ロレッタブログ

トレーニング習慣化のコツと対策 <続き1> - 2018.12.01

昨日の続き。

(2)くじけそうになった時の対処を決めておく

新しいことを習得するときは、初期段階ほど辛くもどかしく感じられるもの。

「言われたことがわからない」
「やってみたけれど思うようにできない」

そんなの当たり前!と心得ましょう。
だって、これまで身体の事を考もえずに、動いてくれて当たり前だと思って、なーんにも意識せずに老いてきたんだから。そんな風にする生き方で、ここまできてしまったのだから。

だから「100mを9秒台で走る」のように無茶な要求でもない、生きる基本の「立つ」「歩く」「前屈」「長座」「しゃがむ」「腕上げ」「回旋」というシンプルな動作さえ、ろくにできないようになってしまったのです。自分の身体の基本操作を、わざわざインストラクターに教わらないといけなくなっているんです。変な癖がしみついていれば、ゼロどころかマイナスからスタート。

しかし私たちは都合の悪いことは人のせいにしたがるんですよね。だから「(不本意なのに、自分は悪くないのに)こんな身体になってしまったんです~」みたいについ言いがち・・・ほんとうにだらしがない。情けないですね。自分で自分が嫌になりますね。
ですがそんなになるまで衰えさせたのは自分です。全部自分のせい。そこからスタートしようともしないで、そんな他人任せの生き方で、果たしてこの先100歳までどうやって生きるのでしょうか?

数十年も自分という人格と帆走してきたら、果たして自分がどんな時に卑屈になって、自己嫌悪して、投げ出しそうになるのか、やりそうなことはもう想像がつくはず。
もっといえば「めげそうなときに自分が持ち出してきそうな言い訳のパターン」も容易に想像できますよね?(笑)しかもその言い訳は、なんだかんだと理屈をこねて、延々と並べ立てられそうな気がするものの、結局「時間がない」か「うまくできない」に集約されるんです。つまり、大したオリジナリティもバリエーションもないわけ。(笑)

強靭な意志力の無い自分、たかだかちょっとできない、わからない程度のことですぐにオロオロして投げ出しそうになる、うまくいかなければ人のせいにして被害者ぶる、そういう愚かでメンタルの折れやすい、どうしようもなく打たれ弱い甘ったれな自分。数十年生きてきて、未だにそんな有様・・・まだまだくどくどと自己嫌悪と言い訳を続けられそうな気がしますか?(笑)

だったらそれを大前提にして備えればいいんです。
誰もがそんなだらしがない自分を一人内側に飼っているのだから。

「自分はそれほどまでに弱くて愚かで馬鹿な人間なのだ」ということは、私を含めて、誰もができるだけ人生の早い段階で気づいておいた方がよい事実だと思う。
自分が万能ではないこと。欠点だらけの人間だということ。
そういう自分の弱さを認めてこそ、対策が立てられると思うんですよ。

どうせ心が折れそうになるのが常。誰かのせいにしたくなるのが常。口ぐせが「もう嫌」「疲れた」なら、チャレンジを決めた時に「私が作った身体だから、私のために、私が変える」
「たとえ時間がなくても、うまくできなくても、私は私のためにこれを続けるのだ。誰よりも私が一番私を大事にしてあげるのだ」
と予め決めてスタートすればいい。

これ、ものすごくシンプルな理屈なんですが、意外と皆さんやっていません。
すぐにあきらめる人って、挫折しそうになった場合の対策を事前に決めてないんです。
自分が「どうありたいか」も決めてない。

しかし、心が折れそうになってから無理矢理ひねり出すように下した決断なんて、まずろくなものではないのです。あきらめるのは、不安に負けたのと同じです。誰も自分の代わりにはなれないんだから。

こういうことって、プライドが高ければ高いほど、ある意味なかなかキツイ事実だと思います。
ですが、プライドと自尊心は別物。
図々しいのと勇気があるのも別物。
自信と過信も別物。
自分を尊ぶ「自尊心」と、自分を信じる「自信」は、そういう弱さや愚かさを克服してこそ得られるもののはず。
尊ぶに値する自分、信じるに値する自分も、自力で獲得していく勇気を備えた者にしか得られないと思うのですよね。

続きはあした。