エステティックサロンや一流ホテル。華やかな場所の裏側も垣間見る
ーエステティックの仕事に就くために、学生時代は何かされたのですか?
甲原:「美容の仕事に就くのであれば、一度現場で働いてみたほうが話は早い」と思い、大学時代に某大手エステティックのアルバイトを体験しました。アルバイト情報誌には「受付募集」と書いてあり、応募をすると、なぜか施術のチームに回されました。「それはそれで面白い」と思って数カ月アルバイトをしましたが、すぐに私の目指す仕事の形ではないとわかりました。
サロンの回転率を上げるといった経営の方法などは勉強にはなりましたが、ベッドに横たわっているお客様の足元に置いたテキストをスタッフが見ながら施術をしているレベルであるのに、高額なコースを押し売りしていることに納得できなかったのです。
この仕事で一生食べていくためには、「職人的な高いスキル」が必要だと私は思いました。そこで店長に質問をしたのです。
ーどんな質問を?
甲原:「この仕事で一生食べていきたいと思っているのですが、どこに就職するのが良いと思いますか?」と率直に尋ねたところ、「本当にこの業界で食べていきたいの?」と返されました。「はい」と答えると、「だったら、ソシエに行きなさい」と言われました。「ソシエならちゃんとした教育を受けさせてくれる。うちによくソシエ出身の中途採用の子たちが働きに来るけれど、技術も接客も申し分ない」。そう店長は教えてくれました。
さらに、「あなたは私のようになってはいけない」とも言いました。「私はもう、会社を辞めたくても辞められない。口がうまくて商品が売れるから店長になっただけで、技術は何も身についていないから独立もできないし、他の仕事をしようにもこの歳で年収を1千万円近くもらっているから、生活レベルを落とせない。もう今さら他で働けないのよ!私、これから一体どうするのよ。」と苦しそうでした。
たしかにその店は、店長を始めとした営業スタッフは営業を、施術スタッフは施術に専念するスタイルでした。そのほうがお店を回しやすいのです。店長はいつもタバコを吸っていて、顔中吹き出物だらけでストレスが多そうでした。精神的にかなり不安定そうなのは察していましたが。
ー店長さんは、変にラクをすると、後が困るということを教えてくださったのですね。
甲原:お店の問題点だけではなく、いろいろなお客さまがいることも学びました。お金はあるのでしょうが自分の予約ミスをしらばっくれたり、当日に予約をドタキャンしたのにチケットの消化を嫌がるマナーの悪いお客様がいたのですが、後日、私が就職したゲランのサロンにも来店されました。当然、お客さまの言動に注意するように、担当のエステティシャンや受付スタッフに伝えました。世の中は狭いですね。上から目線の人って、自信がないからマウント取らないと自分を保てないんだなとか、いわゆるエリートと呼ばれる人も自分よりはるかに頭が良く出来がいい人がいることを思い知るからか、意外とこじらせている人も多んだなとか、勉強ばかりしてきて社会性が育まれていないんだなとか、結婚していても子どもがいても孫もいても、齢30や、40,50,60を超えていても、精神的自立に躓いたままの人は決して珍しくないんだな、などいうのがよくわかります。どうしてそこで成長が止まっているのかが興味深いのです。
ゲランのサロンには、一生働かずに、踊りのお稽古事と社交をして普段着がシャネルで暮らせる、楽音楽を聴きたいときは自宅に楽団を呼ぶ、お召しになっている毛皮のコートが素敵で、どの動物の名前か尋ねたら珍獣すぎて何回聞いても全然憶えられない(笑)、家に住み込みの使用人が数人いるのは当たり前・・・みたいな人もいらっしゃったりしましたが、まあそれは本当に世の中のごく一部の人ですよね。
優雅でお人柄もチャーミングで品もあって善良で・・・育ちが良いというのはこういう人の事なのだな、と思わず感じ入ってしまうような素晴らしい方も沢山いらっしゃって、本当によくして頂きました。もちろんそういうお客様方はスタッフ全員からもとても慕われていて大人気でしたよ!今でも思い出します。実は、私が退職するときもすごく気にかけて下さったお客様を、東京で偶然お見掛けしたことがあったのですが、プライベートでとても楽しいひと時を過ごしているのがすぐに分かったので、少し離れたところから見守るというか、声はかけないでいました。健康そうで幸せそうでお元気そうな様子で、本当に嬉しかったですね。またそんな風に、もう直接交流することはないけれど、いつまでもお元気でおきれいで幸せでいて欲しいと、今後ももうお話しする機会も無いだろうけれど、そのように心から願うことができるのは、自分にとっても大変幸福なことだと思いましたね。20代の頃にそんな風にお客様から仕事を通じて良い影響を受けることができる仕事に就けたのはラッキーでしたね。
ーエステティックサロン以外のアルバイトはされましたか?
