ピラティスは魔法じゃない10回・20回・30回──その言葉を現代にどう読み替えるか - 2025.11.21
はじめに

「10回で違いを感じ、20回で見た目が変わり、30回でまったく新しい身体になる。」
ピラティスを学んだことがある方なら、一度は耳にしたことのある言葉かもしれません。
これは、ピラティスの創始者、ジョセフ・ピラティス氏が残したとされる言葉です。
氏は1883年ドイツ生まれ、第一次世界大戦中マン島に抑留され、1926年にアメリカ・ニューヨークへ移住、1967年に亡くなっています。
しかし、この言葉をそのまま現代に当てはめるのは、少し注意が必要です。なぜなら、氏が活動していた時代と、私たちが暮らす現代社会では、「身体の使われ方」に本質的な違いがあるからです。
“10・20・30回”が成立していた前提
ピラティス氏が生きていた1920~40年代前後。
この時代、日用品・機械・通信の手段は、現代ほどに自動化・簡便化されてはいませんでした。例えば、電話があっても使うには場所に出向く必要があり、メールやスマートフォンといった“即時・無意識に身体を使わず完結する仕組み”は存在しませんでした。
実際、生活の中で「移動する」「探す」「書き出す」「出向く」といった身体的コストが比較的高かったことがうかがえます。
このような前提のもとで発せられた「10回・20回・30回」という言葉は、“身体がもともと一定の機能/動線を保っていた人々”を前提にしていた可能性があります。
当時と現代の「身体の使われ方」の違い
例えば現代の私たちは、
・スマホでメッセージを送るだけで済む
・オンラインショッピングで自宅に商品が届く
・移動も車・電車・エレベーターなどが当たり前
こうした環境が身体を“あまり使わなくても成立する仕組み”を作り出しています。
一方、1920~40年代の暮らしはどうでしょうか。
・電話をかけるためには家を出ることもあった
・手紙はレターセットを買い、鉛筆を研ぎ、持ち、書き、糊付けし、郵便局まで切手を買いに行き、貼り、ポストへ投函し、返事が届いているか郵便受けまで確認しに行き、返事を書き、また出向く
・靴を買うには数店舗を巡り、なければ取り寄せ、再度試着や受取に出向く
・写真を撮るにはカメラとフィルムを買い、撮影後に現像のため出向き、写真の受け取りに出向き、アルバムを買いに行き、アルバムに貼り、それを友人たちと集まって眺める
こういった“ひとつひとつの用事に身体を使うプロセス”が、当たり前に存在していたのです。それゆえ、身体は自然と“使用されていた”という前提が日常に組み込まれていました。
現代人が「10・20・30回」で変わりにくい理由
現在の多くの人が、
- 関節位置に著しいズレがある
- 筋肉が十分に使われず眠っている
- 脳→身体への指令伝達(操作技術)が鈍っている
- 全身のセンサーや感覚機能が鈍っている
- したがって全身の感覚統合もできなくなっている
という状態からスタートしています。
これは“筋力がない”“根気がない”という話ではありません。
むしろ「現代人は身体操作のOSが壊れている」のです。OSを初期化からやり直す必要がある段階まで損なわれている、と捉えるべきです。つまり、脳と身体の神経回路を再構築する必要があるのです。
そのため、「10回で劇的に変わる」「20回で見た目が変わる」という期待に届かないことを経験しても、それは能力の問題ではなく、スタート地点の違いによる当然の反応なのです。
再学習=身体操作OSのアップデート
身体を本当に変えるためには、次の3つが大切です。
1:気づく(「これまでの使い方では限界がある」と知る)
2:体験する(正しい動きを“身体で”経験する)
3:繰り返す(その動きを日常化し、脳に新しい回路を刻む)
このプロセスが、年齢を重ねた身体ほど時間を要します。なぜなら、クセや習慣が根深く、長年“自動運転”されていたからです。
ですから、「20回で変わらない」と落ち込む必要はありません。むしろ、正しい方向での継続が何よりも大切です。
歴史映像が示す「身体使用度の違い」
1920年代、1930年代、1940年代のニューヨークの日常映像を見てみると、移動も荷運びも手作業が多く、身体が自然と使われていたことが視覚的に理解できます。
これらの映像は、現代とは異なる身体使用の“当たり前”を感じさせてくれます。そしてそのギャップを理解することが、身体を変えるための第一歩となるのです。
結び
ピラティスは魔法ではありません。
しかし、正しい方向で続ければ、必ず身体は応えてくれます。
できない自分に出会うこと。
それは、才能や根性の問題ではなく、次のステージへ向かう「設計のサイン」です。
あなたの身体は、今この瞬間から再構築できます。
焦らず、自分のペースで。「質×量×継続」で変化していく過程も楽しみながら、歩んでくださいね。
