ロレッタブログ

甘えと思考停止 - 2015.01.18

長かったので昨日のブログを2回に分けて書きますね。以下昨日の続き。(今回で里親会の件は一切終了)

それにしても私には自分が大怪我を負いながらも簡単に思いつくような改善案が、これまで会の誰からも上がってきていないことがむしろ不思議でなりません・・・とはいえ、実際無かったんだから仕方がない。
しかし、それは甘えというよりもむしろ思考停止ではなかったでしょうか。自分たちの行いは世の役に立っているのだ、恵まれない不幸な猫を救っているのだという貢献感と自己肯定、自己承認を得た時点で思考停止していたのはないか?と思います。

・甘え:人の好意をあてにする気持ち。(ヤフー辞書)
・思考停止:考えるのをやめること。あるいは、あることに対する判断を放棄して、既成の判断を無批判に受け入れること。(はてなキーワード)

この場合は「私は自己承認と自己満足のためにやっているので、もし文句があるなら猫を返してくださって結構です」と自覚しているほうがまだ百倍もましなのですね。自覚もない(=思考停止)まま「本来喜んでもらえるはずの活動なのに、自分の期待していた反応(感謝)が返ってくるどころか叱られた!」とパニックを起こすのはあまりにも幼稚。ボランティアであれ、仕事であれ、間違ったことをすれば指摘をうけるのは当たり前。さらに命が関わることであればなおさら。
数いるボランティアをまとめる会長さんも大変なのでしょうが、リーダーシップと譲渡に際しての最低限の指針が設けられていなかったことも失敗の大きな原因かと。一連の失敗から何をどれだけ学ぶかが要になるでしょうが、少なくとも学ぶ方向性で動いていただけてはいるので、唯一それ(だけ)はよかったとしましょう。信頼を築くのは大変ですが、失うのはあっという間。特に今回はそもそも築きあげられた信頼関係すらないところに、甘え(思考停止)で譲渡先に迷惑をかけ、結果的に自分で自分の評価をマイナスにしたのですから、愚痴を言うよりも凹むよりも速やかに学び、前へ進むしかないですよね。あるいは止めるか、の二択でしょう。

あと、日本人には特に多い傾向と思うのですが、業務上のミスの指摘を個人の人格否定と同一に受け取る人が多いのでは?これも全く幼稚としか言いようがないです。以前も記しましたが、私は出来事や物事に対する反応はその人の「習性」というかむしろ「癖」のようなものと同一と考えていて、どのような行動・心理状態に陥るかは各々にある程度決まったパターンが存在すると考えています。なので、こういう出来事で凹む人であれば似たような事で毎回不安になったり落ち込んだりしているのではないかと。そうした思考パターン、あるいは反応を示す傾向にある自分を自覚して、凹んだり落ち込んだりパニックになりやすい自分の心のメンテナンスを自分でしましょうよ。つまり、自分の感情の波に他人を巻き込むな、ということです。業務の失敗に個の問題や言い訳を持ち込むべきではないでしょう。

そういう私を強いという人もいますが、自分よりも小さく弱いものや大切なものを支えるためには、それが子供であれ犬猫であれパートナーであれそして家族であれ、まずは自分が自分の足で立つことが大前提。そうでなければ、共倒れでしょう?自分のほかに大事なものがある人は腹をくくって強くなるだけです。つまり、腹をくくっていない人からは愚痴が出ます。私は自分が大事にしている存在が弱っている時に、足手まといの役立たずでいたくないだけです。

と、自分で書いていて今思ったのですが、愚痴を言う人って愚痴の操作性なんて考えたこともなさそうですよね。「愚痴」と「絶対他力の相談」と「人に話を聞いてもらう」のはそれぞれ異なりますが、愚痴は他人を疲弊させます。ということで次回のブログは「愚痴の操作性」について。