ロレッタインタビュー(vol.7)

エステティックサロンや一流ホテル。華やかな場所の裏側も垣間見る

ーエステティックの仕事に就くために、学生時代は何かされたのですか?

甲原:「美容の仕事に就くのであれば、一度現場で働いてみたほうが話は早い」と思い、大学時代に某大手エステティックのアルバイトを体験しました。アルバイト情報誌には「受付募集」と書いてあり、応募をすると、なぜか施術のチームに回されました。「それはそれで面白い」と思って数カ月アルバイトをしましたが、すぐに私の目指す仕事の形ではないとわかりました。

サロンの回転率を上げるといった経営の方法などは勉強にはなりましたが、ベッドに横たわっているお客様の足元に置いたテキストをスタッフが見ながら施術をしているレベルであるのに、高額なコースを押し売りしていることに納得できなかったのです。

この仕事で一生食べていくためには、「職人的な高いスキル」が必要だと私は思いました。そこで店長に質問をしたのです。

ーどんな質問を?

甲原:「この仕事で一生食べていきたいと思っているのですが、どこに就職するのが良いと思いますか?」と率直に尋ねたところ、「本当にこの業界で食べていきたいの?」と返されました。「はい」と答えると、「だったら、ソシエに行きなさい」と言われました。「ソシエならちゃんとした教育を受けさせてくれる。うちによくソシエ出身の中途採用の子たちが働きに来るけれど、技術も接客も申し分ない」。そう店長は教えてくれました。

さらに、「あなたは私のようになってはいけない」とも言いました。「私はもう、会社を辞めたくても辞められない。口がうまくて商品が売れるから店長になっただけで、技術は何も身についていないから独立もできないし、他の仕事をしようにも、年収を1千万円近くもらっているから、生活レベルを落とせない。もう今さら他で働けないのよ!私、これから一体どうするのよ。」と苦しそうでした。

たしかにその店は、店長を始めとした営業スタッフは営業を、施術スタッフは施術に専念するスタイルでした。そのほうがお店を回しやすいのです。店長はいつもタバコを吸っていて、顔中吹き出物だらけでストレスが多そうでした。

ー店長さんは、変にラクをすると、後が困るということを教えてくださったのですね。

甲原:お店の問題点だけではなく、いろいろなお客さまがいることも学びました。お金はあるのでしょうが自分の予約ミスをしらばっくれたり、当日に予約をドタキャンしたのにチケットの消化を嫌がるマナーの悪いお客様がいたのですが、後日、私が就職したサロンにも来店されました。当然、お客さまの言動に注意するように、担当のエステティシャンや受付スタッフに伝えました。世の中は狭いですね。上から目線の人って、自信がないからマウント取らないと自分を保てないんだな、とか、結婚していたり齢30や40を超えていても、精神的自立に躓いたままの人は決して珍しくないんだな、というのがよくわかります。興味深いですよね。

ーエステティックサロン以外のアルバイトはされましたか?

甲原:一流の料亭や高級ホテルでのコンパニオンのアルバイトやそのほかの飲食店でも働きました。社会人になり稼げるようになって華やかな世界に散財する人は少なくないけれど、私は何事に対しても憧れという感情が薄く、「いずれ社会に出て行くのなら、今のうちに華やかそうな世界の裏方や仕組みを見ておいたほうが得でしょ」と思ったのです。実際にいろいろなことがありました。宴会部のバックルームで、黒服が配膳スタッフにとてもぞんざいなふるまいをしていることもありましたし、マルチ商法の怪しげな人たちが、勧誘や商談のために、高級ホテルのラウンジを使っているのを目にすることもたびたびありました。逆に、本当の富裕層の方は振る舞いも持ち物も違うので、面白かったですよ。

また、コンパニオンの仕事などをする中で、「きれいな女の子達というサンプル」の会話の内容や男性に対する態度の変化を観察しつつ、「おじさんに愛想良く相槌をうっていれば、世渡りは楽勝」という社会認識をしてしまうと、若さの期限が切れたあとの人生の後半戦があまりにも長くて大変なんじゃないかな?と思っていました。
日本では、女性に対して「無知で若くて可愛いこと」を美点とする風潮があります。しかし、それは老化とともに期限切れが訪れます。「若くて女」というスペックでチヤホヤされるのは20代まで。人生前半のたった5分の1か4分の1の超期間限定バブルです。まるで自分に実力があるように錯覚しやすいけれど、数年後にそのポジションは似たような若い子に回転ドア的に入れ替わります。私はそれ以外の根源的な「人間力」を早い段階から高めていかないと、残りの長い時間、友人関係でも仕事の場でも、ろくに相手をされなくなるだろうと考えていました。

思い返すと、コンパニオンのアルバイトのときに、1人だけ私と似たような考えの子がいました。彼女は「高級ホテルや料亭でのテーブルマナーや接待も学べて、いろんな会社の催しや宴会の様子も垣間見られるから勉強になるよね」と、このアルバイトを社会見学的にとらえていました。就活をせずに何となくコンパニオンをしているフリーターのきれいな子が多い中で、彼女は某有名企業にちゃんと就職していきました。さまざまなアルバイトを通じて、就職する前から「私にとっては同じ日なんて2度とない。いろいろな人に会って観察できる仕事が面白いのだ」と気づけたのは幸運でした。

ー大学卒業後はどこに就職されたのですか?