甲原:一流の料亭や高級ホテルでのコンパニオンのアルバイトやそのほかの飲食店でも働きました。社会人になり稼げるようになって華やかな世界に散財する人は少なくないけれど、私は何事に対しても憧れという感情が薄く、「いずれ社会に出て行くのなら、今のうちに華やかそうな世界の裏方や仕組みを先に見ておいたほうがいいだろう」と思ったのです。実際にいろいろなことがありました。宴会部のバックルームで、黒服が配膳スタッフにとても乱暴でぞんざいなふるまいをしていることもありましたし、マルチ商法の怪しげな人たちが、勧誘や商談のために高級ホテルのラウンジを使っているのは定番ですね(笑)。逆に、成金とは違う本当の富裕層の方は振る舞いも持ち物も雰囲気も全く違うので、とても面白かったですよ。
また、コンパニオンの仕事などをする中で、「きれいな女の子達というサンプル」の会話の内容や男性に対する態度の変化を観察しつつ、「おじさんに愛想良く相槌をうっていれば、世渡りは楽勝」という社会認識をしてしまうと、若さの期限が切れたあとの人生の後半戦があまりにも長くて大変なんじゃないかな?と思っていました。ただし、ちゃんと他に本業という柱を持ちつつオフの時間にコンパニオンの副業で稼ぎにきている人と、海外留学などのに向けて短期的に稼ぐためにひたすらシフトに入りまくっている子と、抜群にキレイだけどオフの時間はパチンコに入り浸ったり、ただ目的もなくフラフラ遊んでいるだけとか、キレイ以外の振れ幅が面白かったですね。
日本では、女性に対して無知で若くて可愛いことを美点とする風潮があります。しかし、それは老化とともに期限切れが訪れます。「若い雌」というスペックでチヤホヤされるのは20代まで。人生の僅か5分の1か4分の1の超期間限定バブルです。なんだか自分に実力があるように錯覚しやすいけれど、それはただそういうものなのであって、数年後にそのポジションは似たような若い子に回転ドア的に速やかに入れ替わります。ただし、意外と本人は回転ドアが回転したことに気づかないので、気づいたころにはいろんなことが手遅れになりやすいんです。
ですから、私はそれ以外の根源的な「人間力」を早い段階から高めていかないと、残りの長い時間、友人関係でも仕事の場でも、ろくに相手をされなくなるだろうと考えていました。だって人生80年もあるんですよ!残り60年をどうやって生きるんですか。
面白いことに、エステや美容健康業界で働いていると、ベテランのメイクアップアーティストや美容部員、ヘアメイクアップアーティストなど美の裏方で活躍する人達や、結婚相談所のカウンセラーさんなど、女性を見てきた人達は皆さん一様に「上っ面じゃなくて、もっと中身を磨きなさい」とおっしゃるんですよね(笑)。きっと似たような女性を星の数ほど見てきているのではないでしょうか。実はコンパニオンのバイトで一緒だった女性たちを、大阪に住んでいた頃に偶然数人みかけたことがあるんですが、キレイがすっかり影って表情も暗くて、たまたまその日のその直前に何かよほど大変なことがあったのかもしれませんが、あの若くて可能性に満ちた時間をただ自己投資せずにやりすごしてしまってしんどい状況になっているなら、とてももったいないなあ・・・と感じたのを憶えています。
ただ、思い返すと、コンパニオンのアルバイトのときに、1人だけ私と似たような考えの子がいました。彼女は「高級ホテルや料亭でのテーブルマナーや接待も学べて、いろんな会社の催しや宴会の様子も垣間見られるから勉強になるよね」と、このアルバイトを社会見学的にとらえていました。就活をせずに何となくコンパニオンをしているフリーターのきれいな子が多い中で、彼女は某有名企業にちゃんと就職していきました。さまざまなアルバイトを通じて、就職する前から「私にとっては同じ日なんて2度とない、いろいろな人に会って観察できる仕事が面白いのだ」と気づけたのは幸運でした。
ー大学卒業後はどこに就職されたのですか?
