ロレッタブログ

大切なことは身体が知っている - 2021.03.20

コロナも予想通りダラダラと長引いて、この調子が最低2~3年は続きそうな気配ですね。昨年末から自律神経失調症の症状があれやこれやと現れているお客様が増えています。

円形脱毛症、パニック障害、蕁麻疹やヘルペスなどの皮膚や粘膜の炎症、適応障害、起立性調節障害、首肩腰のこわばりの悪化、アルコールやアイスクリームなどの摂取量増による体脂肪と体重増=メタボ化、もともとうまくいっていなかった夫婦や家族間の問題が顕在化・・・などなど。

睡眠、栄養、運動が生活習慣の三本柱ですが、全てを整えても長期かつ頻回のストレス過剰状態は、心か身体か、その両方が病気になります。また、逆を言えば、病気になる人はこのどれかか、あるいは複数のバランスが長期間かつ頻回に崩れたまま生きてきています。美容面でも、不平や不満や不安が多い人ほど、口角が下がってフェイスラインもたるみ、眉間に深いシワが入り、般若かムンクの叫びみたいな顔つきになっていきます。こんな顔が張りついてしまう日々を長期間送っていたら、そりゃ精神不安定になったり体調も崩しますよ。

私たちの身体は、言葉で「NO」を伝えられないときに、こうした顔つきも含めて身体が反応を出します。自分にとって何が最も譲れなくて、深いところで何が最も一番大事かは、身体が知っているからです。理性は理屈で嘘をつきますが、身体は実に正直です。読まないといけない空気だらけみたいな空間にいると、本当に息が浅くなるので、遅かれ早かれそのうち病気になります。嫌いな人と暮らしていたり、やりたくない仕事をダラダラ続けていたりすると、24時間がダラダラモードになります。ダラダラモードで食べて、ダラダラモードで寝て、ダラダラモードの娯楽で時間をつぶして、身のこなしやものの考え方に明晰さがなくなり、チャキチャキしたモードがちっともオンにならなくなります。オンはドーパミン分泌系のレジャーやエンタメに費やされます。これが文字通り「憂さ晴らし」と「気晴らし」ですね。

女性なら高級品のショッピング、高価格帯のお食事会や呑み会、ハイクラスの旅行やホテルステイが代表例でしょうか。ストレスが溜まっている時に店員さんにチヤホヤされて出口までお見送りされて深々とお辞儀されると、てっとりばやく憂さが晴れますもんね。その気持ちも分かる(笑)。ただし、それは気を紛らわして現実逃避しているだけなんですよね。内的な根っこの問題はグルグルと渦を巻きつづけていてピリピリしたままなのなのも、はたから見ていてまたよーく分かるんですよ。


トラブルやストレスが何一つない人生は有りえませんが、ありとあらゆることに完璧主義を通したり、他人に相談や協力やSOSを出さない頑張りすぎ、問題の抱え込みにつながる過剰な責任感は、遅かれ早かれ限界がきます。はたからみていると、限界の堤防が決壊して心身に破綻をきたしてから白旗上げる、みたいな展開が非常に多いです。白旗は早めに上げて、転職したり心の専門家に相談することを考えに入れてみてはいかがでしょうか。そういう行動を気兼ねしていると、結局は長期病欠や入院など、頑張って稼いだお金と有限の時間が全て治療費に充てられる・・・みたいな顛末になるんです。ちなみに、頑張らなさすぎる人は何でもないことでも常にすぐに白旗をあげています。頑張りすぎ、まじめすぎ、完璧主義、他人のことばかりやりすぎて自分を構わなさすぎるタイプの方は、ご自分が「白旗上げすぎタイプ」には当てはまらないことは、ご自分でもわかるはずです(笑)。

ちなみに、収入も問題解決もリーダーシップも「自分にはそんなことできません」みたいに、はなから何でも他人に頼る「白旗あげすぎさん」も世の中にはたしかにいます。が、自分の頭で考える力を身につけようともしないまま年齢を重ねていくと、周りの人に過度な負担を強きつづけているので、頼られっぱなしだった人が身体にいよいよガタがきはじめる50~60代で生死が関わるような大病をしたり、ある日突然亡くなってしまったりします。

無理する人は家庭でも仕事でもずっと無理しているので、そういうのがうれしいしやる気が出るタイプだったら、若いころはよいのですが、そんな調子を数十年続けたらガタが来る時期にそりゃ病気になります。まあ、こういう人は、他人や身内の助言を聞く耳持たないタイプが多いというのもあるのですが、日本人は基本的にやっぱり真面目ですから、無敵や不死身の人はいないので、自分に頼りっぱなしの相手に弱音を吐くとか、自立を促すとか、それでも自立しないなら「もう無理です。あなた(たち)にこれ以上付き合いきれません」とさっさと白旗上げるとかを、若いうちにマスターしておいたほうが良いのでしょうね。それもまたコミュニケーションスキルの1つです。

