やる気に頼らず続ける大人になるために──「裸の女王様」にならない生き方 - 2025.12.27

私たちは、新しいことを始める時には、たいてい「やる気」や「モチベーション」がちゃんとあります。
新しいノートを買った時、新しいウェアを揃えた時、新しいスタジオに通い始めた時──あの高揚感は、誰にでもあります。
でもあれは、単に「新しい体験への期待」で一時的にブーストされているだけ。
言ってしまえば、スタートダッシュ用の花火のようなものです。
そして、その花火が長く続かないことは、大人なら誰でも、人生経験上知っています。
それなのに、何かにつけて「やる気」や「楽しいかどうか」に頼り、自分の行動を決めてしまう人は少なくありません。
「楽しくないからやめる」
「気分が乗らないから今日はやらない」
この判断基準のまま生きていると、何歳になっても「最初の3回だけ頑張って終わる」のくり返しになります。
厳しい言い方をすれば、「大人の身体を持ったまま、判断基準だけ子どものまま」です。
◆ メディアとマーケティングに踊らされる「新しいものジプシー」
今の時代、SNSも広告も「新しい」「すごい」「これさえあれば」にあふれています。
ダイエット、自己啓発、美容、語学、運動、ピラティス──。
メディアやマーケティングに踊らされて、思考停止のまま次々と新しいものに飛びつき、少し経つとまたやめてしまう。
自分の行動パターンも失敗パターンも振り返らずに、
「次はうまくいくかもしれない」
とだけ期待して、また次の「何か」に飛びつき続ける。
これは、かなりきつい表現になりますが、
「自分で考えることをやめて、ただ踊らされている猿かロボット」とあまり変わりません。
せっかく私たちは「考える力」と「学習する力」を与えられているのに、
「楽しくないからやめる」「飽きたから次へ行く」という短絡的な基準だけで物事を手放してしまうとき、そこには成熟した知性はほとんど使われていません。
反応しているのは、退屈を嫌がるだけの「幼い脳」の部分です。
短編アニメーション「Happiness」も、まさに同じ構図でした。
次々と新しいものを追いかけては飛びつき、「これこそ幸せの答えだ」と信じるけれど、最終的には何も変わっていない日常に戻っていく──。
モチベーション任せ、新奇性任せの生き方には、たいていこの「同じ日々のくり返し」というオチがついてきます。
ひたすら新しいモノや刺激を追いかけ続ける主人公は、その瞬間は確かに高揚し、満たされたような気分になります。でも、どれだけ買っても、どれだけ手に入れても、結局は同じような日常に戻っていく。その繰り返しの中で、私たち自身の姿もどこか重なって見えてしまう作品です。
今回のテーマに「ドキッ」とした方には、ぜひ一度ご覧になってみてほしい動画です。
◆ 挫折してから反省するのではなく、始める前に「挫折ポイント」を見積もる
だから本来は、「挫折してから反省する」のでは遅いのです。
自分の苦手なことにチャレンジする前に、起こりそうなパターンを具体的に想定しておく。
このほうが、よほど合理的なやり方です。
例えば、少し想像してみてください。
・しばらくするとマンネリしてくる
・最初の高揚感が抜けて「やる気が出ない日」が続く
・仕事や家事が立て込み、予定通りにこなせなくなる
・繁忙期や年度末など、一時的に頻度が落ちる
・体調を崩して、しばらく何もできない期間が出る
この程度の展開は、大人なら人生経験上、誰でも予測できるはずです。
本来やるべきなのは、「そうなった時、自分はどう対処するか」をあらかじめ決めておくことです。
・最低限どのくらいの頻度を死守するのか
・サボった後の「リスタートの手順」をどう決めるのか
・あえて誰かに軽く宣言しておき、引き返しにくくしておくのか
対策を先に用意しておけば、「やる気がないから終わり」にはなりにくくなります。
一方で、何も考えずに新しいものへ飛びつき、
「忙しくなったから」「飽きてきたから」といった幼稚な反応だけで同じ失敗をくり返す人も少なくありません。
その積み重ねの結果、10年、20年とほとんど進化しないまま時間だけが過ぎ、
「気がついたら50歳、60歳になっていた」というケースは、実際によく起こります。
思考停止で飛びつき、都合の悪い局面が来たらその場の感情で手放す──。
そのやり方を続けている限り、年齢だけが重なっていくだけで、内側の「成熟」は置き去りのままです。
◆ 人が継続できない時に口にしがちな「15の理由」と、その裏側

ここで一度、私が日頃から見ていて「あるあるだな」と感じる、継続できない人がよく口にする理由を整理してみます。
