ロレッタブログ

トレーニング習慣化のコツと対策 <続き2> - 2018.12.02

昨日の続き。

傍から見ていると、同じ失敗のパターンをいつになっても繰り返しているのが、心からもったいなく感じるんです。

その様子は、まるで犬が自分の尻尾をおいかけて、いつまでも同じループを辿っているかのよう。
沢山のトライ&エラーをご本人なりに楽しめているなら良いのですが、40歳、50歳、60歳という人生の後半戦になっても毎回似たようなところで挫折して、自分を責めて、繰り返しつづけるのは、そのしんどさとダメージも回を重ねるごとにより深くなるのではないかと心配になります。庇護してくれる人も次第にいなくなるので、その年齢になるまで大事に培ってきてしまったメンタルの弱さはまるでボディブローのようにじわじわと深くダメージを及ぼしてくるんですよ。

そこで踏みとどまって自分を変えられない人は「永遠の被害者」か「開き直りのやけっぱち」のどちらかに振れることが多いかな。その表出は「ひがみ」や「自己嫌悪」に変容しがちなので、傍目にも決して幸せそうだったり楽しそうではなくなるんですけどね。本当にもったいないと思います。

しかしひとたび冷静に考えれば、ただでさえ忙しい毎日から時間と費用を捻出したものであればあるほど、いつまでも同じ失敗と挫折を繰り返し、同じように凹むのが、そもそももったないないですよね?だって、頑張ろう、よくなろう、やり遂げようと思って始めたはずなんだから。

もしここに書かれたことが胸に刺さるなら、それは図星だからかもしれません
ご本人も今さらここまで言われなくても、心の底ではもう重々判っているはずかもしれませんが、それでも重くなりすぎたお尻には、なかなか火がつかないんですね・・・。

最も変えるべきなのは、他人任せの思考回路。
同じところで躓いて同じように自分を責める繰り返しは、まるで自分の傷口に塩を塗り続けるようなもの。そんな自分に飽き飽きして、いいかげんしんどくて、それでもやっぱり少しでもより良い自分でありたいと心から願うなら、そんな思考回路とは決別しどきというサインかも。

いきなり完成形の自分は手に入らないのです。
せっかく生きるなら失敗の原因にある思考回路を変えて、その傷もより強く健やかに再生できたほうが、よほど美しいありかたではないでしょうか。
今さら他の誰かにはなれないのだから、いいと思えるに値する自分は、自分で育めば良いのです。

私がピラティスのセッションに通うようになった理由は沢山ありますが、先生に自分の身体を丸投げして、スタイルよく変えてもらおうとか、疲れない身体にしてもらおうなんて、さらさら思いませんでした。だってそれは、自分自身の課題だから。
心身のコンディショニングと自分の動きの弱いところに気づく機会が私にとってのピラティスであり、弱いところに刺激を集中的に与えて目覚めさせる機会がピラティスでした。
ピラティスは「日々頑張って働いてくれている自分の身体のために、少しの時間を割いてでも、ぜひしてあげたいこと」でした。

スタジオにいる時間だけでどうにかしようなんて、そんな都合のいい話はありません。
主役は自分です。毎日自分で動かしてなんぼが基本。
あくまでも先生はサポート役であり、導き手であり、刺激剤。

そんなに困難な運動ではないはずのに、言われたとおりに動けない。
イメージどおりに動かせない。
気持ちの上ではまだ若いつもりなのに、思うように動かない身体。
もどかしい。
自意識と現実の身体の乖離に愕然とする。
ショックを受ける。
焦る。
悔しい。
情けない。

そういうもどかしさに耐えられないほどメンタルが弱くなった原因は、かなりの間「真の未知へのチャレンジ」といえることをしてこなかったからかもしれません。
チャレンジしなければ失敗もないので、メンタルはどんどん弱って幼稚になります。
誰かに頼めばどうにかなってきたのかもしれない。
便利に流されすぎていたのかもしれない。
勝手の分かる範囲のことしか、やってこなかったのかもしれない。
この調子でこの先もやっていけないこともない・・・という微妙な安定が続くと勘違いしていたのかもしれない。

だったら、いまこそ怠惰に流されていた自分を省みるチャンス。
そんな状態になってしまうまで、自分の身体を放置してきたのもまた自分です。
病気や身体の怪我をしてからようやく初めて焦る人も多いですが、本当は動くうちから取り組まないと遅いです。

くじけそうな時こそがチャンスです。
せっかく躓いたなら、そんな風に扱ってきたのにそれでも日々最低限働いてくれている身体に感謝して、労わり、もう一度ここから自分のベストと思える状態まで育み直すことを自分に誓う絶好の機会に、進化させてあげましょうね。
誰のためでもなく、自分のためにね。