甲原:エステティックサロンの店長に言われたとおり、ソシエに就職しました。私はエステを専門的に学びたかったのですが、当時、フェイシャル・ボディ・脱毛と専門性を分けて教育するのは、ミスパリとソシエの2社だけでした。ソシエを選んだのは、ゲランやサンローランも扱っていて、フランスの美容が私に合っているように感じたからです。OEM化粧品ではなく、本国のメソッドを忠実に再現する教育が徹底されていたのも魅力的でしたね。

また、私は香水もマニア的に好きでしたから、ゲランはそういう意味でもよく知っていました。さらにVIPのお客様相手の接客や対応が非常に勉強になることはコンパニオン時代に一流のホテルや料亭で働いた経験からよく理解していましたので、入社試験の時からゲランに配属されることを願っていました。ゲランの顧客は一般の化粧品メーカーやエステよりも成熟世代のお客様が多いと推測していたのです。

老化と加齢は別物ですし、本来のエステティックで追求する「美」は、女性の加齢を否定するものではありません。花の美しさは満開でピークを迎えますが、絶頂期を終えて花が枯れるまでの過程もその人それぞれにきれいでいられることを目指すものだと私は思っていましたから、そういう在りかたについてもお客様から学びたかったのです。

ー最後に、学生時代に、記憶に残っている印象的なことはあれば教えてください。

甲原:中学の頃、いつも面白い生物の授業をしてくれた先生がいます。ある日、その先生が騒がしい教室を見渡して、こんなことを言いました。
「私も君たちのように若くてもう元気いっぱいの10代があった。しかし気づいたら、髪はこんなに真っ白だ。君たちは今、自分が今のまま一生若く元気だと思っているかもしれない。老いた自分など想像もできないかもしれない。でも、時間というものは、ほんとうに、あっという間に過ぎるんだよ」と。微笑みながら先生はそうおっしゃっていました。

そのとき私は、自分が先生と同じ年齢まで生きたとき、一体どんな風に世の中や年若い人々を見るのだろう、と思いました。尊敬する先生が、教室を眺めて微笑みながらおっしゃる、その「あっという間」とは、一体どんな感じなのだろうと思ったのを強烈に覚えています。おそらく、当時の先生のお年は60歳ぐらい。ですから、もうお亡くなりになっているかもしれません。

時間の経過による加齢は誰にでも平等に起こり、死は災害や不慮の事故や病気や老衰など、原因はさまざまでも、誰にでも不条理に、平等に起こります。しかも突然訪れることもある。老いのスピードはある程度はコントロール可能ですが、死はコントロール不可能な、必ず訪れるものです。生きるとは、絶対に死ぬことですから。

ではその大前提を踏まえてどう生きるべきか。その年齢になったときに私が最も避けたい事態はどういうものか考えたとき、惨めだったり、絶望や後悔、心残りがあったりするのが一番嫌だな、と思いました。

ならばそうした事態をできる限り避けるためにはどうすればよいのか。

おそらくそれは、若い頃から、それもできるかぎり早い段階から他人や環境といった世界から学び、自分の頭で試行錯誤をして、質問や異議申し立てを恐れず、失敗を沢山することです。
小さなことでも大きなことでも、チャレンジはすればするほど、必ず失敗はします。私もそうです。失敗なしの成功が立て続けにできるほど、自分は天才ではないし優秀でもないことは理解していましたから(笑)。

でも、そうやって何度もトライ&エラーを繰り返すことで、自分の心身がどの程度の痛みや辛苦なら耐えられるかを知ることができると思いましたし、心身にしなやかな強靭さを備えるには、どうもそれ以外に方法が無いようにも感じました。

そして同時に、チャレンジをしないまま、人生を諦める人のほうが多いこともわかっていました。最初のインタビューでお話したとおり、同級生や学校の周りには、可愛かったり、きれいというだけでちやほやされて、実際に人生を早々にドロップアウトしてしまう女の子というサンプルが身近にたくさんいたので、目先のきつさを避けて、ラクな方に流される人が少なくなくて、しかもその結果を他責にする人が沢山いることは、とうに理解していました。

そんな生き方は、私なら絶対に退屈するに違いないと確信していました。退屈と怠惰で数十年生きた終盤に、惨憺たる後悔をするほうがはるかに嫌でした。想像するだけでとても耐えられない!と思ったのです。私は、こういう感覚やものの考え方をたえず自覚的に備えていようと決意しました。そしてその思いは今でも変わりません。このようなことを10代の時に考えられたおかげで、「いつかは死ぬ」という事実を直視しない生き方よりも、違う生き方ができてきたのかもしれません。

現在も、命は刻々と、死へのカウントダウンをしています。2019年12月の現在、私は42歳と9か月です。健康寿命からカウントダウンすると、私にはもうあと30年しかありません。「人生100年時代」と言いますが、現実的には80年前後と考えたほうがよいでしょう。

しかし、80代90代のお客様から見ればひよっこ同然です。「40代なんてまだまだ若いじゃない!何だってできるわよ!」と声をかけていただけます。お客様や諸先輩方には、40代から新しいチャレンジをして、さらに仕事や人生を発展させていった方が沢山いらっしゃいます。そう考えると、もう人生の折り返し地点を過ぎましたが、まだまだやれることもあるのが40代です。チャレンジを恐れず、どう生きるべきかを私も常に考えています。

今の私がいかに恵まれているかを感じさせてくれる仕事とお客様、そして諸先輩方に導かれて、毎日がほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。