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【柴門ふみの人生相談】50歳を過ぎて容姿の衰えを痛感 受け入れられるのはいつ - 2019.03.17


・質問
容姿の衰えを実感して、寂しい気持ちになることがあります。
50歳を過ぎたころから、変化を感じるようになりました。朝、歯を磨くとき、トイレで手を洗うときに、鏡に映る顔を見ると、頬のしみが濃くなってきたなとか、だんだんまぶたが垂れ下がってきたなとか、衰えたところについ目がいきます。肌のつやも昔とは大違い。
 先日は夫が私の丸くなった背中をまじまじ見つめ、むぎゅっとお肉をつまんできました。体のラインが崩れてきていることを、さりげなく指摘されたような気持ちになり、もの悲しくなりました。

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→●【柴門ふみの人生相談】50歳を過ぎて容姿の衰えを痛感 受け入れられるのはいつ

美容整形との距離感、ファッションや髪形、肌や髪の質の大切さはまさに柴門さんの言うとおり!50代になると、それまでの数十年間の日々のダメージをいかにコツコツ地道に回復させてきたか否かが、精神面でも外見の表面でも健康面でも露わになります。

焼け石に水のような目先の少々の努力はもう意味が無くて(もちろんそれでも無いよりはましなのですが)、加齢に対して目を背けて来たか、気にしないふりをしてきたか、何かあると焦ってあがいてきたが続かなかったか、できることを着実に続けてきたか、つまり加齢に対して策を講じて実践してきたか否かの差が、各々で驚くほど出てきます。

ちなみにこの記事をみつけたのはデヴィ夫人のブログ。年齢とともにデフォルトモードが不機嫌になる人は男女問わず散見されますが、自分の頭で考えることをしてこなかった年長者は若者もいぶかしむもの。中身と外見のバランスの絶妙な維持のためには、歯にきぬ着せずに辛辣に意見してくれる人を必ず周りに配置しておくのがコツです。


→●明日の私へ、「あすへのヒント」

これから さらに年齢を重ねる年代には、自分に 本当に似合う髪型と服装をすることを勧めています。

昔は似合った服や髪形も、 現在の自分には合わないということを自覚することが大切なんですね。若作りや ぶりっ子なんて言われてしまっては元も子もありませんから。

他人と比べず、現実の自分を受け入れるのは 時に難しいことかもしれません。 顔や体のしみ、しわ、たるみ、なかなか落ちない憎きぜい肉。 私も現実を直視して戦っています(笑) 正直に言ってくれる信頼できる 周りの意見を聞くのも大切ですね♪

変わろうとする意志をもって 変わっていく自分頑張った結果を見るのも、きっと楽しみなはず。いつも“素敵”と感じる人は、その生き方と正比例するような気がします。 私の年齢に比べれば、50代なんてまだまだ(笑)