相手の立場に立てば、どんな人も一方的には責められない
ー甲原さんご自身は、ご両親からどのような声かけをされていましたか?
甲原:記憶に残る発言というよりは、誠実に働くこと、自分だけ利益を得ようとしない姿勢は、両親の働く姿から自ずと学びました。私が15歳の夏休みにアルバイトしたお好み焼き屋の皿洗いの時給はたしか450円か500円ぐらいだったでしょうか。10時間働いても5000円程度。働いて食べて、自分で自分を生かしていくのは本当に大変なことだと、親を見ても、自分の体でも知る日々でした。
親に叩かれたり蹴られたりすることもあったので、「親を恨みませんか?」とお客様に訊かれたこともありますが、「たしかにあそこまで怒らなくても良かったよね」と思えど、毒親とは全く思いません。人間は勝手なので、他人の気に入らないことはいくらでも挙げられるんです。しかし親にも限界があり、言い分だってあるでしょう。心身のキャパの限界を何度でも超えた状態があっただろうに、よく投げ出さずに、人の倍どころか5倍6倍も懸命に働いていたのは、家業を手伝っていた私がよく知っています。大人になれば、男女の仲がどれほどはかないものかもよくわかるでしょう。その中で、なんとかして子どもにとっての家を成り立たせようと必死だったのも、子どもだった私と姉は十分よくわかっています。あんなに大変な暮らしをよくやったものだと思いますよ。私にはできません。
―素晴らしいですね。
甲原:「大人である」という条件は、自分の立場だけではなく、相手の立場に立って考えられることが含まれます。相手の立場になってみれば、一方的に責めることはできません。無責任に一方的に人を責めていたら、物事がうまくいくわけがありません。そもそも親ってただのおじさんとおばさんですよ。親というだけであれこれ期待されても、親だって困りますよね。親も初めて親になるわけで、うまくやりようがないのが普通でしょう。姉が先に生まれていましたが、二人目の子供を持つという経験は親にとってもまた初めてのことだったわけですから。親にも悪いところはあったでしょうが、今の自分の何もかもを親のせいにするのは甘えでしょう。私の友人や知人にも、とんでもない虐待の経験者はいますが、その場合は親に何かしら知能に問題があったり、精神疾患に近いものがあるように感じるので、それはまた別の次元の問題ですよね。
とはいえ完全無欠のパーフェクトな親像を求めるのは非現実的です。たとえば受験勉強中の子に親が夜食を持っていったとき、ダイエット中の娘は『太るのに余計なことを』となり、勉強に没頭中の子は『気を削がないで』、お腹が空いた子は『ありがとう!いただきます!』となる。つまり、どれほど親が子供のことに思いを馳せたつもりでも、子供のその瞬間の気分次第で、親の言動や行動の解釈も変わるんです。自分の移ろいやすい感情に合わせて、逐一相手がこまやかに細やかに対応を変えてくれるわけがありません。そんなものは幻想か妄想の世界のお話です(笑)。
そして、もし何もかもに恵まれた家庭に生まれたとしたら、次は「親ができすぎていて環境も恵まれ過ぎていて、結果をださなきゃいけないプレッシャーを感じる」とか言いはじめるのが関の山なんじゃないでしょうか(笑)。いつまでもそんなことを言っているのなら、じゃあ何が揃っていてどんな親なら満足だったんだよ、と自分に問うたほうがいいですよね。自分も相当自分勝手だな、と気づくでしょう。そして、無い要素でよほど手に入れたいものがあるのなら、それは自分で揃えればいいだけのことです。
ーたしかにそうです。
甲原:とくに、人は近い人間関係ほど、自分の思い通りに動いてくれるように甘えて期待します。それを大人になっても続けると、対人関係でトラブルが絶えない人になる。
だから、そういう甘えと期待の依存的思考の修正は、できるだけ若いうちが良いですよ。できれば30歳ごろまでには軌道修正したい。30歳といえば、社会に出て約10年。それだけ経っても自己の俯瞰と修正ができなければ、本人も生きづらくて大変なはずです。たとえキャリアをある程度築けていても、人間的にかなり不安定なのは周りの人も気づいているのではないでしょうか。
実社会での経験は大事ですが、良い本や映画にたくさん触れると疑似体験ができます。人間関係でいつもつまづいている人は、試してみると良いかもしれませんね。優れた作品ほど二元論ではありませんから。「良い人、悪い人」という極論ではなくグレーゾーンをどこまで許容できるか。これも1つひとつ考えていく姿勢に繋がると思います。見たまま、読んだままにせず、思いをめぐらせることです。
ー人との関わり方をちゃんと見つめ直す、と。
甲原:もちろん「すべては相手に非がある。自分は間違ってない」と思うほうがラクですよ。でもそれは、結果的に自分の首を締めることになります。それはひとたび社会に出れば、歳を重ねれば重ねるほど、プライベートでも仕事でもどんどん苦しくなっていく思考回路です。
