ロレッタブログ

美容整形 この神をも恐れぬもの/三島由紀夫 - 2018.06.05

決定版 三島由紀夫全集 新潮社刊には美容整形についてのエッセイがいくつかおさめられています。

三島が163センチの体をボディビルで筋骨隆々に改造したのって、現代のゲイや女性が筋トレや美容整形に走るのとまったく同じことだから、そりゃ何か書きたくもなるだろう。

「降鼻術で鼻を高くしたことを、高くしてから会った夫に、一生懸命隠してゐる妻は実にいぢらしいが、やはり「真実」を隠すといふ点では、過去に「あやまち」を犯したことをかくしてゐるのと同じである。ただ不貞とちがふところは、その「良い結果」だけと夫に認めてもらひたがってゐることで、隠すといっても、隠す意味がちがふ。鼻も高くなり、美しくなつた顔は、隠すどころか、二六時中見せつけてゐるわけですから。
秘密は過去にだけあり、彼女の夢は、もちろん、生まれつきこんなに美しかつた、と人に思はせるところにある。彼女はその美によって幸福になれる。

・・・しかし何だか、それでは足りないし、ほんたうに満足ではない。
なせだらう。夢みたとほり美しくなり、夢みたとほり男たちに賞賛され、よい夫をみつけて幸福になつた。それなのに、なんだか物足りない。心の中を隙間風がとほりぬけてゆくやうな気がする。なぜだらう?
・・・彼女は心の中で、「生まれつき美しかつたら、その美しさがこんなに幸福であるはずがない。その美しさの犠牲になつて、つと不幸になってゐるはずだ」といふことを知つております。彼女は不幸になることはむづかしい。少なくとも美のために不幸になることはむづかしい。
彼女は次第にその幸福感を、人前に、夫の目に、隠すやうになる。「幸福感を隠す」これこそ美容整形と不貞な恋との、最大の類似点・共通点なのであります。」

「降鼻術でも、母子が相ついで手術をうけるといふのはザラで、娘の成功を見てうらやましくなつた母親がやり、その上父親まで引つぱり込んでやらせるといふのもあるさうだ。外国人では、降鼻術の反対の「鼻切除」が多いことは周知のとほりで、その少し上向きかげんに整形された鼻の写真をみてゐると、鼻の美学も幾変転したものだ、と感ぜざるをえない。

見学ををはって屋上に出る。裏手に竣工した新館のビルが見え、あたりはいちめんにネオンや広告板に囲まれてゐて、空はスモッグにおほはれている。
見下ろす路地の夥しい中華料理、すし、喫茶店、人間の食欲。それから、神経痛の薬のネオン。十仁病院と大書した灰いろの煙突。菊正宗や大関の大きなネオン、酔つて何もかもわすれたいといふ欲望。銀行、証券会社、金をもうけたいといふ欲望。高速道路の入り口とそのむかうの高架線。旅へのあこがれと、商用旅行のちょっとした浮気の夢。・・・・そして、全ての欲望の裏側のむなしさを、広告板の汚い裏側が露呈してゐる。これだけ各種の欲望が密集している地帯に、美しくなりたいといふ欲望にこたへる病院があつたとして、なんのふしぎがあらう。

屋上に実験用の白うさぎが四匹飼はれていて、黙々と冬の青菜を食べてゐる。これらのうさぎの一匹の鼻を実験に使ひ、プラスチックを入れて降鼻術を施したら、格子の間から鼻を突きだして、せつかくのその高い鼻を犬に食ひちぎられてしまつたさうだ。
私はふと、この病院全体の、どうしても拭へぬ、ある「いかがわしさ」の印象について考へる。しかし、目くそ鼻くそを笑ふとはこのことだ。多分、それは、芸術といふもの、芸術といふ仕事に携はることのいかがわしさから、そんなに遠いものではなからう。」

「はじめから、個性尊重主義であってきた非美男美女は、その点、年をとつても生きやすいが、絶対の美男美女は、年をとつてきたら、目もあてられないことになる。個性といふ救命袋を持たずに、海へはふり出されたやうなものだからです。若いころ人気をはせた映画女優や二枚目の老境ほど、見た目にわびしいものはありません。人生とは、救命ボートや救命袋なしで船出したほうがよいか、それともはじめから救命具にたよつて出帆した方がよいか、そのへんが人生のむづかしいところです。

そこで、人生案内回答係は、教養をおつけなさい、そこで内面的な美を蓄へなさい、と忠告します。しかし、美とはそもそも外面的なものだし、浪費されるものだし、貯蓄できるはずのものではありません。私は今まで、世界思想体系なんかと読破したおかげで美人になつた、などといふ人に会ったことがない。
私の人生訓はかうです。
女は個性に飽きたら、整形美容病院に飛び込むがよし。男は個性に飽きたら、お巡りさんになつて制服を着るがいいでせう。しかし、くれぐれも、将来のために「個性の救命具」を用意するやうなみみつちい真似は、若いうちからしないでほしい。私は「私の鼻は大きくて魅力的よ」などと頑張つている女の子より、美の規格を外れた鼻に絶望して、人生を呪つてゐる女子のはうを愛します。それが「生きてゐる」といふことだからです。だつて、死ねばガイコツに鼻の大小高低など問題ではなく、ガイコツはみんな同じで、それこそ個性のおはりですからね。」