ロレッタインタビュー(vol.5)

自立して生きるために「手に職」をつける

ー今回は、甲原さんのキャリア形成についてお聞きしたいと思います。将来の仕事について、意識を持ち始めたのは、いつ頃ですか?

甲原:まだまだ日本は、会社勤めを一般的な生き方とする意識が強いような気がするのですが、私自身は昔から会社員で事務をするといった生き方を全くイメージできませんでした。「サラリーマン」「会社員」という存在が、叔父夫婦を除いて身近にいなかったことも理由にあるかもしれません。
家族や親族、家族ぐるみで親しい知人は、みな手に職がある人たちばかり。「生業」と呼べる専門的な職業に就くのが当たり前、という環境で育ったので、私もエステティシャンという道を選びました。

ーたとえば、周りにはどんな職業の方がいらっしゃったのでしょう。

甲原:洋裁職人、ピアノ教師、臨床検査技師、美術館のキュレーター、畳職人、建設会社経営、洋品店経営、美容師など、思いつくだけでもたくさんいますね。経営者も多くて、鉄工所や飲食店、食料品、美容室などを経営している人も少なくありません。

最近調べたところでは、私の地元の高知県は、自営業の割合が全国第2位でした。ですから、自分で何か商売をはじめて食べていくことはちっとも珍しくないのです。

ー近くに自営業者が多いと、自分で事業を回していく苦労を目の当たりにしてきたと思うのですが。それでも「手に職」が良かったのですね。

甲原:ええ。誰かに雇用されていると、与えられた仕事にただこなすだけになってしまうリスクがあると思いました。私は、やりがいなく愚痴にまみれ、かといって転職したりスキルを上げる努力もせず、ただ定年まで会社にしがみつくような、なし崩し的に毎日を過ごす生き方は絶対に嫌でした。

極端なたとえですが、所属する組織や肩書や役割などの高ゲタを履いて威張る大人と、そういうものに一切頼らずに、たたき上げで獲得した専門性によって、活力や魅力にあふれている大人。そのどちらになりたいかと問われたら、私は後者を選ぶほうなのです。若い時から試行錯誤して、自分のやりたいことをやって失敗したほうが100倍マシと思う性分です。

前者のような職場で働いていると、悪い性質が自分にも感染して腐りそうなのが嫌です。長年その職場にいる人を見れば、そこにいたら5年後10年後20年後の自分がどんなふうになりそうか、なんとなくわかってきますよね。独立までのいきさつはいろいろあったのですが、こういうことも理由の1つでした。

ーそれで東京の中野坂上にサロンを構えられたのですね。独立をして良かったと思うことはありますか?

甲原:独立独歩で生きていると、自分自身の人生をダメにすることは少ないように思います。ただただ現状維持で組織に勤め、いたずらに年を重ね、「こんなはずじゃなかった」と後悔する人に遭遇する機会はこれまでたくさんありました

たとえばエステサロンに勤務していたころは、「若くて職が見つかりやすい」という甘えや自信の無さから、目先の楽に稼げる仕事に逃げ、失業保険を「お金を貰って遊べるもの」と捉えてしまい、チャレンジやキャリア形成を先延ばしにして遊び惚けて、気づいたら30代半ばという先輩。転職には年齢制限がかかりはじめ、これといった職能も無い。ようやく得た仕事のサロンワークは心身ともに激務。腹立たしくていら立って、しょうがなかったのでしょう。自分よりも年齢が若くて可能性のある私や毎年入社してくる新人をいじめたりするのです。相手を弱くして自分を優位にすることよりも、自分が強くなる方が大事なのに。「30数年生きてきて、その程度の仕上がり方ってある意味すごいな」、と思いました(笑)。私の翌年に入社した新人にまた当たり散らすんだろうな・・・と予想していたら予想通りで、その新人さんには「去年は私に当たってたから、また次に新しい人が入店したらその人に文句つけ始めるよ。だからあの年の有様をよく観察しておくといいよ」と助言したところ、まさにそれも的中で(笑)。

私が助言したそのスタッフも「あの人あんなことばっかりやってて何が楽しいんでしょうね。めちゃくちゃかっこ悪い歳のとりかたですね」と呆れていて、新たなターゲットになっている子に私が言ったのと同じように助言していました(笑)。