ちょっと辛辣ですが、図星だと感じる方も多いと思います。
1)忙しくて時間がない
表向きの言葉:仕事が立て込んでいて… 家事が… 子どもが…
裏側で起きていること:「そこまで優先順位を上げるほど本気度が高まっていない」。スキマ時間をひねり出す工夫をする前に、「忙しさ」を免罪符にしている。
2)やる気が出ない・モチベーションが続かない
表向き:気分が乗らなくて、楽しくなくて…
裏側:「気分」と「やる・やらない」を切り離す訓練がされていない。気分が悪い日は「やらなくていい日」というマイルールで、一生やらずに済ませている。
3)結果が出ないから続かない
表向き:こんなにやっているのに変わらないから…
裏側:「短期間で劇的変化」という非現実的な期待設定。頻度・質・期間、どれをとっても客観的には「まだ全然やっているうちに入らない」ケースが多い。
4)自分には向いていない気がする
表向き:センスがない、才能がない、体が硬すぎるから…
裏側:成長の初期に必ず起こる「できなさの不快感」から逃げたいだけ。向き不向きの前に、単純に「慣れの時間」が圧倒的に足りていない。
5)完璧にできないなら意味がない
表向き:中途半端にやるくらいなら、やらないほうがいい
裏側:完璧主義を盾にした「先延ばし」と「自尊心の防衛」。少しずつ下手なりに続ける自分を受け入れるのが怖い。
6)一度サボったから、もうダメだと思ってしまう
表向き:今さら戻るのも気まずいし… またゼロからだし…
裏側:「継続=皆勤賞」という大きな誤解。リスタートが苦手なのを認めたくない。失敗をきっかけに、そのまま「やめる理由」に変換している。
7)合わなかっただけ・しっくりこなかった
表向き:雰囲気が… 先生が… なんか違う気がして…
裏側:不快・戸惑い・地味な努力を「合わない」というラベルで処理しているだけ。本当の意味で「合う・合わない」を判断できるほど、そもそも経験していない。
8)お金がかかるから続けられない
表向き:今は出費を抑えたくて…
裏側:優先順位の問題。外食・嗜好品・レジャーにはそれ以上払っているケースも多い。短期の快楽には出せるが、「長期の自己投資」になると急に渋る。
9)タイミングが悪かった
表向き:年度末で、繁忙期で、今はいろいろ重なっていて…
裏側:「タイミングが良い時期」なんて一生来ない。いつも何かしら理由を見つけて、スタートや継続を先送りしている。
10)人間関係・環境のせい
表向き:家族の理解がなくて、職場の雰囲気が…
裏側:環境調整の交渉や工夫をする前から「無理」と決めている。自分が変えられる行動の範囲まで、環境要因に丸投げしている。
11)体調・年齢のせい
表向き:年だから、体力がなくて、昔ケガをしていて…
裏側:「できる範囲で調整しながら続ける」という選択肢を取らず、年齢・体調を「やらない理由」として永遠に使い続けている。
12)飽きっぽい性格だから
表向き:昔から三日坊主で…
裏側:「自分はそういう人間」というラベルを貼って固定し、変える努力を放棄している。性格のせいにすると楽だが、その瞬間に学習は止まる。
13)もっと良さそうな方法を見つけたから(乗り換え癖)
表向き:もっと効率的なメソッドを見つけて…
裏側:新しいものに飛びつく瞬間だけ自尊心が満たされる「メソッドジプシー」。どの方法も「続けて検証する」という、一番地味なステップに到達していない。
14)忙しくなったらまた再開するつもり
表向き:落ち着いたらまた始めます
裏側:「具体的な再開の条件と期日」がない、ただの自己慰安。未来の自分に丸投げしているだけで、実質的には「やめる宣言」とほぼ同じ。
15)屁理屈系(でも、実際によくあるもの)
「今日は雨だから」
「新しいウェアを買ってから再開したい」
「マットを敷くスペースがない、部屋が散らかっている」
「今日は月曜日だからキリが悪い、来週からにしよう」
「疲れているから、全力でできないのは失礼な気がする」
これらはすべて、「やらない自分を正当化するためのストーリーづくり」です。
ここまで読んで「うわ、これ私だ…」と感じた方がいたら、その感覚はとても大事です。
図星だからこそ、グサッと来るのです。
◆ 「見てほしい、でも本質は突かれたくない」という矛盾
少し視点を変えて、承認欲求の話もしておきます。

正直に言うと、私自身も含めて、多くの女性は心の奥で
「私に注目してほしい」
「私を見てほしい」
「私に関心を注いでほしい」
という欲求を持っていると思います。本人が自覚しているかどうかは別として。
だからこそ、
「パートナーが相手をしてくれない」
「メールの返信が遅い」
