ロレッタブログ

ブスが美人に憧れた話 - 2022.03.03

昨日に続いて、今日も心のブスの話。

フジコさんの「ブスが美人に憧れた話」も有名ですが、まだご存じない方もいらっしゃるかもしれないのでご紹介しますね。

ご著書もぜひ読んでみてください。あまりにも適当な外見はブスな内面の表れというのがよくわかります。数年前にご本人がAbemaのWの悲喜劇に出演していて、私はそれも観ました。Noteなども一通り読んだのですが、こんなふうに自分を正直に出せる人は、心はきっともう大丈夫だろうな、と思いました。

フジコさんのインタビューもおすすめです。

https://smakon.jp/marrial/2017/06/16/25431

昨日も書きましたが、いつまでもブスコンプレックスに後生大事にしがみついて心が卑屈なままで、「私はブスだから」「私、自己肯定感すごく低いんでー」的な卑屈と愚痴ばかり口にするので、ちっとも人生が好転しない人がいます。この類の言葉を常に人に聞かせるのって、あたりかまわず口から糞尿をまき散らしているのと同じくらいの迷惑行為だと思うだけど、本人はそんなことすら気付かないぐらい自分のことで視野狭窄しているのかもしれませんね。

あるいは、ひとたび「自分の最大の問題は、外見じゃなくてそういう中身のあり方がブスなことだ」と気づけばその次は「中身ブスな自分を変えるか or 中身ブスなまま生きるか」の自己選択自己決定に直面するので、しんどい思いをして自分を変えるぐらいなら、変えない現状維持の方が合っているのかもしれません。こういう人の中には、誰も頼んでないのに「変わるなら私は完璧にならないといけない!」と強烈に思い込んでいる人もいたりする。昨日に続きこれもまた人生経験と出会ってきた人間や生き方のバリエーションがとても狭いことの証明なのだけど、人間万事塞翁が馬、という言葉を知らないのかもしれない。こんな風に、卑屈と愚痴を常にまき散らしているのが性にあっているという人も、たまに見かけます。

人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。 幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

https://www.google.com/search?q=%E4%BA%BA%E7%94%9F%E5%A1%9E%E7%BF%81%E3%81%8C%E9%A6%AC&rlz=1C1FQRR_jaJP959JP959&sourceid=chrome&ie=UTF-8

そういう人は私から見ると、当たり前ですが「溌溂と躍動感ある生命体」という印象とは完全に無縁です。その人の年齢が30歳位までのうちは、正直「もったいないなあ」と思います。ただ、無理に今の自分にしっくりこない溌溂さを演技しても白々しさは痛々しい印象になるだろうし、そもそも無理は続かない。それができるぐらいならそんなキャラになってないでしょうし、そのまま生きるのもそのまま死んでいくのも本人の自由だしね。

ただ、なんとなくこれじゃいけないと心のどこかでは思っていそうな感じも醸し出していることがあるので、だったら自分の身を置く環境を自分で丁寧にちゃんと選んでいって、自分を好きになれるように経験と試行錯誤と時間を積み重ねていくようにすれば、いずれその人らしさが十全に出せるようになるんじゃないかな?と思います。自分の劣等感のすぐそばに、一番チャーミングな自分がいるはずだからね。

まあ、それが実現するのが50歳なのか、70歳なのか、100歳なのか人それぞれなのでわかりませんが、自分の頭で多角的に精査検討して、自分の責任で試行錯誤してトライ&エラーして、エラーも自分のために次に繋げていける人は、必ずちゃんときれいになる!と私は確信しているし、そういう女性こそ応援したいです。

おそらくこのタイプの心理的な最大の困難は、自分の頭で考えて自己選択と責任で決めること、でしょう。自分の人生を自分でさぼったツケを、人生後半では取り返すのはもっと困難です。気づいて変わるなら、30歳位までが良いですよ。