こんな風に人の邪魔をしたり貶めたりすることで優位に立とうとする人は、いずれ消えていくんですよね。こういう人を見るにつけ、いくら本人が口では「忙しい忙しい」と言っていても、実は暇な人ほど問題行動を起こすということもよく判りました。本気で自分の人生を必死で変えたかったら、人の揚げ足取ってる暇なんかないですよ。そんなことやってるぐらい危機感が無いから人生が好転しないんです。真剣に生きて何とかして人生を好転させようとしている人や、人生がうまくいっている人は、絶対にそんなことで命の残り時間を潰しません。自己向上させることと、周囲の大切な人たちと協調して良くなっていくことに夢中だからです。どんなに世の中にエンタメやレジャーがあふれていても、自己成長に勝るエンタメはないです。

ーそうですね。揚げ足をとる人は周りから嫌がられますし。

甲原:はい。案の定その人は2年半ぐらいで辞めていきました。これまでと同じように実績に繋がらない職を転々とするのかなあ、これから先の人生はもっと長いのに、これから40歳50歳・・と、どんどん潰しがきかなくなるんだろうな、と思ったのをおぼえています。

ー怖いですね。

甲原:建前では「お客様のために真心のこもったサービスを提供」と言うのですが、ただの保湿クリームを「シミが消えますよ」というセールストークで、富裕層向け高級高齢者マンションで化粧品と施術を販売していた人もいました。シミのある画像と、そのシミを画像加工で消した画像とを並べたポスターを店内に貼り「このクリームでシミが消えるんですよ!」と伝えて販売する・・・というものです。「もしお客様から『塗ってるのにまだシミが消えないわ』と言われたら、『塗る量が少ないからです』と言えばいい。どうせ老人は丁寧なスキンケアなんてしやしないからバレないよ」という具合でした。特に高齢者は富裕でも孤独を感じている方が少なくないので、ニコニコと愛想よく話を聞いてくれる人を、親身な人と信じこんでしまいやすいです。相手が子供や窓のような年齢だと、さらに油断してしまうのでしょう。その話を聞いた私はもちろん止めましたが、この手のタイプの悪知恵が働く姑息な人は懲りないと思うので、餌食になるお客様が気の毒ですね。お客様からの予約のお電話を「カモがきた」と笑っているようなタイプの人でした。本人いわく、20代から30代にかけてワーキングホリデーで海外でただ羽を伸ばしただけらしく日本で潰しがきかなくなった人でした。

また、サロンの施術ルームが個室なのを利用して、ネットワークビジネスの矯正下着をお客様にこっそり販売している人もいました。シングルマザーだったらしいので金銭的に苦しかったのかもしれませんが、会社にバレて首になっていました。長く業界にいるうちに次第にネットワークビジネスにはまるというのは、美容健康業界ではよく見かけます。

消化器内科の医師がマルチ商法の高額な酵素ドリンクを自身の患者さんや講師業で出入りしている美容スクールで生徒を勧誘して販売・・・とかもありましたね。消化器内科の医師ならそんなものが全く効果がないことは分かっているはずなのに。

他にも、ヘアメイクさんに化粧品の代理店の紹介を頼まれたのでご紹介したところ、その人が元々扱っていたスキンケア商品は全てネットワークビジネス系のものだったらしく、わざわざ猛暑日に先方に出向いて下さっアた代理店さんに私から平謝りしたこともあります。ちなみに当サロンでマンツーマンメイクセミナーをしてくれているアーティストさんとは全く別人の話ですから、誤解なきよう(笑)。

何かよほどお金を調達しなくてはいけない理由があるのかもしれませんが、それでもやはりお金は感謝の形であって、人を騙して手にするものではないですし、そんなお金で長期的な幸せが手に入ると思っているなら本当にさもしい心の持ち主ですよ。私はそういう人と判ったら、金輪際一切関わらないようにしています。そんな人と関わり続けると、私の信頼性を損なうからです。目先のお金よりも信頼を失う方が、よっぽど取り返しがつきません。

ー良くないとわかっている商品を売っている人は、けっこういますよね。

甲原:そうですね。世の中が誠実なサービスばかりなら誰もが助かると思うのですが、残念ながら、そうではないものがまだまだあるのは事実です。

それから、この業界に限りませんが、自己正当化や自己欺瞞をしながら、家庭や会社などいたくない場所にい続ける方もいますよね。そうした人の中には、優等生的な思考回路が抜けないせいでおかしな職場や関係から抜け出せないかたもいます。我慢して事態が良くなる見込みがあればよいのですが、そうでなければ、自分の臆病さを自己欺瞞でごまかしていることはご本人が一番理解していますから、どのケースも次第に神経症的になっていきます。

