ロレッタインタビュー(vol.6)

自分の仕事の適性はどう見つける?

ー今回も引き続き、甲原さんの仕事選びについてお聞きします。美容のお仕事は、昔から興味がおありになったのですか。

甲原:そうですね。美容だけではなくて、医療の仕事も頭にありました。ただ、医療はチームワークで行うので一匹狼の私には向かないし、命を預かる仕事だと思うと、手を出せなかったですね。世界は広いし、まだ自分の知らない無数の生き方があると考えて、何が向いているのか結構考えましたね。正直なところ、高校生や大学生の時点で、知っている世の中の職業自体が少ないですから。

また、私は昔から「自分でものを考えて決めて行動していくこと」が好きなのですが、医療の仕事のようにガイドラインがしっかり決まっている仕事よりも、ある程度の創意工夫ができる仕事の方が合っているように思いました。看護師の道も考えましたが、看護師は医師の指示で動くことが多いので、それも合っていないように思えました。それに、そもそも医師になるには私学は経済的に無理だし、センター試験のためにあらゆる科目をまんべんなく勉強できるほうではなく、ぶっちぎりトップの科目と、徹底的に無関心な科目との得点の差が激しかったので国公立医大も無理ですし(笑)。

ー子供の頃や学生時代、周囲から「○○が向いている」と言われたことはありましたか?

甲原:音楽業界の友人から、音楽関係のコーディネーターになることをすすめられたことはあります。高校生の頃から音楽が大好きで、趣味が高じて、アメリカのミュージシャンやレコードレーベルのオーナー、音楽関係の友人と沢山の繋がりできたのです。そして、関係者同士を引き合わせたりしていたら、そうした仕事をすすめられたわけです。しかし音楽をいくら好きでも、自分でできることは少ないような気がしていましたし、趣味の範囲で留めておきたい位のものでした。

ー多くの人は、好きなものに関連する仕事に就こうとすると思います。あえて大好きな音楽を避けたというのは、ある意味、カンが鋭いですね。

甲原:私の性格として、自分で何かを創りだすことは性にあっているかもしれません。でも、その時も今もずっと、「クリエイティブな仕事がしたい」と思ったことはありません。クリエイティブを志す人に見られがちな、「何者かになりたい病」の自意識過剰さが好きではないのです。「多少逸脱したからといって特別な何者かになれるわけではないよ」と突っ込みたくなってしまう。実際に歴史に天才として名を遺すような音楽家の友人知人がいるせいもあるかもしれません。

ー美容の仕事で、エステティックを選んだ理由は何ですか? 美容師やヘアメイクという道もあったと思うのですが。

甲原:今になって気づくことなのですが、ヘアやメイクは、「人体の組織に動きがない」ので、興味が持てなかったのだと思います。私が現在行っているエステやピラティス、パワープレートなどは、人体の組織に変化を起こすことができます。でも、ヘアやメイクはその人のその時の条件の上に、加工を加えるものです。そこが決定的な違いですね。

思い返せば、学校では、美術も好きでしたが、生物や科学、物理や現国の授業が好きで、理系と文系が妙に混じって、好きな科目の試験はトップか2番目でした。そのかわり、授業が退屈だとたちまち気がそれて集中力が続かないのです。いくら聞こうと努力しても、どうしても授業を聞きつづけることができません。そういう科目は当然ですが下から数えたほうが早かったです(笑)。極端すぎますよね。今の仕事は興味の方向性が合致しているのでありがたいですね。

こうした私自身の性質を考慮して仕事選びを考えたときに、興味も持てず、思い入れもない仕事に膨大な時間を捧げるのは、生き地獄に近いと思いました。一般事務職とかにはもう絶望的に適性が無いのは、就く前から明らかでした。なので、給料が最初は安いとか労働が大変だとかの条件面はともかくとして、生体への関心と興味からは離れたくないし、自分にとっては離れない方がよいだろうと思いました。自分のやりたいことをやりまくったほうがよい、と。

ーなるほど。人を美しくする仕事の中でも、「根本的に人に変化を与えられるもの」を選んだ、と。そして好きな物事を追求するのがお好きなのですね。

甲原:小中学校の頃からスキンケアが好きだったのも、この仕事を選んだ理由です。子どもながらに同じカテゴリの化粧水であっても、使用感や仕上がり感に違いがあることが面白かったのです。美しくなることに対する関心というよりも、変化への関心ですね。

また、「消費者」の立場では使える化粧品に数に限りがあります。ローションを1本使いきるのにも1カ月はかかるし、「違う」と思ってそのつど捨てていたら、時間もお金も無駄になる。しかし、粧材を選ぶ「プロ」になって製品選びに詳しくなれば、自分がどんな肌状態であっても、常に適正なものを選べます。美容はまず健康であることが非常に重要です。私は親が仕事にかかりきりの人達だったので、自分で自分を創っていくためにはエステティシャンの仕事はより良い自分になりやすい道だと思いました。

