ロレッタブログ

第8回 マンツーマン・メイクセミナー - 2011.04.30

先日行われた名取瞳さんによる第8回 マンツーマン・メイクセミナーも、大好評のうちに終了いたしました!!
今回は初参加の方々ばかりでしたが、みなさまそれぞれに発見が多かったようで、とっても嬉しいです!
今回の悩みは・・・

「口紅を塗ると派手になってしまう」
「化粧をするとケバくなってしまいます」
「メイクをほとんどしないので、アイラインや眉の描き方もぜひ勉強しなおしたいです」
「マスカラが下まぶたに滲んできてしまいます」
「ビューラーをかけても、まつ毛が下がってきてしまいます」
「ノーズシャドウはわざとらしいので避けているのですが、立体感は出したいです」
「鼻の赤みをカバーするには、どうすればよいですか?」
「まぶたのくすみが気になります」
「私の顔立ちで避けたほうがよいメイクのパターンやタイプはありますか?」

などなど、でした。そして今回かんばらさんが思ったこと・・・・この一週間、悶々と考えておりました。

もしかして、世の中では「ナチュラルメイク」=「手順とアイテム数が少ない短時間で出来るメイク」と誤解されているのでは?
そもそも「ナチュラルメイク」とは、「ナチュラルにみえるメイク」のことですよね?
肌は透明感にあふれ、自然なツヤで立体感が演出され、目はぱっちり、まつ毛はくるんと長く、血色はほんのり自然なバラ色、リップはぷるんとつやつやに。
これだけいろんな「改善」を試みながら、まるで素顔の延長であるかのように見えるメイク・・・。

ここまで読んだ方には気付いたかたもいらっしゃるかと思います。
そう、こんなに高度なテクニックが必要で、難易度の高いメイクは無いんです。(笑)
つまり、実はメイクに45分もの時間をかけているけれど、とても丁寧に繊細に塗り、色を重ねているので、まるでその手間暇を感じさせないメイクが「ナチュラルメイク」である、ということです。
せっかくメイクしているのに顔色も良くならず、立体感も出ず、くすみはくすみのままで、目元はすっきりもぱっちりもせず、低い鼻は低いまま、フェイスラインももったりしたままの「すっぴんとたいして変わらないメイク顔」になっては、意味がありません。これは、あなたのチャームポイントも生かせず、欠点は欠点のままに存在している「ただの手抜きメイク」でしかないのですから。

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日本の女性は自分を嫌うことが得意だと思います。
「謙遜の美徳」の意味ではなくて、今の自分のありようそのものが嫌いというか、認められない人が圧倒的に多いし、自己否定感がとにかく強い。かと思えば、「自分大好き!ビバ自分!」のオーラ全開だったり。「自らを信じる」と書いて「自信」ではありますが、「自信」と「過信」は別物です。自分のことを好きでもないし、嫌いでもない、まあごく普通です、という人ってなかなかいません。「自己否定」「ビバ自分!」のどちらにしても、自分のなりたいイメージもなく、漠然とマネキンのような若さと白さばかりを追い求めると、女性として、というよりも人として加速度的に魅力が無くなっていきます。

以下、伊藤緋紗子さんの著書より。
『昔、私にこんなことをつぶやいたフランスの友達がいました。「日本人は芸術品を見るとき、いつも近づいて見るわね。私たちはいったん下がって全体的に見るのだけど」と。
日本人のほうが細かいところにより注意を払うという意味でしょうか。ところがおしゃれやお化粧となると、それが明らかに裏目にでてしまいます。鏡にあまり近づきすぎてメークしたり、外出前に全身を姿見で映す習慣が身についていないと、部分的にはよくても、全体的に統一がとれなくなる恐れが出てくるのです。
自分を愛することは、倒錯的なナルシシズムではありません。自己愛とも違います。自己を愛することは、自分自身を知ることであり、それは自信と冷静な自己評価につながります。
女らしさにとっては、自分自身を知ることは、自信と自己評価よりも、むしろ簡単なものです。
自信と自己評価が持てないと、人間は罪悪感を抱くようになります。そして女性にとって罪悪感は、不満や憂鬱の源となります。
自分を愛することが出来ない女性は、しばしば`完全主義‘に取りつかれてしまうのです。』
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