症状はまず体に出ます。出やすいのはニキビ、蕁麻疹、円形脱毛症、喉や粘膜の腫れ、便秘、下痢などの外界と接する粘膜や皮膚の異常。そこから進行すると、過呼吸、食欲低下や過食、メニエール病などの眩暈や耳鳴り、パニック発作、不眠、何でもないものにアレルギー反応を起こすなどの自律神経系、免疫系、ホルモン系の失調も現れてきます。このあたりになると、いよいよ情緒不安定が顕著になってくるので、突然泣き出すとか、小さなことにもすぐ文句をつけたりなどの攻撃性が高まって、自分の満たされなさを周囲にぶつける・・・しかしそんなことをしたところで何も解決しないので、いつもイライラ常時怒りモードで言動が強迫的で顔つきも神経症的になるか、メンヘラ的かまってちゃんになるか、超生真面目で1ミクロンも心に余裕がないピリピリした人、まるでいつもハンマーを握りしめているからどんな問題も釘に見える・・・みたいになっていきますね。

誠実、平静、柔和とは真逆のベクトルなので、これが長く続くと、周囲から人が去っていきます。人生山あり谷ありなので、誰しも生きていれば時折そんなモードになることもあるとは思いますが、これが年単位で続くようなら、生き方や考え方などの舵の取り方を考え直した方が良いです。自分の人生を長期的に大切に扱えば、頑張るところはそこじゃないと気づくはずなのに、頑張りどころを間違えて変になっているんですよ。 頭で考えず、体で考えればいい。体は明確に答えを出しています。

特に女性では、先生や親の言うことさえ聞いていれば褒めてもらえたり、そつなく生きてこられたタイプ、言いつけに受動的に従ってきた優等生タイプ、それでどうにかなってきたある意味での成功体験のある人ほど、ろくでもない職場環境でも「一つの場所に居続けるのが正解」と思い込んでいる節はありますね。「なんでそんな職場にしがみついているの?辞めれば?」「そんなに嫌いなら離れたら?」としか思えないような職場や人間関係でも、辞める勇気もなければ居続ける覚悟も無く、自分の人生をリスクをとって自己操縦してきた経験すらないからリスク許容度も自分でわからない。試行錯誤してリスクをプラスに転換してきた経験値も無い。無い無いづくしで結局怖気続けて何も決められぬまま、心身がどんどん病んでおかしくなっていく。そうなってしまっても、いまだに何も自分で決められない。「どうしたらいいですか」と常に誰かに指示を仰ぐ。そういう女性は沢山見てきましたね。

仕事は自分が健やかな生活を送るためのお金を稼ぐためにするものであって、仕事で心身の健康を損なってしまうのは本末転倒です。また、リラックスしたり、協力しあったり、弱音を吐いたりできるはずの場所が家庭なのに、いがみあいや家庭内権力闘争をしたり、弱みを見せられない場になっているのも本末転倒です。誰しも山あれば谷もありますが、それでも過度なストレスで病気になったり、それが重症の場合は入院や長期休業する事態にまで至れば、治療にお金も時間もかかります。お金を稼ぐために働いたのに、それで得たお金が治療費になるのはナンセンスです。

また、仕事の場合は、これは男性に多いパターンですが、健康を損なう前に家族が気づいて何かしら忠告していたりするものですが、本人が聞く耳を持てなくなっていることが多いようです。ただし最終的に迷惑が掛かるのも家族です。事故入院などは別として、家族の声も聞かず突っ走り、後始末は家族がやって当たり前、という考えだとすれば、それもどうかと思いますよね。家族は便利屋ではないので。

ただし、お金は心身の健康を取り戻せばまた後で稼ぐことができます。しかしどのケースも絶対に取り戻せないのは時間です。この手のダメージは長く続きがちなので、貴重な時間を長期的に失ってしまうのは本当にもったいないです。ただ、「これ以外に選択肢は無い」「自分が辞めたら周りに迷惑がかかる」と思い詰めている人ほどそこに居続けるんです。でも、現実的には仕事なら従業員が辞めることで発生する一時的な混乱やその始末やリスクも含めて、それらは経営者が負うものなんです。だからこそ、経営者は社員よりもはるかに多い収入を得られるんです。だから、後のことは気にせずに辞めたらいいと思いますよ。

