依存症治療とダイエットの手法は同じ<つづき2> - 2019.04.30
昨日のつづき。
依存症は専門機関で治療するよりほかはない。しかし、依存症とまではいかないけれど、そちらに傾きやすいタイプと自覚している人の場合は、依存対象が1つしかないから問題なのであって、おそらく依存対象を複数にすればするほどマシになるんじゃないか。増やす数は2つや3にどころか、30でも50でも、100あってもっていい。それらをグルグル巡っていれば、依存というほどのめり込みようもないだろうから、日常生活を彩る「ほどよい加減の気晴らし」になってくれそうです。
楽しむコツがあるとすれば、「パーフェクトを求めない」。そして「広く浅く数多く」のほうがむしろ好ましい。そしておそらくこの2つのほうが本質に近い。
完璧主義って、完璧な人のことを指すのではなく、現実にありえない完璧を求めている人のことなんですよ。 完璧主義の人が仕事が飛びぬけてできるというわけではない。不安だから完璧を求めるのだと思うけれど、存在しないものを求めているのだから、いくらやっていも決して報われることはありません。 だから鬱や神経症になりやすいし、さらに完璧主義の人は寿命も短いというのは調査研究でも周知の事実。気分転換にまで 「完壁でなくちゃ」と自らストレスを増幅て、あげく早々に死ぬのって不毛にもほどがある。
本人がそれで幸せならよいのだけれど、私の見知った限りではそういう様子の完璧主義者はいないんですよね。自分でドツボに陥っているのが、傍から見ていてもとてももったいないです。現実はジャズセッションみたいなもので、想定外をむしろ歓迎して楽しもうとする余裕や寛容さを備えていかないと、いずれ生き苦しくなるんですよ。
また、物事に対しての「広く浅く」の真逆にある「狭く深く」を求めがちな人は、当人が精神的に未熟なまま人間関係にこの傾向を持ち込むと一方的かつ過剰に期待を抱きやすくなります(これは少ないけれど心から信頼できる友達がいるという状態とは全く別なので、誤解なきよう)。期待過剰者のメンタルは、自意識過剰で臆病な性質で(いい歳した大人になっても「臆する病」を患っているのは対人恐怖に近いと思うのだが)、つまりそれは人間関係の場数の少なさと幅の狭さを意味しており、メンタルの成長の頭打ちは視野狭窄を招き、その自己弁護のために無用にプライドが高くなりがちで、怯える人は庇護しくれる安心安全な関係を求めるものなので、ひとたび安心提供者と目をつけた人には一方的かつ過剰に期待してすがる。要するに、中二病を引きずる人による関係性依存みたいなもんです。
しかしそこには相手の気持ちや都合や立場を考慮する寛容さや自己瞰能力があるのでしょうか?自分の都合を一方的に押しつけていないか?自分はむしろ他人に期待しすぎなのだと気づいているのかどうか?
「一人でいられないから誰かにいて欲しい」というしがみつきは、自分勝手な自己防衛であり、 関係性を築くこととは異なる。 大の大人がもつれあっていても、まずよいことはありません。
「自分以外の人間を尊重できない人と関係性を結びたい人はいない」という当然の前提に気づいておきたい。そしてお互いが最も気持ちよく、長くつきあえる距離感を意識したいですよね。
つまり、完璧主義者も期待過剰者のいずれも、人間関係の構築スキルが未熟であり、メンタルの自立ができていないため、孤独に弱いことがわかる。アディクション(依存症)のサポートがコネクション(繋がり)と言われるわけだ。
しかしそもそも、恋人がいようが友達がいようが、夫婦だろうが親子だろうか、組織に属していようがいなかろうが、人は誰だって最終的には孤独です。だからなによりもまず自分ひとりでいられるだけの精神的な強さを自分で培うことです。それが大人になるためにやらねばらならい最重要な仕事です。そうして孤独に耐えうる精神成長を育んだ人が、他者を尊重した関係性が築けるようになるのだと思う。
したがって、経験とコミュニケーションスキルが大事という話になり、そうすると卵が先か鶏が先かの堂々巡りの話になるのだけれど(苦笑)、セロトニン分泌の選択肢を増やすことと、内省(くどいが自分にも他者にも完璧を求めない自己俯瞰=メタ認知=知性)を同時進行で始めるのがよいように思いますが、どうでしょうか。
たとえば、セロトニン分泌系で選択肢を増やすなら、カフェインとお酒をハーブティーや運動にする。ペットと遊ぶ。散歩。香りのよいバスオイルやバスソルトや精油。キャンドル。休日は必ずランチから昼酒をたしなむという方なら、お酒なしのランチ後にシャンプー&ブローだけで美容室に行くとか。マッサージやフットケアもいいですね。のんびり(依存や期待のない)友達と語らうのもよし。日向ぼっこ。ストレッチ。掃除。ガーデニング。山登り。海。美術館。公園。
→●依存症の専門家に聞く、飲酒習慣のコントロール法「お酒に代わる”リセットするための何か”が必要です」
『一番いいのは、気づくまで放っておくことです。これは「支援をしない」ということではなく「手を出さない支援(見守り支援)」だと考えています。手を出すことだけではなくて、「関わらない関わり」も大事な人への関わり方なんです。 』にはタフラブ派として完全同意。
→●断酒もダイエットも手法は同じ? 依存症の専門家が語る「習慣を変えるための4つの条件」とは斉藤さんの「 切迫した状態が伝わってこない感じも含めて、今は中途半端な状態だと思いますね。 」「それは本当に飲みたくないんですか? 」「 みんな時間がないとか言いますけど、2時間くらい作れない訳がないんですよ。 」 「右手で持っていたお箸を左手で持つ訓練に似ていますね。 」とかのつっこみが自分と同じで笑える。(笑)
ちょうど1年前に、2丁目で行われた対談も依存症がテーマでした。この日は仕事で参加を断念したので、ネットにアップされていて嬉しい!斉藤さんの語ること(男性側の社会圧への理解)は、フェミニズムの視点からは既に過去に論じられてきたことのようにも思うのだけれど、この世代の男性からそういう声が上がったところが新しいのかな?そこに乗っかろうとする女性がいる限り、男性は楽にならないと思うのだが。これについてはまだまだ考え中。
→●【斉藤章佳×中村うさぎ対談】私たちは痛みを抱えて生きている。「依存症」の根底にある”性の問題”前編
→●「依存症」とは人にうまく依存できない病――斉藤章佳×中村うさぎが考える「私たちが依存症になる理由」後半