ロレッタブログ

誌面ネタの続き - 2015.09.09

座談会の記事には「心のトラブルを抱える人が増えている」とありますが、心の病を治すことに関心を示す施術者も多いとのこと。座談会では、安易に精神面に踏み込むなと全員が一致していました。(笑)プロとして扱える事か否かの境界線を見極めることは大切ですよね。本分をわきまえて身体が楽になると心も楽になる、という流れが望ましいかと。

エステで遭遇しやすい心の問題というと、いうまでもなく外見にまつわるものですよね。昔のブログにも記したようにプチ整形など心理的にトライしやすい技術が増えたし、老いですらある程度はどうにか出来てしまう時代になったせいもあるかと。現代人は視覚に依存して生きていますし、インターネットで膨大な画像と情報に触れるから他人と比較する機会もおのずと増える。画像は修正できて、寿命は長くなるばかり。ある程度欲望が満たされた先進国で最後に残った願望が人体改造なのは当然の流れかも。國分功一郎の「暇と退屈と倫理学」みたいですが。

2丁目のママ(伏見さん)も書いているとおり「平等な社会って、階級的な社会よりもあきらめがつかない分、実は嫉妬深くて、微細な違いに自意識過剰にならざるをえない社会なんですね。神様もいないので、世間という相対的な価値観の中で差別化ゲームに狂奔するしかない」のは確か。日本人は確固たる信仰する宗教もほとんどの人が持たないわけで、とりあえず平等で中流、自己責任による選択の自由(自由と言われても自ら選び取りたいものってそんなに多くないのにね)ってやっぱりしんどいですよね。2丁目では私はたいていそんなことを話しています。

話戻って。
エステは顔や身体の皮膚を扱いますが、それは精神がとても大きく影響する臓器でもあります。何らかの変化が皮膚(表)に現れていたら、それは例えば、乾燥肌なのに赤ニキビが多発とか、(妊娠が原因のこともありますが)かぶれたことのない化粧品で急に赤みや炎症が出はじめたり、蕁麻疹のような発疹が出たりなどしていれば、原因を探ります。また、その原因が対人関係のストレスにあることが先進国では多いので、どうしても流れとして結構踏み込んだところ(裏)まで聞くことになりやすいです。

こうしたやり取りの中で、醜形恐怖症や強迫症的に自分に対する期待値が高い人や、他人の目に映る理想の自己像にとらわれている人は大変だなーと思うこともあります。とはいえ、エステで出来ることは所詮エステで出来る範囲であって、私は精神科医ではなくて。身も蓋も無いのですが、過剰な自意識は一種の病みたいなもので、文字通り「自」の「意識」ですから第三者の私にはどうしようもない。人からの評価よりも自分が興味を持つことに集中する方がよほど大事、という私みたいなタイプには、到底わからない悩みでしょう。私の現実認識は「棒ほど願って針ほど叶う」のとおり、大抵のことはうまくいかないのが当たり前、万一うまくいけばラッキー、悪い出来事もこのぐらいで済んでよかった、というものですから。そもそも自分が満足するような対応やコメントを他者が毎度返してくれるはずがないですしね。

傾聴は大切ですが、クライアントの心の病を自分が治せると安易な判断を下すのは双方にとって危険な間違い、と思います。外見をめぐる心の病には中途半端にかかわるよりも、中村うさぎさんのこの本のほうがはるかに役に立つ思っています。

こんな私が大嫌い! / 中村うさぎ / イースト・プレス
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それでも、もし施術者がお客様の精神的な問題により深く踏み込みたいと思うのであれば、精神医学を専門的に勉強するのはもちろん、不用意にクライアントを傷つけることがないよう自らもカウンセリングを受けて、自分が犯しやすい間違いも知るべきでしょう。これはとても大切なことです。先輩からのスーパービジョンも必要ですよね。そして、一人前のカウンセラー(セラピスト)になるには最低20年かかるといわれる現実も知っておいたほうがよいかと。

身体醜形障害 なぜ美醜にとらわれてしまうのか / 鍋田恭孝 / 講談社
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