冷静に考えたたら「心身の健康を守りながら生きる自分の人生よりも、赤の他人の会社の方が大事」なんてことはないはずです。日本には中小企業が約400万社あるんです。辞めたって働ける場所はどこかにありますよ。心身の調子を崩すほど仕事熱心なんだから、きっと次も見つかります。その熱心さや真摯さが分からない企業のほうがどうかしていますよ。「その会社あるいはその夫なりパートナーだったりは、あなたが心身の健康を損ねてまで一生を費やし続ける価値がある存在なんですか?」と冷静に問うてみてください。答えはすぐ出るはずですよ。何よりもご本人が辛いでしょう。

ーええ。いたくない場所にい続けると、体も心もボロボロになりますよね。

甲原:転職や離婚などの踏ん切りをつけられないまま、ダラダラと現状維持ができる目先の「地位財」に流されたとしても、人生最期の瞬間に本人が「私の人生これで良かった。大いに楽しんだ!」と思えるならそれでも良いですし、それは誰にも分りません。とはいえ、私は大学も女子大、社会に出てからもほぼ女性ばかりの業界で働いてきており、女ばかり観察して早数十年です。病は気からのとおり、活力や生命力が低下すると女性は精神がかなりおかしくなりますし、不調や病気から元に戻すには失調した期間の倍以上かかることが多いんです。

家庭や仕事のストレスで自分を抑圧しすぎたせいか、プライベートまで無感情で表情が無くなっていたり、食事をまともに食べられなくなっている人もいます。栄養失調なのでどんどん顔色がドス黒くなっていくのですが、脳も栄養失調でまともに機能していないので、まともなアドバイスに聞く耳を持たないというか冷静な判断能力も失ってしまっていたりする。

ですから、そういう人を見ると「あなた大丈夫?」と気になりますし、実際に口に出して伝えることはあります。大抵はもう脳も機能不全を起こしているので、聞いてもらえないことはありますけれど。そのあとは、寝込んで会社に行けなくなって、数か月休職して、復職しても職場で平均的なパフォーマンスも発揮できず退職・・・という流れが多いですね。そうやって消えていく人は沢山も見てきました。家庭であれ職場であれ友人関係であれ、自分を消耗品のように扱うところに居てはいけませんよ。

気になるのは、結婚して家族がいるはずなのに、そういう言葉を誰からもかけてもらえていない様子の人もいたりすることです。本来ならば私みたいな立場や関係性の人間からではなく、もっと身近な人、家族や親しい友人がかけるはずの言葉だと思うのですが、夫なり友人として呼べる肩書の人がとりあえずいるけれど、ちゃんと繋がれていないということなのでしょうね。関係性の問題はどちらか一方だけが悪いという話ではないので、そういう人は人間関係作り自体が下手なのだろうとは思いますが、そういう人は少なくないように感じますね。

あるいは、自分の頭で考えて生きてきおらず、常に他人の目線を気にしているので行動基準が「馬鹿にされないこと」になっている、自分の底の浅さと中身の薄っぺらさを見抜かれることに怯えているので、些細な事に過剰反応しやすい人もいます。そういう人ほどマウントをとるのが好きですね。どちらも生きてて全然楽しくなさそうです。これに更年期が重なると、もう心身のコンディションは最悪です。

結局はどれも精神的な自立の問題と思います。個人的な印象ですが、大阪よりは東京の方がメンタルを病んでいる人が圧倒的に多いです。

ーうーん。

甲原:特に40代後半や50代頃は、容姿の衰えとキャリアの先行きの不安、更年期でホルモンバランスが急激に変化し、長年の運動不足による体力低下で疲れやすくなります。生活習慣を疎かにしてきた人ほど加齢で前頭葉などの脳を含む全身が機能低下するので、気力も低下します。このために、元来の情緒不安定性が極端に高まる人も少なくないです。「ミッドライフクライシス」は別名「第二の思春期」ともいうそうですが、更年期以降は新しいホルモンバランスで安定するので、その年代を過ぎても苦しそうな人や、性格の角ばったところがより尖ってきて更に生きづらくなっている人を見ると、いくら経済的に豊かで美容にお金を費やせたとしても、それで根源的な問題つまり自己価値の問題がクリアになることはないことがよく判ります。ただ、心身のコンディションがそうなる前に、もうちょっと何か他に打てる手はあったんじゃないかな・・・と惜しく思います。