甲原:エステティックサロンの店長に言われたとおり、ソシエに就職しました。私はエステを専門的に学びたかったのですが、当時、フェイシャル・ボディ・脱毛と専門性を分けて教育するのは、ミスパリとソシエの2社だけでした。ソシエを選んだのは、ソシエはフランスのエステダム、そしてゲランやサンローラン、カリタ、タラソテラピーのタルゴ、日本のナボカル、スイスのリディアダイナウ、イスラエルのニルバーナなども扱っていて、幅広く学べるところが私に合っているように感じたからです。OEM化粧品ではなく、本国のメソッドを忠実に再現する教育が徹底されていたのも魅力的でしたね。
また、私は香水もマニア的に好きでしたから、ゲランはそういう意味でもよく知っていました。さらにVIPのお客様相手の接客や対応が非常に勉強になることはコンパニオン時代に一流のホテルや料亭で働いた経験からよく理解していましたので、入社試験の時からゲランに配属されることを願っていました。ゲランの顧客は一般の化粧品メーカーやエステがターゲットにする20代や30代ではなく、40代や50代以降、70代や80代以上も含めた成熟世代のお客様が多いと推測していたのです。
老化と加齢は別物ですし、本来のエステティックで追求する「美」は、女性の加齢を否定するものではありません。花の美しさは満開の時期がピークですが、その美の絶頂期を終えてから、花が枯れるまでの過程もその人それぞれにきれいでいられることを目指すものだと私は思っていました。ですから、そういう在りかたについてもお客様から学びたかったのです。
ー最後に、学生時代に、記憶に残っている印象的なことはあれば教えてください。
甲原:中学の頃、いつも面白い生物の授業をしてくれた先生がいます。ある日、その先生が騒がしい教室を見渡して、こんなことを言いました。
「私も君たちのように若くてもう元気いっぱいの10代があった。しかし気づいたら、髪はこんなに真っ白だ。君たちは今、自分が今のまま一生若く元気だと思っているかもしれない。老いた自分など想像もできないかもしれない。でも、時間というものは、ほんとうに、あっという間に過ぎるんだよ」と。微笑みながら真っ白な白髪の先生はそうおっしゃっていました。
そのとき私は、自分が先生と同じ年齢まで生きたとき、一体どんな風に世の中や年若い人々を見るのだろう、と思いました。尊敬する先生が、教室を眺めて微笑みながらおっしゃる、その「あっという間」とは、一体どんな感じなのだろうと思ったのを強烈に覚えています。おそらく、当時の先生のお年は60歳ぐらい。ですから、もうお亡くなりになっているかもしれません。
時間の経過による加齢は誰にでも平等に起こり、死は災害や不慮の事故や病気や老衰など、原因はさまざまでも、誰にでも不条理に、平等に起こります。しかも突然訪れることもある。老いのスピードはある程度はコントロール可能ですが、死はコントロール不可能な、必ず訪れるものです。生きるとは、絶対に死ぬことですから。ではその大前提を踏まえてどう生きるべきか。その年齢になったときに私が最も避けたい事態はどういうものか考えたとき、惨めさや絶望や後悔があるのが一番嫌だな、と思いました。ならばそうした事態をできる限り避けるためにはどうすればよいのか。
おそらくそれは、既にお話したとおり、若い頃から、それもできるかぎり早い段階から他人や環境といった世界から学び、自分の頭で試行錯誤をして、質問や異議申し立てを恐れず、失敗を沢山することです。失敗なしの成功が立て続けにできるほど、自分は天才ではないし優秀でもないので、物覚えも悪くて理解するまで時間を要するので、おそらく一般的な人よりも時間も労力もかけなければ何も習得できないと思いました。また、何度もトライ&エラーを繰り返すことで、自分の心身がどの程度の痛みや辛苦なら耐えられるかを知ることができると思いましたし、できの良くない自分が心身にしなやかな強靭さを備えるには、そうしたことに時間を集中させて自分の僅かな才を磨くということ以外に、どうも方法が無いようにも感じました。
ですから、頻回な気晴らしの旅行や趣味レベルの習い事や、毎週呑みに行くとか、友達とただお茶するとか、そういうことに時間とお金という人生の二大資源を漫然と投下していると、自分は結局何一つまともにできない人になるだろうと予測したので、そういうものの優先順位は下位とし、極力距離を置くようにしてきました。今でもエンタメやレジャーに沢山の時間を使っている人を見ると、どうやって時間とお金と突き詰めたいことに割く労力とをやりくりしているのか、不思議でなりません。その器用さが私にはないので。
