ロレッタブログ

痩身コースはありません<続き1> - 2018.09.16

昨日のお話の続き。

多くの人は、目新しいことに飛びつきはするものの、いつも同じところでくじけて投げ出します。
早く諦めればよいものにしがみつき、とことんやっていないのに諦めるのが早すぎる。
諦めてしまうほうがよっぽどもったいないのにね。

この不毛なPDCAを繰り返す原因は、当人の3つの思考パターンです。

(1)理屈こねすぎ
いちいち理屈や頭を使いすぎるから続かない!!つべこべ言わずに実行あるのみ。
ただでさえこの年齢までやってこなかったのだから、理屈をこねて時間をこれ以上無駄にするのは無為というよりほかない。
忙しい人ほど意志や理屈の力に頼らず、食事の選択とトレーニングの仕組みは「習慣につなげるための自動化」をしたほうがいい。コンビニを利用しなければならない時に備えて予め買う定番品目は決めておく、毎週月・水・金はジム、3駅までは歩く、階段は±4Fは歩く、ランチ後と夕食後はウォーキングなど、毎日こまめに動く自動化。自動化の提案はサロンでどんどんご相談ください。頭を使わなくてよい方向にもっていけばいい。
コツは、言い訳ができないぐらい超ハードルの低いことから始めること。スクワット1日1回ならできるでしょ?

(2)素直さの欠如
悲しいことに年を重ねると、全ては自分のせいと認めて己を変える努力、というのがなかなかできなくなります・・・。
「私が変わらないのは周りのせい」という責任転嫁。「だって」「でも」「周りが」「仕事が」「主人が」「子供が」「時間が」「お金が貯まったら」「ゆとりができたら」・・・と「できない」「続かない」「悪習慣をやめられない」のは「すべて自分のせいじゃない」と、言い訳を連ねる能力に長けてしまうんですね。

そうした弱さは誰もが内包しているものだし、現状が酷ければひどいほど責任転嫁して逃げ出したくなるのは無理もないとは思う。人生山あり谷ありだから、メンタルが落ちている時期ほどそういう考えに囚われやすいのもわかります。

けどね、そんな状態のメンタルって、わがままで世間知らずの子どもがダダこねてるのと同じなんです。「言えばどうにかなるはず。だって誰かがどうにかしてくれるはずだから。私はなにも悪くない!」という幼児性の極み。つまりエゴの塊。
数十年生きてきた一人の人間のオチが果たしてそれでいいのかどうか。ひとりの大人として美しいありかたであり、好ましいか否かというと、美しくもなければ好ましくもなく、潔くもありません。

断言しますが、お金があっても、ゆとりがあっても、子供に手がかからなくなっても、やらない人はやりません。
むしろ、お金があると緊張感がなくなりやすいので、「別の方法にお金を費やせばどうにかなる」と考えがちです。したがって、懲りずに失敗を繰り返しやすい。次に進むという行為が「失敗を経た学習=改善」ではなく「ただの気晴らしと責任転嫁」になっていて、次々に目新しいことに飛びついているだけなので、何年経っても身体は大して変わっていないことが多い。

逼迫感が作用しづらいその他のケースとしては、実家暮らしで生活費はほとんど払っていないとか、親がいつまでもお金を出してくれているとか、生活費は全て旦那さんの給料で自分の稼ぎはほぼ自分の小遣いで好きなように使えるというパターンも、生活や人生がまるでずっと安泰のように錯覚してしまうのか時が止まったように成長を止めてしまい、なかなかそこから抜けられない、変わりづらい方が非常に多いですね。現実には将来の介護の担い役を期待される役回りなので、体力と筋力維持は最重要課題だったりするんですけどね。

むしろ経済的に少し痛みを伴うほどの出費や時間を費やすと「無駄にするもんか!」というメンタルの押しが働くことが多いです。パワープレート購入者はそういう方が多いかも?将来を描ける家族円満な方か、自律&自立を心掛けていてかつ将来を見据えることのできる賢い独身者ほど購入していかれます。

あとは、プライドがずたずたに傷つくくらいショックな目に合うと、逼迫感が効くようです。例えばこんな感じ。

・電車で妊婦に間違われて席を譲られる
・スリップドレスを着ていたら、ブティックの人に「ご妊娠ですか?」と言われる
・異性や彼氏、恋愛対象の人に「なんか最近太った?」「貫禄でてきたよね~」と言われる
・高齢出産で子供の参観日に同級生から「○○君のおうちはおばあちゃんが来てるの?」と言われる
・上は9号なのに下は11号になった
・衣替えしたらパンツもスカートもウエストがきつくて入らない
・くしゃみしたらウエストがはちきれた
・集合写真で「誰だろうこのオバさん」と思って、よくよく見たら自分だった

つづきは明日。