ーたしかに年をとると、保守的になりやすくなる気がします。

甲原:自己正当化や自己欺瞞を認めるのは辛いので、年齢とともに現状から身動きが取れなくなっていく人が多いんじゃないでしょうか。神経症的で情緒不安定な人は、せっかく心根が良い人と出会えたとしてもその幼稚さやわがままさがじきに露呈してくるので、いずれ相手にされなくなり、見限られ、関係性が途絶えています。そんなことばかり繰り返しているのに、本人がちっともその失敗や経験から学習しようとしないし、失敗どころか関係性が途絶えたのすら相手のせいにするので、性格は歪むし、孤独を自分のせいと受け止める度量もないので、近寄ってくるのは詐欺師や共依存の類友みたいな人に偏りがちです。長期的な人間関係の親密さがもたらす温かさは信じられないし、本人もそうした関係性の構築スキルを磨いてきていないし磨く気もないので、過剰に他人と距離をとる回避か、期待と甘えと依存で過剰に相手に負担を強いることしかできない。会話の8~9割がいつもネガティブで機嫌が悪かったり情緒が安定しない人って、やっぱり情緒が安定している人からはいずれ避けられますよ

自分の軸がなく、精神的自立や自己責任のような成長に不可欠な面倒なことからは逃げたい、安易な答え、温かくて耳障りの良い快適なお世辞や嘘、目先の楽と見栄に流される…そういう人は都会の方が多いように感じますし、そういう女性なら飽きるほど見てきましたね。都会は消費財と地位財が多いせいかもしれません。消費やマーケティングなどの仕掛けも、今はものすごく巧みですしね。

本当は何も指摘しないことが最も残酷なんですけど、そういう人達は、何も指摘されずお世辞を言われることが「自分はこのままで十分イケている」という太鼓判をもらったようなものと勘違いしてくれるので、ある意味では接客対象としては最も簡単な人達なんです。愛層が良い人イコール性格の良い人ではないのに、そういう真実についても考えたくない人達です。だって目先の楽が欲しいから。そういう自分を肯定して欲しいから。「あなたは何も悪くない」と。

私はそういう接客はコミュニケーションのは「実につまらない」と思う方なので、結構、核心を突くような耳に痛いことも、折をみてお客様に言うほうですね。もちろん、相手にもよりますが。今はオープンマインドな、誠実性の高いお人柄のお客様が多いので、そういう意味では有難いですね。

ただし、指摘するとはいっても、それは決して「ダメ出し」とか「詰める」とかではなくて、ちゃんとその人に関心を注いで見ているからこそ言えることなので、地頭のいい人や聞く耳を持つ成熟した人、成長意欲のある人は、ちゃんと受け止めて理解してくださるんですよ。耳に痛いと感じるのは、それが核心を突いているということなので。特に、お客様が未来に高い確率でマイナスに響くようなことをずっとしている時は指摘することがありますね。私はそういう心根が善良で地に足がついたお客様と、仕事を通じて丁寧に繋がってご要望に応えていきたいと考えています。そういう意味では、かなりニッチなマーケットにフォーカスしたビジネスと言えますが、個人サロンなのでそれでよいと思います。マスを相手にしたお世辞をちりばめてくれる親身さを装ったスタジオやサロンは他にいくらでもありますから。社交辞令的に終始せず、大事なことはちゃんと本音で会話するのを気に行ってくれているお客様がいらしてくださる

誰からも真剣に関心を注がれることなく、たとえ指摘してくれる人がいてもことごとくスルーして他責にしてきた人が、どれだけ加齢とともに腐っていくかは長年いろんな女性を観察してきてよく知っています。また、その傾向のある同僚や上司、友人や家族関係に困った経験のあるお客様のお話もよく聞きます。皆さん本当に、そういうかた相手のマネジメントに本当にご苦労なさっています。その苦労で当人まで鬱っぽくなる・・とかもあるので、やはりどこでしっかりと線引きをして、見切りをつけるか決めるのは大切ですね。

お客様の層、特にメンタルの層が大きく変わった最大のきっかけは、ピラティスやトレーニングをサロンワークに追加したことでしょう。エステはその性質上、お客様は基本的にベッドに寝ているだけなので、「お金を払いさえすれば、あとは自分は何もしなくてもとびきり良くしてもらえる」と捉えているかたが多いです。現代人はサービス依存症といわれるゆえんですね。

