ロレッタブログ

フォローアップセミナー 発言しすぎとしなさすぎ - 2015.07.18

一昨日はエンビロンのフォローアップセミナーに参加してきました!

休憩時間中に、デス先生に「昨年猫ひっかき病で診ていただいたものです~」とお話しにいったら「おお!あの時の!」と。世界中で講演するデス先生にとっても、ちょっと珍しい事件だったのかもしれません。(笑)「あの後は、先生がおっしゃったとおりやはり抗生物質が効いておらず、他のものに変えたら薬疹がでたのでデリケートジェルとクリームでケアしました。さすがに薬疹に滲みましたが今ではすっかり元通りです!」とご報告。「滲みてもその場合は問題ないので安心して塗ってください。健康を大事にね」とありがたきお言葉。

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前半は症例別の質疑応答、後半はサプリメントの栄養素についての講演。前・後半とも質疑応答では毎度のとおりかんばらさん挙手しまくりで色々訊きまくってきましたよ!

本社の方曰く、関西だともう少し積極的に質問があるが、東京ではみなさん静からしい。

これって、植島先生のセミナーでもおんなじ感じなので、地域性?人目を気にしすぎ?それとも質問ができるレベルで議題を理解していないとか?でも美容にまつわる仕事でサプリや栄養素についてろくに知識が無い人っているのでしょうか?(それはそれで問題ですが)開発者の方に直接質問できる機会なんて貴重なことこの上ないんですから、参加したからには自分のサロンのお客様のためにも最大限活用したいですよね。

と思っているところにちょうど当日読んでいた本にぴったりのことが書いてありました。うちにはTVがないので番組は観たことないですが、NHKのBSの番組で司会を務める鴻上尚史さんの本

クールなアイスコーヒー、無礼な伝統旅館には笑っちゃったのですが、「世間」と「社会」についての論も興味深く読みました。私自身も常々、一神教の国と異なり多くの日本人にとっての神は「世間様」だと思っているので。具体的に誰を指すのかよくわからない正体不明の「世間様」を恐れる人って多いですもんね。「社会様」じゃなくて「世間様」。

クール・ジャパン?!/鴻上尚史/講談社現代新書

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僕がイギリスの演劇学校に留学した時、最初の授業の終わりに、「なんか質問はありませんか?」と先生が訊きました。クラスメイトは一斉に手を挙げました。「なんて熱心な生徒なんだ」と僕は度肝を抜かれました。先生が指名すると、「今日の授業は、おばあちゃんがいつも言っていたことととても近いものでした」とか「今日の授業はすごく納得できて面白かったです」と、生徒たちは語りました。「ん?それは感想であって、質問じゃないぞ」と僕は思いました。
それから毎回、先生は「質問はありますか?」と訊いて、生徒たちは熱心に手を挙げ、そして、質問ではなく感想を語りました。質問が出ることは本当に稀でした。先生も、質問ではなく感想を語ることを特に問題にはしていませんでした。

僕は、これはどういうことなんだろうと混乱しました。クラスメイトにいろいろと質問し、だんだんと事情が分かってきました。
多くのイギリス人と、スペイン人・イタリア人・オランダ人・アメリカ人のクラスメイトたちは、小学校入学以来、なにかを体験したり聞いたりして学ぶと、「あなたは、かけがえのないあなたなんだから、あなたなりの感想や質問があるはずです。それはなんですか?」という教育を受けてきたのです。なにかを見たり聞いたり知ったりしたら、あなたはあなただけの感想や質問があるはずです。なぜなら、あなたはこの世にあなたしかいないんですから。さあ、それはなんですか?-それは刷り込みといっていいレベルでした。だから、みんな、質問が浮かばない場合には必死に感想を語るのです。

僕は、それでは日本人は「なにか質問はありますか?」と訊かれた時、どういう刷り込みがあるんだろうと考えました。あなたはどうですか?どんな刷り込みがありますか?

僕は、日本人は「質問をする以上、ちゃんとした質問をしないといけない」という刷り込みがあるんだと思います。ここにも日本人の「ちゃんとしないといけない病」が顔を出しているのです。質問する以上、周りからバカにされるような質問をしてはいけない、恥ずかしい質問をしてはいけない―という刷り込みです。

僕がイギリスやアメリカで講演会をして、最後に「質問はありますか?」と訊くと、自分の感想をえんえんと語る人に出会います。大学だったりすると、次の授業の時間になっているのに、気にせず語る人がたくさんいます。周りはうんざりしていますが、話し続けます。日本で「質問はありますか?」と訊くと、聴衆は一斉にサッと目を伏せて、僕と目が合わないようにします。まるで目が合うと石にされてしまうと怯えているようです。心の中では「訊きたいような気もするけど、ちゃんとした質問ができないからダメだ」と思っている人がいると思います。

えんえんと感想を語る欧米と、誰も手を挙げず静寂だけが広がる日本と、どちらも同じくらい問題だと僕は思っているのです。