ロレッタインタビュー(vol.2)

本から学び、自然の中で遊ぶことで体に興味を持つ

ー精神的に早くに自立した後、どうやって自分で自分を育てていったのですか?

甲原:本です。書店は、自分が教えを乞いたい人を選べる素晴らしい場所です。学校では好きな先生の授業はどんどん頭に入りますが、苦手な先生の授業はどうも身が入りませんでした(笑)

参考になる大人は本屋でいくらでも探せばいい。 そう思って、図書館と古本屋にも通いつめました。



―その頃はどんな本を読んでいましたか?

甲原:最初は家にあった日本の純文学。現在、交流のある作家達の著作とは、10代後半~20代前半に出会いました。生き方を模索していたとはいえ、自己啓発本は読みませんでした。 宗教やニューエイジ系の本は母の趣味で家にありましたけど。

母は実母を早くに亡くしたので、幼子を残して逝った当時の実母に思いを巡らせたのかもしれません。ただ私は、「そっちに頼るとロクなことがない」と 感じていました。

ーそれはなぜですか?

甲原:スピリチュアル本を「こういう考え方もあるのね」と参考程度に受け止めるのは良いかもしれません。しかし日本でのスピリチュアルや宗教は、サイキックやオカルトと類似したカテゴリに位置づけられて利用されるケースが多く、それらの内容を自分の頭で精査・検討せずに真に受けると、自分のことを自分で決められない人間になります。

そのような一般化、単純化に頼りきって自分で判断しなくて良いのは、責任を負わなくても良いのでたしかに気楽です。現実で気に入らないことがあったとき、「私が信じるスピリチュアルな教えと違うから、間違っているのはあの人のほうだ」と攻撃すれば良い。さらにもっとうまくいかないときには、「あの教えが悪かった」とグルのせいにすれば良い。しかしこれでは人生がうまくいかないことをいつまでも親のせいにする子供と同じです。それは私のなりたい「在り方」ではないです。また、本来のスピリチュアルや宗教は、世界を単純化するためのツールではないとも思います。

ーある意味、哲学や宗教、精神世界も「マニュアル」かもしれませんね。しかもその教えは客観的でいて、主観的な部分も大きいですよね。

甲原:ええ。絶対の「客観性」は存在し得ないんですよ。その日の自分の心身のコンディションでも受け止め方は変わるので。たとえば、素敵な恋人ができたり、高額宝くじに当選した日なら、イラッとする言動もにこやかに聞き流せるでしょう。

しかし、気分がふさいだり落ちこんでいると、ささいなことにも「どいつもこいつもくだらない」と腐りがちだし、やけっぱちにもなりやすいです。だから他人をどうこう言う前に、実は自分こそが常に不安定でゆらいでいる生き物なのだということを、まず自覚したほうが良いと思っています。

ーその他に、夢中になったものはありますか?

甲原:小さい頃は、毎日山や野原で遊んでいましたね。なので、生傷が絶えず外科によくかかりました。切ったり裂けたり縫ったりした傷口から出血が止まり、やがてかさぶたができて、怪我の状態から皮膚になっていく過程を幾度も眺めるうちに、体の仕組みに 興味をもちました。

学研の漫画『からだのひみつ』がとくに好きで、赤血球、白血球、フィブリノーゲンなどがあり、「血小板が血液を止めてくれるのか」と、自分の傷を見ながら夢中で読みました。

「私のなかにこんなにたくさんの生き物がいる!」ととても感動して。だから小学校の頃にほしかったのは、天体望遠鏡や顕微鏡。肉眼で見えないものを見てみたい、生命への関心の芽生えだったと思います。

ー今のお仕事につながる体験ですね。

甲原:はい。それからトカゲを獲って庭に放し、釣具屋で糸と針を買い、友達と鮒やハゼを釣り、ザリガニを獲り、たけのこ、わらび、よもぎ、ぜんまいを摘み。自然の中で体を使って思いきり遊びました。 小学校高学年の頃からファミコンブームが始まりましたが、本のおかげでそちらに流されなかったのは良かったです。

また、学校で威張る教師を見て「バカな大人の典型」と思っていました。


体を使う遊びが大好きだったのに、理不尽で強制的な体育の授業で、運動が嫌いになりました。そういった教師に対して、理路整然と口答えをしていたので嫌な生徒だったでしょう。 当時、先生はスポーツ医学を知らなかったのかもしれませんが、「走れ」と命令するだけなら誰でもできますから。

今でも、権威をかさに思考停止している人は好きではないです。