実際には、ホームケアを指示通りに使う、日々の皮膚の扱いや食事、睡眠、運動などの生活習慣のリズムを守り、全ての臓器と脳が健やかに機能していること。つまりその人の生き方が複合的に作用した結果、美しく健やかな皮膚という臓器が細胞レベルから産生され、維持できます。しかし、根源的に楽をしたい人はそれを理解していないことの方が多いんです。なぜならば、本人がだらしなくても商品の力で表面を加工して一時的にきれいに見せることは多少なりとも可能だからです。

一方、筋肉も骨も姿勢も、己で己の行動と脳を徹底的に躾けなおし、悪い生活習慣を良い習慣に抜本的に入れ替え、ある一定の頻度と強度で継続しなければ「本当に何も変わらない」というのが絶対原則です。運動自体も本人が「正しく動こう」という意思の元にトライ&エラーを繰り返さなければ、絶対に上達しないし、姿勢改善や怪我予防などの結果も出ません。時間も年単位でかかります。ですから私は「うちに来ればよくなる」とは絶対に言いません。自分自身で自分をよくしていくのです。

自分の身体は自分で動かしてよくしていくしかない。この身体で生きていくのは自分。そのための正しい動かし方を伝え、正しい動かし方に気づけるように成長をサポートするのがトレーナ―の役割です。お金を払えば成功や改善を約束してくれるのがトレーナーではありません。本人が怠惰な生活で漫然と取り組んでも脳と神経のコネクトは一向に強化されないので、その調子で年単位で続けたところで望む変化は起きません。真剣に取り組めば取り組むほど、このシンプルルールが我が身でわかるからでしょう。

ーたくさんのお客さまの心と体のケアをされてきたご経験の中で、どうしたら「こんなはずじゃなかった人生」を避けられると考えていらっしゃいますか。

甲原:本当の大人というものは、自己管理、自立と自律をモットーに、孤独な時間の豊かさも楽しめる人。ただし、セルフイメージの高さを、傲慢や横柄と勘違いしている人も少なくないです。繊細さと神経質も、マイペースと甘えも違う。

沢山の女性を見てきて思うのは、あまりにも自分の負担になる人間関係なら、少しずつそぎ落としていったほうが、後の人生がもう少しラクになるということです。離婚や転職は代表的なものですが、そういう整理を先送りすると、あとが更に大変になる印象があります。目先のお金やラクを求めてきて人間本来の寿命の50代、60代になったときに「本当に自分がやりたいことがわかりません」みたいに主体性がないままの人は実際にいます。そんな根源的な問いの答えが自分の中から全く出てこないのは本当に恐ろしいです。ある意味では現代日本は豊かなので、生活に不自由しないほどそこそこなんでも揃っていて、身近に迫ってくる大きな困り事や危機感を感じづらいのかもしれませんが、その調子では本当にやりたかったことやなりたかったものに近づいている実感で満たされる幸せなんて、永遠にやってこなさそうです。私は、何でもすぐにリスクと捉えて他人にすがるか逃避しかできない臆病さよりも、自力本願で自ら変化を迎えに行く積極性と、変化を楽しむ鷹揚さと楽観性のほうが好みますし、やはりそういう人は老若男女問わず魅力的ですよね。

ーその他に気をつけるべき点はありますか。

甲原:接客業をしていると、人はお金や社会的立場、高級品とされるモノなどの「地位財」が揃っていても、不平不満や不幸感や鬱積は尽きないというのがよく判ります。情緒的に安定した平穏な心や充実感、健康、安心感、愛情と信頼で繋がる感謝にあふれた豊かな人間関係などの「非地位財」はどれもお金で変えませんし、お金よりもよほど手に入れづらく大切なものではないでしょうか。

もちろん、その日を生きるのにも精いっぱいなぐらい経済的に余裕がない暮らし、子どもを抱えたシングルマザーや、予期せぬ事故で障害を負うなどの事情があると、将来を腰を据えてじっくり考える心の余裕もないでしょうから、それはまた別の話です。ただ、若い時はとにかく徹底的に働くことで経済的自由や経済的自立を達成しようとする努力はとても大切だと思います。私も何度か数年間の記憶が無いほど働いてきています。ただ、ある程度経済的に成り立った時にも、いつまでも馬鹿にされないこと、見栄を張る事、他人よりも威張りがきくものを買って身の回りに置いておかないと気が済まないし、そうしないと不安になるほど非寛容な優越意識に執着する、ストレスは感情的に周りに当たり散らす・・・というのは、少しバランスが悪いように感じます。その人が生きている世界がその手のことを張り合う人ばかりなのかもしれませんが、何もそんなところに居なくても・・・という気もします。そういうことに情熱を持てる人もいるのかもしれませんが、やはり生きていてあまり楽しそうじゃない人の方が多い印象なんですよね。

