ロレッタブログ

幸せとはまず自分を大切に扱うことがスタート - 2017.11.16

昨日のつづき。

おそらく自分をなおざりにする人、ぞんざいに扱う人は、本人ですら自分をないがしろにしているのだから他人からも大切にされないという悪循環に陥っているのだと推測する。これが続くと、きっと無意識のうちに「自分なんかが得られる幸せなんてこの程度」と自ら貶めるようになるし、「自分は幸せになれるし幸せになってよいのだ」とは信じられなくなる。こうして自尊心が低くなり、自分の幸せに自分でリミットを設けることほど不幸なことはないですよ。

心理学的には、自己否定が強く自分の価値を下げに下げまくっているときは、それに同調して自分の価値をさらに下げることを手伝ってくれる人と出会うものらしい。うまくいっていない人を観察していると、これが真実だということがよーくわかる。自己否定感が強いときに自分の本来の価値に目を向けたり認めてくれる人に出会っても、その人のことを信じられないんですよ。だから、せっかく自分の価値を見てくれる人と出会えても、肝腎なところでスルーしてしまい、自分を否定してくれる(「あなたはその程度でいいのよ」的な)ネガティブな人間関係の方に引き寄せられていくのだそうです。

価値を認められてもスルーするというのが一体どういうことかというと「あなたは素晴らしい、価値のある人だよ」「女性としてとても素敵ですよ」「才能あると思うからどんどんチャレンジするといいよ」とか言われても、そういう言葉を信じることができないということなんですよ。「自分に大した価値はない」「私はだめ。女性の魅力なんか無い」「私にそんな才能なんて無いし、私はかんばらさんみたいにできません」(←もはや耳タコ笑)となる。謙遜ではなく本気で信じられていないわけ。

なぜそのような行動をとってしまうかというと、臆病だから。臆病というのは文字どおり一種の病気です。

いくら褒められても認められても、自分で自分を否定して落ち込み、その上さらに傷口に塩を塗り込むように「自分はダメな人間だ」と貶めて自分を責めるマイナスイメージの繰り返し。こういうメンタルのままでは免疫力も低下するので体調を崩しやすく、愚痴と弱音がさらに多くなる。だから周りの人も次第に「これ以上あの人に関わっても不快な思いをするだけだから、離れたほうがよさそう」「時間の無駄だから遠ざかろう」という雰囲気になっていく。そのため本人の自己否定感はさらに強化され、ますます内向的になり行動範囲も狭まるので出会いも減り、ネガティブな人間関係にさらに縛られるようになる・・・誰がどう考えてもどこかでこの負のループを切ったほうが良いとわかりそうなものなのに、本人にはその選択肢は予め無い様子。本人がそう思い込んで信じてるんだから、変わるはずがない。

こういう風に自分をないがしろにしている人にかぎって、自分以外の誰か(DVやアル中やだらしないパートナー、ペット、子供、親とか)のために生きようとする傾向が強くて、私はそういう人をみるたびに毎回しつこいほど原因と仕組みをひたすら考えてしまうのだけど、やっぱり「本人の自尊心の低さが原因」という結論にいたる。そして「世の中には幸せになる気が無い人もいるのだ」という事実に愕然とする。自尊心と自己肯定感が低すぎるさまは気の毒に思うが、どちらも値札つけて売っているものではないから、こればっかりはどうしようもない。

こういうのって「親のせい」とかいわれがちだし、そこに責任を押し付ける当事者も散見されるのだけど、私に言わせれば犯人探しをしたところで何の意味もありません。親兄弟以外の人間関係は自分で選びとることができるし、そのぐらいの自由は本人にあるんですよ。でもその本人に自己否定ワールドから出る気がないのだから。私はこういう人と遭遇するたびに、自分にできることの限界と無力さをわきまえるよい学びになっています。

はっきりいって私が匙投げる人ってよっぽどですが、自分を変えなきゃいけない逼迫した状況にない人は絶対に変われない。そしてそのツケは、本人が自分の人生で返していくしかないのです。

幸せとはまず自分を大切に扱うことがスタートだということが、よくわかります。そして、自分が幸せになれる人間と出会い、関係を築いていくためには、まず自分の心の状態を良い状態に整えていこうとする心持ちが大切であり、その心がないとどんな出会いも活かせないということもよくわかる。幸せとは人に依存しない形で自分の人生を充実させることであり、当人が自分自身で確立するものです。人が真の意味で他人の幸せを請け負うことは絶対にできません。他人の生涯の幸せを請け負うことは不可能。もし自分が誰かを幸せにできたと思うならそれは独善。

最もイメージしやすい例えは結婚でしょうかね。男性は「君を一生幸せにする」なん絶対に約束しないこと。そして女性も「この人が幸せにしてくれるはず」なんて期待しないこと。さもないと、女性は自分が幸せでないときには相手を責めて愚痴と不満だらけの人生になり、男性もその通りだ、自分のせいで幸せにできていないと思ってしまうので罪悪感まみれの人生になります。誰かを幸せにしよう、幸せにできるなんて決して思わないこと。そんなことにチャレンジしても絶対に成功しません。それどころか痛い目をみるだけです。

自分の幸せを最優先にするのは決して身勝手ではなく、自尊心があれば言うまでもない当然のこと。それは他人を見捨てることとイコールではない。自分をぞんざいに扱いながら誰かのために生きようとする人は、自尊心が低すぎるがゆえにその辺りを勘違いしているのでしょう。自分を大切にして生きるということは、他人のことよりも、まず自分の幸せを追求することです。私は、自分自身でいることで既に幸せな人間同士が共にいることで、さらに幸せになれるのだと思いますよ。