ロレッタブログ

結婚の条件 - 2012.02.07

ロレッタの読書覚書を参考に、興味を引いた本を読んでくださっているお客様がいらしてとてもうれしいです!!世界と視野を大きく広げてくれるものとの出会いは、何ものにも代えがたい幸福のひとつですよね。


2月に入ってからも色々と呼んでいるのですが、1月末に読んでとっても面白かったのが小倉千加子さんのこの一冊。次々と繰り出される辛辣、かつ事実を突き付けるフレーズに、ふきだしてしまいました!心臓に悪い人もいるかもしれませんが、この本は特に男性に読んでほしいです。ぜひ!
と同時に、著者を知らずにタイトルだけ見て「きっと甘い恋愛結婚エッセイね!」と思って買っちゃった女性は爆死するんじゃないでしょうか。


結婚の条件 / 小倉千加子 / 朝日新聞社出版局


晩婚化の傾向は止まらず、日本は少子化に喘いでいる。「結婚しても、自分の時間が持ちたい」という表現に込められた若い女性の心の中にあるブラック・ホールが理解できなければ、少子化対策は立てられない。
結婚するなら見合い結婚ではなく恋愛結婚がいいという答が圧倒的だからといって、恋愛と結婚を混同してはいけない。


恋愛と結婚が同じだと思うのは「ロマンティック・イデオロギー」に染まっている古いタイプの人だ。
結婚相手に求める条件と恋人に求める条件は違う。それなら条件で選べる見合いで相手を探せばいいじゃないかという意見は、あまりに鈍感で女心を知らなさ過ぎる。
見合いしてまで結婚するなどということは、つまり目的的に結婚することなど、プライドが邪魔してできないのだ。恋愛結婚のような「自然な出会い」で結婚に辿りつきたい。しかし結婚と恋愛は別だという未婚女性の結婚願望の三次方程式が判らなければ、有効な少子化対策はたてられない。
残念なことに、この国の少子化対応施策はことごとくツボをはずしている。税金の無駄遣いだとはっきり言ってもいいと思う。結婚は奥の深い、微妙でデリケートな現象だ。そこには人間の欲望とコンプレックスが渦巻いている。あまりにも屈折しているので、一筋縄ではいかない現象だ。


また、保育所待機児ゼロ作戦などという政策(保育所設置の条件緩和等)が既婚者向けに始められている。
しかし、少子化の最大の原因は、子どもを産む妊孕性の高い世代の女性が、晩婚化によって結婚を逡巡しているからで、当の未婚女性は保育所問題には関心が無い。
「保育所の数が足りないから未婚女性は子どもを産みたくないと思っているとおもうか?」と女子学生に問うと、全員が一笑に付す。保育所が充足していようと不足していようと、そんなことは女性が最初の子どもを産むかどうかを決めるのに何の関係も無い。しかし、未婚者が結婚をためらう気持ちと既婚者が子どもをこれ以上産みたくないという気持ちには通奏底音がある。
総ての鍵は「結婚」が握っている。幸福な結婚でなければ結婚も子育てもしないほうがましなのだ。「不幸な結婚生活」ほど恐るべきものはない。


「超お金持ちのブタ男と、超かっこいい貧乏男だったら、どっちと結婚する?」という究極の質問に、女子大生は「どっちともしない、一人で生きていく」と答える。「超お金持ちのそこそこ男と、超かっこいい貧乏男とだったら?」という質問には、全員が「そこそこ男」と答える。

結婚に対して、女性は冷静なチョイスをし、選択は画一化している。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のと一緒で、みんなで結婚を先延ばしにし、ポーカーでいえば何度もチェンジしていいカードを持ち続け、その結果、ひたひたと少子化が進行している。
少子化対策に、日本中の未婚女性に政府は『VERY』を無料で配布したらどうかと思う

人はなぜ、「適当な洗濯機」は探せるのに「適当な結婚相手」を探せないのか。それは自分の市場価値評価を正しく行えないからだ。


結婚には3種類ある。生存・依存・自己保存。中流階級の娘の「お嬢さま化」
女性は自分の「カオ」を棚に上げて「カネ」を求め、男性は自分の「カネ」を棚に上げて「カオ」を求めている。誰かが本当のことを教えてやらねばならない。
(女は)生活のための労働は奴隷(男)にさせ自分は貴族のように意義のある仕事を優雅にしていたい。フェミニズムとヤクザは似ている。どちらも男に厳しく、女にやさしい。日本中の父親が梅宮辰夫化している現在、労働からの逃避は避けられないと考えなければなるまい。猫をカスタード・クリームの中で溺死させるという殺し方もあるということだ。


女子学生は、現在の自分の生活水準を保障してくれる男を探し、男子学生はユートピア的場所となる女を探す。しかし、そんな理想の相手はどこにもいない。いやしかし、理想の相手を見つけて幸福な結婚をしている人が現にいるではないか。自分はなぜそこから締め出されるのか。なぜ夢を追ってはいけないのか。

小倉さんは、かつてフェミニズムの立場で主張することについて「海に砂糖を撒くかんじ」と語ったことがあるそうです。無力感と徒労感。かつての大学の講義には、受講生が殺到して抽選になり、それでも予定していた教室では学生が入りきらず、入学式を執り行う講堂で講義をしなければならなかった程らしい。

アマゾンで「中見」もできますが、とても判りやすい要約を記しているサイトを見つけたので、ご興味のあるかたはぜひどうぞ。最後の方に出てくる女子学生と男子学生の話、これほんとうにわらっちゃいます。まさに「こういう条件がものすごく高望みでなくてなんであろうか」。