ー結局は、自分自身なのですね。

甲原:ですから、好奇心旺盛に色々なことにトライして、自分のしたいことをすればいいと思います。どうして人がそんなに臆病なのか、むしろ不思議でなりません(笑)。他人は自分の事なんでそこまで気にしてないですよ。人は、他人の事よりも自分に最大の関心があります。他人との比較よりも、自分が良くなることだけにただひたすら徹底的に集中していればいいのに、と思います。

良くなりたいならトライは必須ですし、トライすれば当然失敗もしますから、自分が耐えられる痛みのキャパシティがわかります。次第に痛みに対する打たれ強さのキャパシティも拡張します。どうやったらい次はうまくいくかという試行錯誤や葛藤も自己決定も必須です。そうしてトライ&エラーを繰り返すうちに、信じるに値する経験が積みあがってきて、結果的にいつの間にか自分の内側に育まれているのが「自信」なのだと思います。そうすると、そうしたチャレンジは若ければ若い方がよい、ということになりますよね。人生の残り時間が多い方が、どうやったって有利ですから。そういう経験やトライ&エラーがないのに自信を持っているのだとすれば、それは自信ではなく過信でしょう。何もチャレンジしなければ、「自分はこのままで完璧だ。これで良いのだ」という幻想を抱けますが、実際にはそれは完璧主義じゃなくてただの失敗恐怖症で臆病なだけです。臆病は臆する病ですから、精神的に病んでいるのと似たようなものでしょう。

こんな風に、お金で買えないものをお金で買おうとしてきた人、自分の人生なのに親や会社や世間体やスピリチュアルに判断を委ねて自分の責任で何も選択と決断をしてこなかった人に、「こんなはずじゃなかった的な事態」や「永遠の自分探しに陥る人」が多い印象です。また、地位財を見せびらかしていると、その羽振りの良いお金やコネに群がってくる人が多くなるので、誰が本当に自分のことを気にかけて言葉をかけてくれているのか判別がつかなくなって、また別の大変さがありますよね。店員さんのお世辞は商品やサービスをその人に買って欲しいからであって、決してその人自身を思いやっている言葉ではありません。そういうシンプルな事実まで区別がつかなくなっている感じがしますね。

ーなるほど…。地位財をたくさん持っているのはうらやましい限りですが、中途半端にそれを持っていると、人生に道を誤ってしまう危険があるのですね。

甲原:といっても、心の底からおぞましいと思えるほど嫌な環境にいるなら、遅かれ早かれ、人はそこから脱出します。文句言いながらもまだそこに居られるということは、まだその場所が何かしら居心地が良くてメリットがあるのでしょう。仕事なら、職場が近いから通勤が楽とか、給料はいまいちでも人間関係が勝手がわかっていて楽とか、転職マーケットで採用に落ちたら傷つくから嫌だとか、もし今の会社よりも安定していなかったら不安だとか、新しい職場で人間関係をゼロから築くのが面倒とか、そもそもスキル不足で希望給与額に見合う仕事がないとか、聞こえの良い肩書を捨てたくない見栄や世間体、見合う給与額を得られる自分になる努力が面倒とか。結局、自分の心身の健康や日々の充実感を犠牲にしても、その人にとって守りたい何かがあるのです。こればっかりは、結局自己選択していくことなので、それがその人にとっての正解の選択なのでしょう。

ただし、それならそれで自分の腹をくくって、現状選択も自分の責任だという風に引き受ければまだよいのですが、それもせずに口では「人生変えたい。私変わりたい。」といいながら、実は変わりたくなさに必死にしがみついて、場所、人、環境のせいにして、何も捨てたくないと欲張っていたら、そりゃ苦しいでしょう。その3つは、今の日本ならほとんどの人が自分で選んで変えていけますから。変えない選択をしたのなら、それを正解にしていく努力を自分でやるだけです。

可能性と変化は、新しいこと、チャレンジを通じて自分のスキルを高めることにしかないのです。今辛いのに、今までと同じ場所で、今までと同じ人とつるみ、今までと同じことを、今までと同じペースでやってれば、そりゃ変わらないですよ(笑)。世界は自分のために作られていないのです。