ただし、まだ女性の場合は、過労で死ぬ前に会社をやめます。しかし男性は本当に死ぬところまで無理して働いてしまいますから、頼りっぱなしも頼られっぱなしもお互いにバランスを欠いているという点ではやっぱり要注意ですよね。だから、「白旗上げ」は男性側(←有能である自分しか認められない)がよりマスターする必要があると思います。もしそうしたときに相手が「そんなの認められない」とか「ありえない!」などの拒絶反応を示した場合は、その愛情は「有能でたかれる相手」という条件つきの愛情だったということなので、「それはあなたが勝手に抱いた蜃気楼みたな幻想です」と言い放ってスッキリサッパリ離れたらいいんじゃないでしょうか。見切りをつけるよいきっかけにすればよい。

まあそういうカップルやつがいも、同レベルの割れ鍋に綴じ蓋的ペアなのでしょうが、生死をさまようほどの無理をしたり、無理をさせる関係性は、やはり健康的とは言い難い。それでも当人たちがそれでよいなら万事OKかもしれませんが、はたから見ていると、諸々が加齢とともに相当大変そうなほうに着々と、じわじわと、確実に歩を進めていくよね・・・という印象です。


その他に気になるのは、女性は「相手を思いやること」を「相手のご機嫌をとること」とイコールにしてしまい、自分の本音や本意を出せないままモヤモヤとフラストレーションを長年蓄積して、相手の察しを試すような態度が多くなってしまい、ある日(相手からしてみれば突然)大爆発する、というパターンも非常に多いように感じます。その気持ちも分かる(笑)。

ただし、「察し」は一言一句自分の要求に叶う反応が返ってくるはずがない他人(他人ってそういうものなのだけど)に期待してわざわざ超望み薄なテストをあえてやっているようなもの。冷静になれば、そんなことをやればやるほどますますドツボにはまり、自分にさらに強いストレスをかけることになるのは分かっているはずなんですよね。わからないことと不満があることはその都度ちゃんと声に出して相手に聞くのが多様な社会の前提です。

しかしあえてこれをやらないのは、そこには何かメリットがあるはずなんです。おそらくそれは、自分の発言に責任を負わず、逃げ道を用意しておくためなんじゃないかと思います。これを自覚しているかどうかは別として、自分の発した言葉が引き起こした相手の解釈や物事の展開に対して責任を負わずに「私は別に何も悪くない(=あなたが勝手にそう受け取ったんでしょ?)」というポジションをとるのが女性の狡猾さですよね。

人間関係における役割分担の固定化は、その人それぞれの得意不得意もあるのである程度は起こるものです。バブルのように何も考えなくても景気が右肩上がりの時は、まあそれでもやっていけます。しかし、中進国化した日本は高齢化に伴い疾病も増え、雇用も流動的、血縁単位で3代も4代も同じ集落に住みつづける時代でもない・・・となれば、命綱は最低3本必要です。1つ目は他人との関係性の構築能力と、2つ目は自分の心身の健康管理能力と、3つ目は個人の職能、です。こういう時代に「おんぶにだっこの立場がいい」か「私は悪くない」か「自分がやらねば」的に極端に偏った役割分担を長期的に続けて、母国語の運用能力は「察して」が頻出・・・となると、相手にしてみれば「日本人は何が気に入らなくて急に不機嫌になるかわからないから怖いし、考えていることをはっきり言わないから気味が悪い」になるし(←事実そういう風に思われているという・・・)健康な心身や信頼しあえる関係性とか、穏やかで協力しあえる明るい未来みたいな風には、どうも発展しえないように思います。

せっかく複雑な日本語をマスターしているのだから、その母国語の運用能力は「察し」や「遠まわし」よりも、「小学生にも伝わるぐらい平易な言葉で伝えて、自分の言葉に責任を持つ」という活用をするほうが良いのではないでしょうか。それだけ言ってもわからない相手なら、とっとと離れた方がよいですね。世の中に絶対はめったにありませんが、「この人しかいない」とか「この会社しかない」なんていうことは、絶対に無いですから。今すぐではなくても、目を凝らして耳を澄まして探していれば、働きぶりが真面目だったり人柄がよければ、何か他に開ける道が出てくるはずです。

私はお客様には、ほんとうに健康になって欲しいと思ってます。自分のケアを後回しにしすぎる人が日本人には多いです。自分の心身の健康管理を優先することは、決して自分勝手や身勝手ではなく、自分のことを気にかけてくれる人への最大の思いやりだということに、このコロナを機にぜひ気づいていただきたいですね。