たとえば仕事面で正直に言いますと、美容の業界でも、多くのお客様は常識的で善良なのですが、人間関係の距離の取り方に難のあるお客様の話が伝わってくることがしばしばあります。たとえば頻回の当日キャンセル、サロンの備品を盗む、携帯電話の番号を聞きたがる、プライベートでも会いたがる、予め合意したはずの解約規定にごね始める、ごねれば安くなると思っているからとりあえずなんでも値切る、断われば気分を害して何かにつけてクレームを言い始める、などです。これでは好ましい関係性を成立させようがありません。
どのお店もスタッフも「お客さまの美と健康のお役に立ちたい」という気持ちありきで仕事をしているはずです。美と健康のために日々技能を磨いている人達を強い味方できる関係性を築くどころか、自ら壊しにかかるような無粋な振る舞いは長い目で見て大きな損をしていると思います。サービス業相手だと幼児返りしやすいのかもしれませんが。
東京のようにお店が多いエリアなら次のお店はいくらでも見つかるとはいえ、どのお店でもいずれそのうち「困ったお客さん」と認定されては悪循環に陥りますし、お店が少ない地方や田舎なら行けるお店がなくなってしまいますから、関係性づくりのスキルの低さは致命的です。おそらくいつも似たようなことで躓いているので、もったいないです。
ーええ。
甲原:全ての人が人間関係の中で幸せを感じられる生き方をする必要はありません。ただ、これはその人を尊重するから言うのですが、クレーマーや被害者でい続けることが、自分らしいポジションであり、ネガティブが大好きでしっくりくるならそれでも良いと思います。それはその人の自由ですし好みもありますから。しかし、本人が行き詰まっているなら、対人関係や 考え方を変えたほうがもう少し生きやすいのでは?と思います。
世の中は自分中心に構成されていないので、幼児期に万能感があっても受験や就職や仕事や恋愛など人間関係で思うようにはいかない現実に直面して躓けば、己の能力の程度とレベルに気づかされるものです。「これが現実だ。しかしこの自分で生きていくのだ」と認めて、セルフイメージを「至らない自分」という適正なレベルに修正し、卑下せずに受容することで成長していくのです。
ですから、プライベートでも仕事でも勉強でも現実から逃げ続けて、夢のように完壁で完全な自分で、その夢を見させてくれない人は最悪、みたいな妄想にいつまでも浸っているのはあまりにも幼稚だと思いますし、そんな似非完璧主義は何の役にも立ちません。自助努力で自分の可能性を広げるのも大切ですし、そうすればその結果、嫌でも自らの得手不得手、不完全さを思い知りますから、周りの人とお互い様の気持ちで励まし合ったり支え合ったりできるのではないでしょうか。
ーそこにちゃんと気づくには、具体的にどうしたらいいでしょう?
甲原:違うものの見方や、質の高いアイディアやスキルを持っている人の側に身を置くことはとても大事です。本なり映画なり外につながる世界はありますから、自分が変わりたいと思う人間を見つけること。人は環境から最大の影響を受けますが、なかでも人間に最も影響されると思うからです。そしてその人のやっていることをとことん真似るところから始めればいい。生きている人の中にお手本がいないと思うなら、昔の偉人でもいいんじゃないでしょうか。むしろ亡くなっている人のほうが欠点は見えづらいので、お手本にしやすいかもしれませんし(笑)もちろん、全くのゼロから誰の助けも借りず刺激ももらわずに、自分で自分を成長させるほどの力量がある人なら、誰の真似もせずに我が道を行けばいいと思いますよ。
本来は、欠点も含めてまるごと誰かに強烈に感化されるほうが望ましいと思いますが。今はインターネットもあるから便利ですよね。つい「出会いがない」と口にする人もいますが、田舎の高知県には本当に出会いはなかったですよ(笑)。
私は、何としてでも自分を良い方に導きたかったし、大人になったら親や他人の経済や都合や事情に依存するのではなく自分で自分を食べさせていくと決めていましたし、そのために技能を備えた専門職を志しました。誰かに経済的に依存するのは、私にとっては自分の人生の運転を赤の他人に任せるようなもので、暴走しはじめたりあらぬ方向に進み始めても自分でブレーキを踏んだり、ハンドルを切り替えることすらできないことを意味しますから、あまりにもリスクが大きすぎて選択肢になりません。
ですから、何が起こるか分からない長い自分の人生を自分で生き抜くために、「働かない」という選択肢も私にはありません。そのためには、良いも悪いも多種多様な大人を意識的に知り、道行を照らす灯のようなロールモデルを探しだし、自分の得手不得手を自覚することが必要でした。そういう意味では、色んな本を読んだり映画をみたり、全く違った世界の大人達の話を聞くのは本当に勉強になりました。特に女性は、キャリア形成と結婚・出産の重要な時期が完全に丸被りするので、情報収集はしておいて損はないです。
