ロレッタブログ

デヴィ夫人の婚活論 - 2019.02.17

大反響の人気連載が書籍化でさっそくベストセラーらしい。連載自体が面白すぎるから無理もない!写真も見たことが無いものがいっぱいで眼福!さっそくサロンに置いてますよ。

→●デヴィ夫人の婚活論『選ばれる女におなりなさい』

人の視線は美と緊張感を保つ必須要素。夫人は女優を目指していたそうなので、注目や関心が人一倍の活力源になるのかも。今日から3回にわけてこの本について記しますね。

この連載および書籍のタイトルのとおり、女性は「選ばれるファンタジー」が強い生き物ですよね。 男ばかりの中で紅一点になりたがる女もたくさんいますしね。 個人的にはこの「ロマンチックラブイデオロギー」という洗脳に近い幻想は、恋愛小説と少女漫画と絵本や童話の影響が強いと思っています。そこにひとたび支配関係がもちこまれると共依存や権力闘争だとかややこしいことになるわけで。

これだけ寿命が長くなり、心中も駆け落ちも聞かれないほど自由恋愛が浸透すると、もはやロマンチックラブの永続には両者の血のにじむような努力を要すると気づいている方が圧倒的多数ではないでしょうか。欧米のような恋愛至上主義は一種の強迫観念なので、それをそのまま日本に持ち込もうとしてもなかなか難しい。

さらに日本人女性の場合は「こんな私を選んでもらった」「私みたいなのを選んでもらった」と男性よりも下に降りた、謙遜ではなく卑屈の意味で「選ばれた」という表現を用いている人が多いように感じます。

他にも「一人の男に生涯の伴侶として選ばれた私」というプライドが唯一の拠り所になっていて「それさえなくなると私はただのおばさんになってしまう」と本人が恐れているために、ひどい扱いをする男性と別れるという選択ができない女性も一定数いるように思います。別れぬ理由は、きりがないほと色々と積まれがちですが、いろんな方のお話を毎日毎日聞いていると、つきつめれば所属を無くすことへの恐怖感なんじゃないかなという気がしますね。

デヴィ夫人の場合は、まず自分が選択権を獲得するために闘争心を燃料に美貌も知的レベルも教養という己のスペックを上げに上げまくり (「私は生きることは闘いだと思っています」) 、選り取りみどりの男性達のなかから自分が選んだという点が全く違う。だからこの本のタイトルは本来ならば「選べる女になりなさい」が正解だと思うが、宣伝戦略としては女性の「選ばれる私」「見染められる私」的な夢に訴えかけたほうが売れそうです。

しかしひとたび連載を読めば、大統領夫人というタイトルと生活維持のために我慢が皆無ではなかったこともわかりますし、選ばれようが選ぼうがどちらかが一方的に主導権を握りっぱなしで楽していられるなんて都合の良い話はどこにもないのだということがよくわかる。

いつどのように振る舞ってもどこまでも無条件に受け入れてくれる、自分にとってのみ非常に具合のよい人間なんて現実にいるはずがないのです。 最近70代のお客様からは「他人に期待過剰な人ほど、ことが期待通りに運ばなかった時に悪口をいいふらすもの。こういうような『よい人VSわるい人』の世界観しかないかたは人生経験がとっても少ないかたよ」と教えていただいたところなのですが、本当にその通りだと思います。

女性側の自信の無さや自尊心の欠如は「捨てられたくない」という気持ちに繋がるし、男性もそれは気づくのでどんどん要求を押し通してくるようになり、捨てられると困る女性はますます自分をないがしろにして何もかも言うことを聞いて許してしまい、さらにつけあがった男性は「結婚してやった」的に優越しかねないです。冷静に考えてみればそんな目にわざわわざわざあいたい女性はそんなにいないと思います。むしろ、そんな風に女性を扱わないと自分を保てないような男性は、社会的ヒエラルキーで劣等感をもった器の小さな辛気臭い人でしょうから、選んでもらわない方がよいぐらいですよね。

ロレッタのお客様がたはそんな低レベルの男になびくような女性たちではなくて、人生辛いことも沢山あるけれど、自分で自分を機嫌よく保とう凛と歩もう、 と心がけている方々ばかりなのでそんな心配も無用ですが。(笑)

男女問わず関係性で支配者になりたがるタイプの人は、威張ったり怒鳴ったりという幼稚な支配性をもちこまないと相手が自分から去ってしまうかもしれない、と実は内心非常に怯えている人。だから、こういう人からはすみやかに去るという行動が一番効くんですよ。この類の相手をズルズルと続けてしまうと共依存まっしぐら。 ご自身が心身ともに健やかにのびのびと生きたいなら、いつまでもこういうのを相手にしないことですね。泣かれようがわめかれようがすがられようが威嚇されようが、いちいち真に受けて相手のもとに戻らない事です。 切る時は徹底的にバッサリ切りましょうね、バッサリと。

ちなみに、女性の側がパートナーに感謝も尊敬も信頼もなく「よくしてもらえて当然」とふんぞりかえって男性の運をどんどん下げていくことを「小泣きばばあ現象」と呼ぶらしいです。そういう女性を生涯の伴侶に選んでしまう男性も、それなりの器かもしれませんが。と、ここまで書いて思いましたが、やはりいずれのケースも「割れ鍋に綴じ蓋」の証明かも?ことわざって長く残るだけあってやっぱり真理を突いていますね。

だから「結婚して幸せにしてもらおう」「他人に満足させてもらおう」なんて依存心は最優先で捨てたほうがよくて、まず自分が自分でいることに満足して幸せでいられることのほうが大事。 ドーパミンという麻薬で脳がラリって正常な判断ができない状態が恋ですから、それが落ち着いた後に覚悟と寛容と柔軟性でできた愛が双方にない結婚は悲惨です。