ロレッタブログ

人間の価値は見た目が何割?<つづき1> - 2017.12.16

じゃあ男性が求める女性、女性の見た目の価値ってどうなのか?

現代は男性が矢面に立ったところで、終身雇用や老後の安定は加速度的に崩壊しているので、「男性がどうにかしてくれるはず」的な依存メンタルの女性は敬遠されています。さらに野心のある人ほど「新卒で入社した会社で出世して定年まで過ごす」よりも、「早い段階から自分の市場価値を高めて、どこにいっても通用する稼げるスキルを得たいから転職も大いにあり」という志向になってきている。そもそも「会社=疑似家族」の関係性って所属欲求を満たすためのものだったから、現代の流動的な雇用体制において、個と個で繋がる感覚を備えた若く優秀な世代には、旧来の疑似家族的ありかたはどうやったって疎ましがられやすい様子。

さらにお国は年金は75歳からとか言い始めているし、100歳超の高齢者がもう何万人もいるから人生100年も我がことの可能性大。男性一人の稼ぎでどうにかできる事態じゃなくなっている。こういう時代に依存してくる人を抱えているとチャレンジやリスクがとりづらいので、頼り合える同志的な人物が好まれる。それでも男性は自分の調子がいいときは「僕が頑張ればいいかー」って一瞬錯覚するみたいなんですが、ほんとこれって錯覚でしかなくて人生で調子のいいときはそんなに長くつづかないので厳しい現実にさらされて愕然&呆然とする男性が散見されます。2丁目で実によくみかける。

そこで聞かれる声は、女性とおつきあいしている時は「どうしてそんなに仕事ばかりするの」といわれ、結婚して早めに帰宅したら「あらかじめ連絡してよ」「もっと稼いで」「生活費はあなた。私の稼ぎは私の小遣い」といわれ、頑張って残業休日出勤もして稼ぎを増やしたら「どうしてそんなに仕事ばかりするの」とまた言われてしまい、「あんた」「おまえ」呼わばりされたりして(←これは本当にひどいと思う)途方に暮れている様子。おそらく女性側は、自分を軽く扱われているような気がして発している言葉なのだと推測するが本当に言いたいのは「私をちゃんと扱って。私(&子供)をないがしろにしないで。私さみしい」なのだと思う。しかしその真意が伝わっていないので、男性は「働かない選択肢はないし、働いたら働いたで文句言われて辛い」となる。昨日のブログで述べたとおり、女性にとって男性に求める優先順位は「自分に費やしてくれるお金>自分に費やしてくれる時間(マメさと手間ひま)>セックス>見た目」のケースが多いので、男性が毎月家にお金をいれるようになると、次は自分をかまってくれる時間が少ないことが不満になるわけです。

だから私は「自分が誰かを生涯幸せにできるなんて思うもんじゃないですよ。そんな果たせない約束するもんじゃないよ。他人に幸せにしてもらおうとも思わないほうがいいよ。自分を幸せにできるのは自分だけですからね」と言ってるわけ。→幸せとはまず自分を大切に扱うことがスタート

こういう様子を眺めていると、大人の人間関係は依存や自己欺瞞(みんな自分のことは嘘をつくからね)ではなく、自立と頼り合いと寛容さ、そして自分の変化や進化を恐れない心持ちが肝腎ということがよくわかる。

そして男性は女性よりも圧倒的に視覚優位な生き物なので、女性に容姿の美しさを求めます。しかし最終的には自分と同等程度の容姿を備える相手におさまる、と言われます。

どうやら現代男性の本音は「頼られるのはいいけど、依存されるのは重い。しんどい。」「いざというときは、だいじょうぶ私も働いてるんだからって言うくらい芯の強い女性で、かつ美人なら最高」のよう。つまり依存心がなく責任転嫁もしない女性ということ。こういう人はどう転んだってポジティブだから、自己憐憫とは無縁。女性も女友達にするには最高だと思う。

まあこっちだって、男性には「ハゲるのはまだ仕方がないとしても、お腹があまり出すぎているのはどうかとおもうわよー」ぐらい言いたくもなりますけどねえ。(笑)