「私の変化に気づいてくれない」
といった不満や愚痴が増えます。それは「私のことをいつもちゃんと見てくれている」という感覚が、多くの女性にとっては一番わかりやすい愛情表現のひとつだからです。その欲求を一時的に満たしてくれるのが、気軽なおしゃべり相手や、サービス業の人たちです。
「髪型変えました? とてもお似合いですね」
「そのコート新しいですよね、素敵です」
「いつもおしゃれですね」
こういう言葉をかけてもらうと、「自分を見てくれている」「気づいてくれている」と嬉しくなりますよね。ただ、ここで一度冷静に見たいのは、
・サービス業の人は売上のためにプロとしてのリップサービスも含めてそう言っていること。
・女友達の「かわいい・素敵・似合う」の半分は、「自分もそう言われたい」という気持ちの裏返しであることです。
本当に自分に関心を持って見てくれている人なら、辛辣なことも指摘されて当たり前です。
「その生活を続けていたら、10年後しんどくなると思う」
「その考え方は、実はあなた自身を一番傷つけているよ」
「最近、言い訳が多くなっていない?」
時にはこういうことを言ってくれる人こそ、長い目で見れば一番の味方かもしれません。
それなのに、本質は突かれたくない。
オブラートには何重にも包んでほしい。
でも、いいところだけは見逃さずに褒めてほしい──。
この態度のままでいると、「裸の女王様」が出来上がります。
周りは合わせて褒めてくれるけれど、誰も本当のことは教えてくれない。
本人だけが、いつまでも「私はこのままでいい」と信じてしまう。

童話「裸の王様」の一場面。誰も本当のことを言えず、王様だけが堂々と裸のまま進んでいく……あの有名な話です。気づかないうちに、私たち自身が「現代版・裸の王様/女王様」になっていないでしょうか。
大人になってからも「見てほしい」「褒めてほしい」という欲求だけを優先していると、本当に必要なフィードバックと学習の機会を、自分で潰し続けることになります。
◆ 「本音を言ってくれる人」がいるかどうかと、自分の振る舞い
本当に自分のことを見てくれている人は、時には耳の痛いことも言うはずです。
実際、長く通ってくださっているお客様からは
「Wakana先生は、いつもドキッとするようなことをちゃんと言ってくれるから、身が引き締まります」
とおっしゃっていただくことがあります。
耳ざわりの良い言葉だけを並べることもできますが、それでは人生の軌道修正にはつながりません。だからこそ、私は「気持ちよさ」だけでなく、「未来の自分のために今聞いておいた方がいいこと」も、できる限り率直にお伝えするようにしています。
その代表は、本来いちばん近くにいる家族だと思います。
特に子どもは、親が弱っていったときに、介護や経済的な負担をほぼ確実に一緒に背負う立場になります。日本の文化や制度の中では、それは「ごく一部の特殊なケース」ではなく、多くの家庭で起こり得る現実です。それでも、「そんなこと言ったら角が立つから」「言わなくても分かってくれるはず」と、本音を飲み込んでしまう家族も少なくありません。
友人関係も同じです。日頃から本音を出さず、当たり障りのない会話しかしない相手に対しては、こちらも当たり障りのない言葉しか返せません。相手の本質に踏み込むような指摘をするのはリスクも伴いますから、
「ここまで言っても大丈夫」
と信頼できる関係でなければ、誰もあえて言ってはくれないのです。
そう考えると、今の自分の周りから聞こえてくる言葉は、そのまま自分が育ててきた人間関係の鏡なのかもしれません。本音で向き合ってくれる人が少ないとしたら、それは「私の周りは優しくない」からではなく、「本音を言い合える関係を、自分から育ててこなかった」結果かもしれない。
未来の自分と、大切な人たちを守るためにも、ときに厳しいことも言ってくれる相手を大事にすること。そして自分も、誰かにとっての「本音を言ってくれる人」になること。これは、実はとても大事なライフデザインだと私は思います。
◆ 「自分よりできない誰か」を探すクセから卒業する
もうひとつ、私が日頃から気になっていることがあります。
それは、自分の家族を「自分よりできない誰か」として位置づけてしまうパターンです。
「うちの子は○○ができない子で」
「夫は私より体が硬くて不健康」
「夫のほうがお酒をよく飲むから、私はまだマシ」
といった言い方で、「自分よりもできていない家族」を引き合いに出して、自分の現在地を少しマシに見せようとする人は少なくありません。
家族に限らず、
「同じ会社の○○さんなんてもっとひどくて」
「友人の△△ちゃんは全然気にしていない」
