ロレッタブログ

デヴィ夫人の婚活論<つづき1> - 2019.02.18

昨日のつづき。

夫人は美貌と才覚で結婚して気が緩むどころか、その座に胡坐をかかず徹底した努力を継続→さらなる選び放題→我が道を自由に闊歩、というところが稀有。
他人の存在は自分を奮起させる一要素でしかなくて、 戦争の辛さと厳しさを知っているから、良くなるためならなんだってできるというハングリーさは素直に見習いたい。 この人の闘いは、諦めないという自分との闘いなんですよ。

夫人がここまでの向上を遂げられられたのは、煩雑な家事というものから解放されている点も大きいような気はします。一般人とは異なり、持てる時間を教養の拡張と深化とサプライズの演出と美に全力投球できるわけだから。

そもそも社交界のサロン文化は、マダムを筆頭に知的な会話ができてなんぼの世界。それができないマダムの元にそもそも人は集まらないし、自分だって招かれない。家事なんてサーバントが何人もいてやる必要がなく、お金も時間もありあまっている人達に最も好まれるのはイエスマンではなく機知に富んだ会話ができる人物。だから上流階級は社交が仕事なんですよね。

しかも亡命先の50年前の欧米社交界で夫人は美しくてもやはりアジア人。亡命者という立場は軍事政権に代わったインドネシアではもはや犯罪者扱い。差別や汚名や偏見にも負けないメンタルの強さと向上心にさらに拍車がかかったのではないかと推測。

しかも日本の戸籍は結婚で除籍しているし、日本政府も助けてくれず、幼子を抱えた亡命先でも生活レベルは守りたい、となると新たな資産と社会的立場の確立に明晰な頭脳もフル回転したでしょう。6か国語習得とエネルギー利権と遺産獲得までに至ったのは、徹底的に退路を断たれたからこその結果ではないかと推測します 。誰かにぶら下がりながら ユルユルぼんやり生きて他人を嫉むしか能のない人に、ここまでの猪突猛進さなんてあるはずもない。

しかし、20年ぐらい前から日本のTV番組ではご意見番的なポジションで出演してきていたのに、なぜ今ここまで夫人は人気がでたのでしょうか?

続きは明日。