私には先天性や後天性の障がいや難病を患う友人や、思春期に母親の過干渉で体重30キロを切る拒食症で入院したり、小柄なのに鬱病で体重80キロ超の過食症になった知人や、本が出版されたり映画化されるレベルの壮絶な親からの虐待を受けたり、LGBTQだったりの友人も結構います。彼らと話していると、五体満足に生まれて、自分名義の銀行口座があって、電車や車や飛行機で行きたい場所に移動できる自由があるのに、いつまでもその場に留まって不平不満を言い続けるのって、やっぱりそれは違うよね・・・と考えさせられます。

ー仕事においても、人生においても、独立心を持っていることは大事ですね。

甲原:そうです。「誰かからあやかって得たもの」を待つだけでは、いつまでたっても、自ら得ていくスキルも経験も持てません。だから余計に失うのが不安になる。自分でゼロから手に入れた立場や実績なら、手に入れるまでの経験が未来の自分も支えてくれます。

私には、出会った頃は無名だった海外の音楽家の友人が何人かいます。それぞれ今では世界的に認められる活躍をするようになりました。出会いから20年以上経つ今でも、彼らは当時と全く同じように謙虚な人柄です。活躍のきっかけになった某大物ミュージシャンとの仕事が何年も続いていたときも、そのミュージシャンの偉大さや業績を自分の手柄であると錯覚する傲慢さは一切ありませんでした。中途半端にその周辺をうろついている人ほど、自分まで偉くなったように勘違いして傲慢になっていましたし、その後失墜していきました。相手へのリスペクトがあれば、その人に見合う人物になろうと自分も努力するきっかけになっても、他人や身内の業績を自分の手柄に仕立てあげて威張るなどの振る舞いは、恥ずかしくて到底できないはずです。

結局、どんな社会の層にいても、優れた人格は優れているし、残念な人格はより残念なことになるというだけのことなのかもしれません。特に女性は、自力本願で徹底的に頑張り切ることなく、親や男性や会社などの他人にどうにかしてもらおう、どうにかしてもらえるはずだ、いざとなれば被害者ぶるか、困ったふりしてとことんゴネればきっと大丈夫、だって今までそれでどうにかなってきたし、女性は庇護してもらえる存在なんだから、低い自己肯定感を上げたいけど成功の保証がないならやりたくない、誰かが絶対な成功を保証してくれるならやってもいいけど、万が一失敗してもそれはその人の責任で絶対に私のせいじゃなから、全部責任取って全補償してもらうところまで100%約束してもらわないとやりたくない・・・みたいな、空いた口がふさがらないレベルで依存心が墨汁並みに芯まで染みついてしまっている人もいまだにいますが、これだと加齢とともに洒落にならないぐらい人生が下方に傾いていくので、やはり1日でも早いうちに気づいた方がいいと思いますね。

その理由は、人が変わるのは、大抵の人が見込んでいるよりもはるかに長く時間がかかるんです。その時間を楽なことにつかうのではなく、大変なことをどうやったらできるようになるかを自分の頭で考えて、そこに時間とお金を使わなければ、変化なんて起きませんから。年齢と共に変わりたくなさが強化されるのも事実ですから。

具体的には、遅くても35才くらいまでに、未来の自分のための変化と継続にちゃんと時間とお金を使った方がいいと思います。それは、未来の自分のための思いやりなんです。人は何歳からでも変われますし、決断を先送りするよりも今日から始めた方が間違いなく良いのは確かです。ですが、35才は本来のヒトの寿命(約50歳)をもう半分過ぎています。小学生が高校3年生に成長するのとほぼ同等の時間が社会に出てから経過しているのに、自分に対して問題意識も危機感がなかったら、それは成長が止まっていることを意味します。ある意味ではぬるま湯的に恵まれているとも言えますが、自分の頭で考えていないという意味ではやはり相当危ういと思います。十代のころから女性ばかりの環境で色んな女性、様々なライフステージの女性、様々な経済層、社会層の女性を観察できたのは、本当に有益な経験だったと思います。

色々な方を見てきて思うのは、おそらく30代で飛躍しておくと、本当に先の人生はかなり楽になる、ということです。もちろんそのためには、20代のうちから自分の頭でよく考えることも必須なことは、言うまでもありません。そういう意味では、20代で人生のほぼ8割は決まると思います。もし今30代、40代の人が「自分は20代の頃は何も考えてこなかった」と過去を悔やむなら、今日から苛烈に努力して巻き返すしかないです。また、それをやり抜くのが自尊心だと思います。