ーたしかに。サロンにコスメを導入する時にサンプルで使用感を試せますし、メーカーが講習会を開くので、化学的な勉強もできますよね。

甲原:エステティシャンは、仕事を通して自分を常に高められる職業です。人が美しくなるには、食事や睡眠、運動といった生活習慣が重要ですし、身だしなみも関わります。いくら美しくても性根が悪かったらいただけません。その前提には何よりも心と体が健康であることが必要です。さらに処方やマシンテクノロジーなど多方面のことに精通していなければ、それらの機器を持っていても使いこなすことはできません。「美」も「健康」も生活習慣から作り上げられていくわけで、追求するほど自分を活かす道具の使い方や生き方にも習熟していくはずなのです。

また、「何となく良さそう」「きれいになりたい」というぼんやりとした気持ちでこの業界に入る人が多いので、大抵は1年か2年で辞めていきます。きちんと修行を積んでから独立して善良に仕事をしていれば、頑張った分だけお金をいただけます。濡れ手に粟みたいな儲けかたよりも、コツコツ真面目にまっとうに仕事を継続することが好きな性格が、この業界で生き残ることに役立ちました。

ー毎日が実践になってすばらしいですね。

甲原:とくに女性は生理や更年期があり、一生を通して体調の変化が大きいです。更年期ごろに肉体的にも精神的にも激しく失調して健康を損なう人は、決して珍しくありません。年齢と共に変化することが分かっているのだから、あらかじめかかりつけ医を持つなり、快適な体調を保てる習慣を見つけるなりして、心身ともに予めその時が来る前の段階になるべくよい方向へと導いておいたほうがよいと思うんです。それでももちろん調子を崩すこともあると思いますが、マイナスからのスタートよりは、プラマイゼロか、プラスでいたほうが、マイナスも少なくなるのではないかと思います。

エステティックの仕事は、額面でいただけるお給料は最初のうちはそこまで高くないかもしれませんが、仕事を通してそうした知識や備えを整えられるのは大きなメリットです。また、自分の健康や人生にアップダウンがあっても、それを丸ごとお客様へのアドバイスや共感へと変えていけます。

ー美しいエステティシャンにファンはつきますよね。甲原さんはシワ1つないので、その効果は見ただけでよくわかります!

甲原:ありがとうございます。エステティックはもちろん良いものですし、美しくなりたい場合、メイクやヘアセット、洋服やネイルなどは手っ取り早く変化できるので活用しがいはあると思いますよ。ただし、これまでお話しした通り、受動的なサービスのみに依存した結果「包み紙は一流。中身は三流」にならないようにするために、中身を磨く自助努力は大前提というか、素敵な大人になりたいなら当たり前に必要なことだと思います。

ーたしかにそうですね。

甲原:受動的なサービスで活用しやすく最もチャレンジしやすいのは、メイクアップです。失敗してもクレンジングで落とすことができます。ただし、アイメイクやリップはちゃんと専用のポイントメイクアップリムーバーで、優しく落として欲しいですけどね。みなさん表面に塗る時は大変熱心なのですが、最も皮膚にダメージを与えるタイミングとなるメイクアップや汚れを落とす時は自分の皮膚を非常に乱雑に、まるで雑巾レベルに扱うので

メイクアップは、新しい色やテクニックによって未知の自分、今の気分にフィットする自分に出会えるすばらしい自己表現。そういう意味では、メイクに無関心な方はもったいないですね。自分の中にある新しい美の可能性と出会うのは素晴らしいことですから。

一方、髪型の場合は、ヘアサロンで髪を切ってしっくりこなくても髪が再び伸びるまで数カ月は待たないといけません。エクステやジェルネイルなどは、やればやるほど髪や爪が傷むこともあります。素材を傷ませてまで装飾しつづけるランニングコストとリペアにかかるコストを考えると、私にとっての優先順位は低いので一切やりませんが、お客様のなかにはオフィスワークで責任の重い職務についている方々は、「仕事では自分が男性的になっているのがわかるから、PCのキーボードを打つ手元がネイルで綺麗に彩られていると女性性を忘れない」とおっしゃるかたもいらっしゃいます。硬派な仕事の方ほど、ネイルやハンカチ、靴やアクセサリー、ランジェリーなどで女性であることをバランスよく楽しんでいる方が多いですね。

その他に自分ではやらないものは、アートメイクやタトゥーのように長期的な身体へのリスクがあるものや除去が困難なボディアートです。リンパ腫やアレルギーなどの健康へのリスクもありますし、年齢を重ねたときに、皮膚のたるみで図柄がずれたりするかもしれませんし、たとえ将来好みが変わっても完全に除去することはできませんから。

そして忘れてはならないのは、メイク、ネイル、ヘア、マッサージ、フレグランスなどは受動的に楽にサービスを受けることで表面的には自分を上げたように見せることはできますし、自分でも上がったように思いやすいのですが、自分で能動的に毎日体を動かす運動、食事、睡眠の自己管理で、全身の健康と美を作り上げていくことこそが最も大切だということです。