そして同時に、そこまでのチャレンジをしないまま、口先では「もっと良くなりたいです」「自分を変えたいです」と言いながら人生を諦める人のほうが多いこともわかっていました。最初のインタビューでお話したとおり、同級生や学校の周りには、可愛かったり、きれいというだけでちやほやされて、実際に人生を早々にドロップアウトしてしまう女の子というサンプルが身近にたくさんいたので、目先のきつさを避けてラクな方に流される人が少なくなくて、しかもその結果を他責にする人が沢山いることや、依存心が強い人は嫉妬心も強く、他人の目を気にする人ほど劣等感が強いので、他人を批判し妬みケチをつけ、自分では何もせずにさらに劣等感を助長させていく悪循環に陥っていることもとうに理解していました。
社会に出てからは、仕事を通じて富裕層の方々と接することも沢山ありましたが、目先のきつさを避けて他責にする習性が染みついているか否かに、富裕さは関係ないこともよく判りました。現実の厳しさから逃げて逃げて逃げて他責にしまくった挙句、最後に「私の人生こんなはずじゃなかった」なんて、口にしたくもないですし、本当に醜悪です。でも、実際にそういう女性を沢山みてきたのです。良くも悪くも生身の人間の実例と接するのは、やはり説得力が違います。
そんな生き方は、私なら絶対に退屈するに違いないと確信していました。退屈と怠惰で数十年生きた終盤に、惨憺たる後悔をするほうがはるかに嫌だし想像するだけでとても耐えられない!と思ったのです。私は、こういう感覚やものの考え方をたえず自覚的に備えていようと決意しましたし、その思いは今でも変わりません。このようなことを10代の時に考えられたおかげで、「いつかは死ぬ」という事実を直視しない生き方よりも、違う生き方ができてきたのかもしれません。
ただ同時に、10代から30代くらいまでの頃は、目上の人の振る舞いを見て「自分は絶対にああはならない」と思っていたはずなのに、気がついたら多かれ少なかれ自分にもその要素が入り込んでしまっていたりするものだとも思いました。ですから、いざ自分がその年齢になったときにそうならないためにはどうすればよいのか、いつも 自分を少しだけ高いところから俯瞰するようにしよう、と思いました。まあ、それでも愚行も沢山やってきていますから、己の器と程度もよく判りますよね(笑)。
現在も、命は刻々と、死へのカウントダウンをしています。2019年12月の現在、私は42歳と9か月です。健康寿命からカウントダウンすると、私にはもうあと30年しかありません。「人生100年時代」と言いますが、現実的には70年か80年位と考えておいたほうがよいのではないかと思います。少なくとも私にとっては、少なめに見積もっておいたほうが良いだろうと思っています。いくらでも時間があると思うと、些末なことに時間を使ってしまって、もっと大切なことを何かと先延ばしにしてしまいますから。そういうだらしなさや愚かさは、自分にもいくらでもあるのをよく自覚しています。
しかし、80代90代のお客様から見ればひよっこ同然です。「40代なんてまだまだ若いじゃない!何だってできるわよ!」と声をかけていただけますが、自分だってその年齢で40歳も50歳も年下の人と会えばそう言ってあげるでしょう。だからといって、自分の時間がまだ沢山あると勘違いしてはいけません。心身共に高いパフォーマンスができる期間は、そんなに長くないからです。そして、パフォーマンスが落ちてから慌てても遅くて、落ちる前に落ちにくくする準備のために自分から変化を迎え入れることが必要なのです。
それと同時に、お客様や諸先輩方には、40代から新しいチャレンジをして、さらに仕事や人生を発展させていった方が沢山いらっしゃいます。そう考えると、もう人生の折り返し地点を過ぎましたが、まだまだやれることもあるのが40代とも思います。ですからチャレンジを恐れず、今と先をどう生きるべきかを常に考えています。
今の私がいかに恵まれているかを感じさせてくれる仕事とお客様、そして素晴らしい諸先輩方に導かれて、私は本当に幸運です。一億円の宝くじに当たるような運やツキは全くありませんし、そもそも宝くじは買わないので運やツキがあっても当たることもないのですが(笑)。ただ、人との出会いにおいては、善良なモデルも醜悪なモデルも幅広い年齢の女性を定点観察することができていますから、そういう意味では本当に恵まれていて、間違いなくラッキーだと思います。
朝の目覚めから嫌で嫌でたまらない日々を世間体を優先して繰り返しつづけるよりも、今日という1日が始まりからワクワクできるチャレンジをして、柔軟にしなやかに状況の変化に適応して、見知らぬ自分と出会うことを楽しみたいですね。こんな風に、好奇心が強く主体的に物事を決めていくのを好む性格が幸いしているのか、巷でよく言う「暇を持て余す」という感覚がいまだによくわかりません。