など、いつも「自分よりできない誰か」を探しては、その人のことを下げて語らないと、自分の立場を保てない。これは、残念ながら心の弱さです。どれだけ理屈を並べても、「自分の課題から目をそらしている」という事実は変わりません。
子どもは、親にとってはいつまでたっても子どもです。そもそも体も、人生経験も違います。本来は比べる対象ではありません。
女性と男性の身体は構造もホルモン環境も違います。
夫であれ彼氏であれ、「家族」ではあっても別の人格であり、別の条件を持つ他人です。家族は「巻き込まれあう前提」の関係性ですが、夫婦は極端な話、いざとなれば離れて他人に戻ることもできます。
会社の同僚や友人がどう生きていようと、それはその人の人生の課題であって、今この瞬間の自分の課題とは本来関係がありません。
結局、人格は、「日々どんな行動を選び続けているか」の積み重ねで静かに形づくられていくのだと思います。いつも他人を貶めることでしか自分の優位性を保てない人は、そのたびに「誰かを下げて自分を守る」練習を重ねているようなものです。
その結果、本来鍛えるべき現実を見る力や問題解決力ではなく、「他人を見下して安心する能力」ばかりが上達していく。これを50歳60歳まで続けている人は、50年60年もの年月があったのに、そんなスキルばかりを磨くような生き方しかしてこなれなかった人だ、ということです。
誰かを貶めないと自分を保てないようなプライドは、残念ながら本物とは言えません。
もし、エクササイズがうまくできない自分にがっかりしたり、長年の癖がなかなか抜けないことにもどかしさを感じたり、「体を引き締めたい気持ちはあるのに、思うようにスケジュールが組めない」「想像以上に体力も柔軟性も落ちていてショックだった」と感じるなら、それ自体は決して悪いことではありません。
大事なのは、その時にどう反応するかです。
「こんなところで私は終わるわけにはいかない。終わるものか」と、自分を奮い立たせて、次のステージに上げる努力を自分で引き受けられるかどうか。悔しさをちゃんと味わえる人ほど、むしろ伸びていきます。
悔しさももどかしさもろくに味わわず、「私は悪くない」「環境が悪い」「タイミングが悪い」と言い訳を並べながら、次の何かに乗り換えてしまえる人の方が「伸びていく」というのは、ある意味では大変稀かもしれません。それはおそらく、起こりません。
私は、負けず嫌いであってほしいと思います。悔しさももどかしさもたくさん感じて、それでも一歩でも高みに上りたいと願えるほどに、「こんなところで終わる程度の存在で、自分をあきらめるわけにはいかない」と思える。そんなふうに自分を大切にできる人は、必ずどこかで一段ギアが上がります。
そうやって積み重ねてきた日々の選択が、数年後、数十年後の「その人らしさ」として定着していきます。

逆にいえば、「言い訳ではなく、小さな行動を一つ積み重ねる」こともまた、同じように練習であり、人格をつくるトレーニングです。
誰かを引き合いに出して安心する代わりに、今日の自分の選択を少しだけマシなものにしていく。
その地味なくり返しが、静かに私たちの未来を変えていくのだと思います。
誰か「自分よりできない人」を探して安心材料にするのではなく、「今の自分より少しマシな未来の自分」を基準にすること。
継続がテーマのとき、この視点に切り替えない限り、何を始めてもまた同じ言い訳とパターンに戻ってしまうと私は感じています。
◆ やる気に頼らず続けるために、私たちができること
ここまで、少し辛口にあれこれ書いてきました。
最後に、「ではどうするのか」をシンプルにまとめておきます。
・「挫折してから考える」のではなく、「始める前に挫折ポイントを想定する」
・自分が口にしがちな言い訳に名前をつけておき、「また出てきたな」と自覚する
・耳ざわりの良い言葉だけくれる人ではなく、本音も伝えてくれる人をそばに置く
・「自分よりできない誰か」ではなく、「昨日までの自分」と比較する
ピラティスでも、勉強でも、仕事でも、エステでのお手入れでも。
本当に人生を変えるのは、「やる気に満ちた最初の3回」ではなく、淡々と積み重ねた100回目です。

Lorettaでは、きれいごとやリップサービスだけでお客様を褒めることはしません。
時には耳が痛いことも含めて、「未来のあなた」にとって必要だと思うことをきちんとお伝えします。
それは、今のあなたの気分を守るためではなく、10年後、20年後のあなたと、あなたの大切な人たちを守るための「大人の選択」だからです。
やる気に振り回されず、静かな継続を味方につけたい方は、いつでもご相談ください。