そして、1日は24時間しかないので、子どもと過ごす時間を持とうとすると、仕事のプライオリティーが下がる。今も状況はそんなに変わらないかもしれませんが、私のような手に職は中途半端なレベルであればあるほど潰しがきかないと思いましたし、特に就職氷河期世代は、出産するならその前にキャリアをある程度ちゃんと築いて「産休育休を取得してもいいから、ぜひ職場に戻ってきて欲しい」と言われるレベルになっておく必要がある、という認識でした。
ただし、エステのようなサービス業は平日は夕方から夜が、そして土日が最も忙しいんです。しかも勤務体系は早番遅番のような働き方はない終日勤務でした。朝8時に家を出て、夜0時ちょっと前ぐらいに帰宅するのが普通です。つまり、よほど実家が近くになければ子どもを迎えに行く人すらいないのです。その環境がない人は、産んでも誰が育てるのか見当もつきません。
今とは違い、当時は残業代や休日出勤手当などという概念も全く無い業界だったので、こんなのどうやったって私には両立は無理です。そもそも自分に問うてみても「大人になれば結婚して子どもを産む」、と考えたことはなかったですし、どちらかというと稼ぎのいいパートナーを見つけるよりも、前述したように自分の人生を経済的にも精神的にも確立させるために仕事をするほうが優先度はずっと高かったのです。
ですから私は20代前半で「結婚はしない、子どもも持たない、その分キャリアに全振りして自分がサバイブすることに集中する」と決めました。ただしそれは、仕事をとるかプライベートをとるか、という二択を迫られるというよりもむしろ、自分の人生に必要なものを考えて選んだだけですね。人生は長いですが、30代前半ぐらいで結婚や出産をどうするか考え始める人が多い印象だったので、「だったら私は人より10年早めに決めて、無理ゲーの上塗りになる選択は初めからしないでおくことにしよう」と。
ちょっと話は逸れますが、最近様々な子育て支援が出てきたのはとても良いと思っています。ただし、今の支援はどうしても子育てと仕事を両立する人のための支援のように思えるので、共働き大前提で子供を育てるだけでなく、子どもが不登校になったり病気になったりで両立したくてもできない人もいますから、子育てに専念する選択肢ももっと充実すれば、女性自身が安心して自分の人生を選べると思います。
エステで働き始めて以来、周囲からは何度も「私には、甲原さんみたいな才能はありません」「私はそこまで頑張れない」と耳タコなぐらい言われましたが(笑)、私が特別に恵まれた環境で育っていないのはお話したとおりです。徹底的に量をやりこむ前から「無理だ」と口にする固定観念に囚われず、自分の人生で何が重要かじっくり考えてから、徹底的かつ継続的にフレキシブルにトライし続ければ、意外と道は開けると思います。ただそこに至る前に、そんなにハードルは高くないはずのことですら早々にギブアップする人が多い、というだけのことじゃないでしょうか。圧倒的に量が足りていないんですよ。質が追い付いてくるのはある一定の大量の「量」をやってからだと思います。
一時的に他人や親や環境のせいにしたくなる気持ちはわかりますし、たしかに他人や親が悪かったこともあるでしょう。ただし本当に全てがそのせいなのでしょうか。自分で切ることは何もなかったのでしょうか。じゃあたとえば、いくら過去に遡っても、自分に何もできることがなかったとしましょうよ。では今も、今以降も、自分にできることは何もないのでしょうか。それはまた全く別の話ですよね。
生きていれば、どうしても今いる場所で耐え忍んだり我慢をしなければいけない時もあるし、様々な事情で自分のことがどんどん後回しになる時期もあります。ただし、それは一生続くものではないんですよ。いずれ自己選択できる時期がきた時に、どういう道に行くのかを考えて、その時が訪れたらさっさと次に歩を進めるのが良いと思います。
ようやく自己選択できる時が来たのに、自分の人生をさらにないがしろにする方向に歩むのか、少しでも自分で自分を良くしてあげる道を選ぶのか。他人は、決して自分の人生の責任を取ってくれません。どれを選ぶかは本人の自由です。自分をないがしろにしたツケは自分が自分の人生で払うだけです。他の誰も自分の代わりにそのツケは払ってくれないんですよ。親は親の人生、自分の人生はまた全く別の話です。
世の中には理不尽や不平等も沢山ありますが、もし自分の人間関係がさみしかったり物足りなかったり退屈だったりするならば、さらにそれを言い訳にしてもっと行動しないのならば、世界の中でも特に恵まれた日本でのつまらない毎日は、自分のせいだと思いますね。