でしょう。


私がとことん調べる理由は、自分が受ける治療を腑に落ちるまで理解したいから。主治医にケチつけるためではありません。
自分の身体や健康を病院に丸投げするのではなく、自分でも知識や共通言語をある程度獲得する努力をして治療に向き合わないと、本当の意味で自分を治すことはできないと強く思うからです。

これは私の意見ですけどね、患者が「難しいことは判りません。でもお金は出すから治してください」なんて無知蒙昧かつ自堕落な態度で来られても、おそらく先生も困るんじゃないかと思うんですよ。もちろん、それでも先生もお仕事だからやってはくれるだろうけど、人って自分に都合のよい説明しか覚えていないので、大抵こういう人は理不尽なクレームを言い始めるのがオチだと思う。私も業種は違えど同じ「手に職」の人間として、こちらの説明を理解しようともしないぞんざいな人は残念に思います。誰でもウェルカムってわけじゃない。自分の頭で考えていれば質問したいことが出てきて当然なんですよ。質問すら浮かばないということは、普段から何も考えていないか(思考停止)、理解する気が無いか(自己責任の放棄)のどちらかです。

だからいつも私はメールに書いたり、サロンでもお伝えしていますよね。「どんな小さなことも遠慮なくご質問ください。質問は大歓迎でお待ちしております」と。サロンの予約枠が施術前後の時間を長めに確保しているのは、そうしたご質問をいただいたときにとことんお答えしたいからです。あと、いろいろな困り事やストレスを話すことで軽減したい人も多くいらっしゃるしね。プライベートのしがらみに全く関係の無い場所で言いたいこと言いっぱなしにできるの、精神衛生上とても大事だと思うので。

話戻って。
じゃあぞんざいではなく「先生どうかよろしくお願いします」と深々丁寧にとにかく頭を下げればOKかというと、それもちょっと違うと思うんですよ。いわゆる「世渡り術」としてやっているのだろうけど、これってすごく中途半端な世渡り術なんですよ。理解努力を放棄しているという点ではぞんざいで怠惰な人と同類で、その表出がぞんざいか丁寧かの違いでしかない。どちらもその本音は「自己判断して責任を取るのは嫌」です。

では、私がまずやらないことは何か?続きは明日。