過食は拒食などのメンタルや社会文化的な問題を抱えている女性もいますが、多くの女性は食に感心は高い。ただし、運動は驚くほどないがしろにします。一方、男性は運動は熱心、食事は軽視しています。両者とも、注力するポイントが逆なんです。そして人生後半からそのツケが年ごとにきつくなってくるんです。皆さん一様に40代後半から、運動習慣を身につけてこなかったことを激しく後悔しています。50代、60代で運動に無頓着な人は、その年齢でも首までどっぷり受動的なサービスに浸り続けているから気づいていないだけで、じきにかなり過酷な形でそのツケを一気に払うことになっています。人にはそれぞれフェーズがあり、更年期だけではなく、人生の各フェーズの微調整は常に先手で意識的に取り組まないと流さてしまいやすいように思います。

ですから、睡眠、食事、運動習慣という哺乳類ヒトとしての動物の生命維持活動をベストの状態に保ち、支えてくれる習慣は、最低でも30歳、遅くとも30代前半のうちに開始しておきたいですね。受動的な美容サービスも上手に活用しつつ、最も重きを置くべきなのは能動的に自分の人生を自分でハンドリングするいわゆる自己管理能力です。その能力の獲得と向上を最重要課題に位置付けて、30代のうちに自分を徹底的に躾けなおしておくと、先々の人生は本当に楽になりますよ。良い習慣に勝る武器はありませんから。私は「自分を変えたい」と真剣に望み、そのために懸命に頑張れる人を、心から尊敬し、応援します。

ーそれから、本を読むことがお好きだとおっしゃっていましたね。学生時代の読書は仕事選びやその後の仕事人生に役立ちましたか?

甲原:うーん、読書を仕事につなげる意識は全くありませんでしたね。学生時代は、大好きな読書、映画鑑賞をひたすら満喫する、という感じでしたから。市立図書館と県立図書館で、各10冊とか15冊貸出して、1週間とか10日間ぐらいで読み切って、返却しに行く足でまた新たに貸し出して・・・みたいな日々でした。

静かな場所で、マイペースに物を考えることが好きなので、誰もいない家で集中して本を読んでいたことは、フリーランスで仕事をする際に、図らずも役に立ったかもしれません。アイデアを熟成させて形にしていくとき、孤独で静謐な環境にいることは必須です。そうした環境に身を置くことに、人生のかなり早い段階で浸れたのは、私の性格に合っていて良かったのかもしれません。中高生の頃に、衣食住が確保された誰にもにも邪魔されない静謐な環境で、自分の興味のあることや好きなことに1日5時間でも10時間でも好きなだけひたすら没頭していられたのは本当に貴重な体験でしたし、今思い返しても実に充実した幸せな時間でしたね。根本的には今も大して変わりませんが(笑)。

その当時から、毎日1時間でもいいから充実した自分の時間を持つように意識した人とそうではない人は、1カ月とか2カ月くらいじゃ変わらないだろうけど、2年、3年、そして5年も経てば、おそらく取り返しのつかないくらいの差がついているはずだと思っていました。それが1日数時間で10年単位ならどうなるか、興味深いですよね。私は、そういうふうに学習を重ねてきました。出来が良い人は要領よく色々なことをマスターできるのでしょうが、私は人よりも出来がよいわけではないですし、人の3倍も5倍も時間をかけなければ、何もものにならないのもわかっていましたから。だから人の3倍も5倍も本を読み、学ぶ必要があると考えました。それと同時に、おそらく多くの人は短期間の取り組みで得られる結果を過大に見積もり、長期的な取り組みで得られる結果や変化を過小に見積もりがちだと思うのですが、真実は逆のはずだと考えました。

ーはい。フリーランスは、孤独との良い付き合い方が必要だと思います。

甲原:思えば昔から、学ぶことは好きですが、学校での自分が聞きたくない物音や声が騒がしかったり、同級生たちとの興味が持てない話題が苦痛でした。「それよりも早く家に帰ってあの本の続きを読みたいな。あの映画とこの映画も見たいしな。」と思ってしまうんですね(笑)。

また、女子あるあるですが、本人の前ではいい顔をして、当人がその場にいないときは噂話や悪口を言い合うような会話は聞くのも合わせるのもうんざりするので、関わらないでいられるようにするためにも本は便利なツールでした。場合によっては無駄は豊かさや文化でもありますが、中身がからっぽでただ話を合わせるだけのコミュニケーションはやはり単なる無駄以外の何ものでもありません。学校や地元や職場などの、ある種の強制的な横並びは、今も昔も苦手です。

ひとりの時間を意図的に選び、価値を置いたほうが、創造性や内的充実、内省に良い影響を与えると思います。ですから、卒業アルバムや同窓会の類にも一切興味がありません。同じ学校や出身地というだけの共通点は、つき合い続ける理由にはなりません。大切なのは今であり、現在進行形の人間関係です。それは一度途切れた縁でも、繋がる人とは、いずれ必ずどこかで繋がりると思うからです。人と人とは、そのぐらいお互い自由であっていいと私は思っています。一番大事なのは自由です。