ロレッタブログ

運動ぎらいの原因 - 2018.02.04

昨日記して思ったのですが、「エクササイズしようとしたら全然身体が動かなった」という事実に直面したときに、そのストレスをチャレンジととらえるか、そのストレスをマイナスに解釈してしまうかで、ずいぶん成果も変わりそうですよね。

後者の場合は当然ですが「辛い。やめたい。もうこんなのは嫌だ」となる。しかもいったん始めたことをやり遂げられなかった自分への不信感、嫌悪感も強くなるから「こんな思いするくらいならもう二度とやるもんか。近寄るものか」的なメンタルになるわけ。私の意見ですが、運動の習慣化にトライする人がまだまだ圧倒的に少ない根源的な理由って、実はこれなんじゃないかと思っています。運動が嫌いなんじゃなくて、それができない自分、やりとげられなかった自分が一番嫌いなのね。だから、もうそれには近づきたくない。

体育の授業で走って争わされて、ビリとかビリから2番目とかでみんなの目の前で恥かいたとか。転んで屈辱的な思いをしたとか。失敗して笑われて辛かった、そんな自分が自分でも情けなかったとか。運動に関しては、デリカシーのない強制的な授業内容や部活指導で傷ついた思いをした人も、少なくないんじゃないかな?
昔はうさぎ跳びとか、ただひたすら長距離を走らせる、水飲むな、炎天下の中プールで泳がせつづけるとか、量をばかばかしい根性論も今よりももっとまかりとおってましたもんね。それで運動嫌いになった人、相当いるはずなんですよ。

実は私もそういう根性ありきの指導が大嫌いでした。
自分でスケボーしたり一輪車のったりして、外遊びするのは大好きだったけど、「走りたくもないのになぜ走らされないといけないの?」って思ってました。「動物が走る時は補食対象にされて逃げるときか、補食しにいくかのどちらか。あとは遊んでるときに走る程度。延々走ってるのは人間ぐらい。走るのが好きな人はほおっておいても陸上部で自分から走り出すんだから、誰彼かまわず走らせるのはやめたほうがいいんじゃないの?膝いためるし。」とか思ってました。(←扱いにくい生徒の典型例。笑)

足の耐久寿命は50歳らしいので、寿命が延びてる現代はむやみやたらに走るとホント危ないですよね。靴やランニングのコース、ペースなどに気を配ってとりくまないと、ほんとうに足を危険にさらすだけです。フルマラソンに出場なさっているお客様にお話をうかがうと、やはり休憩地点での水分やアミノ酸補給の内容や、普段のトレーニングなど大会のための準備を相当なさっています。

話もどって。過去の運動嫌いになった経験は過去のもの。これからの身体は自分次第でいかようにも変えられるのだから、誰と競うわけでもなく、自分自身のために、自分のペースで何か1つでもよいから長く続けられる運動習慣をはじめてみてほしいですね。

今回はエクササイズを例に記しましたが、ストレスを自分を成長させてくれるきっかけという良い面で受け止めるか、卑屈や回避という悪い方に受け止めるかで、ライフスタイル全般はかなり変わってくるように思う。