美容整形して可愛くor美人になって性格が悪くなる人はいますか? - 2019.02.11
久しぶりに幹也先生の動画をみてみました。
このお話、すごーく良くわかります。「整形しない女のほうがバカなのよ、ケッ」とか他人をあざけったり、他の女性に対して「ブス黙れ!」みたいになる人は確かにある一定数います。でも、これって本人に備わっていた性格が整形で表出しやすくなっただけで、元々性格が悪いんです。整形後の顔を褒められても、それは主治医の腕が良いことを褒めているのであり、自分という人間そのものが褒められていると勘違いしてはいけない。そして、美人を妬んでも美しくはならないが、ブスを見下しても美しくはならない、という当然の事実に気づく知性も備えていない。
2017年のブログ記事でも言及しましたよね。↓
恋愛の間口は広がるけど、最終的には性格
他人と比較して自分が優位に立ちたい、勝ちたいというその心理のベースにあるのは虚栄心や見栄です。だから、美というはかなく小さな権力を手にしただけで心根の悪さがダダ漏れになる人が出てくるわけ。その人物の素は、その人の小さな権力(金・地位・肩書・所属・美・家族の出世・学歴など)を与えればすぐ露呈する。小物ほど支配者ぶる。
そういう人と出会ったら、よく観察しておくことをお勧めします。他者評価を気にしながらも今以上の自助努力はしたくない人ほど、他人を貶めることで自分の優位性を保とうとするのがよくわかります。ただし、安易な行為で得た安心は束の間で、長期的にその人を支えるほど持続しないから、その人は頻繁に同様の威嚇を巻き散らしているはずです。きっとある一定以上観察したら、それ以上観察する価値すらない空っぽな人なのがわかるでしょう。見栄を張って自分に注目を集めないと誰にも構ってもらえないほど精神的な自立ができない「構ってちゃんメンヘラ」なのが、よく判るでしょう。
だから、整形してもちっとも本気で他者から関心を持ってもらえない(=友達がいない、モテない、本気で心配してくれる人がいない)ということは、全く珍しくないのです。顔の造りは綺麗でも、険があって見下したり威嚇してくるような人は顔つきが悪くなるし、ユーモアもなければ面白い話もできない人は退屈だから、共に長く過ごすには間が持たないんです。
私は、自分を最後まで見捨てずに一番大事にしてあげられるのは自分しかいないと考えます。だから、自分のために美容も整形もメイクもファッションもヘアケアも勉強も仕事も、自分のライフスタイルと価値観に合う形で活用すればいい。そこにわざわざ他者比較での優越や序列というパワーゲームをもってくるのは、全くもってくだらない。自己向上に集中していれば、他人の事はどうでもよくなるし、自分を充実させれば自ずと世界は広がる。知的好奇心に限りは無いから自然と話題豊富になる。外見のみに囚われず、多面的に自己向上したくなるはずなんです。だから正直なところ、造形や小さなことだけに固執しつづけている人は、メンタルのバランスを崩していることが多いです。特に私の場合は、幸いなことに桁違いの成功者で大変な人格者の方々、つまり心の健康度の高い人に出会う機会に恵まれてきたので、心の健康度を失っている人に気づきやすいのかもしれませんが。

忘れてはならないのが、黄金比に整える目的の整形と、アンチエイジング目的で行う整形は全く違うということです。後者は美容もスキンケアも整形もかかる金額はエンドレス。なぜならば、現状維持はそもそも不可能だからです。刻一刻と老化と傷みは進行するのが生命万物の宿命。それに限界まで抗うなら、費用はどんどん膨らんでいく。もしそんなにお金もかけられないし、でもどうしても今以上一ミリたりとも老けたくないというのであれば、今この瞬間に死ぬしかない。だって、時を止めるのはその方法しかないからね。しかも日本なら大抵の場合はたちまち火葬されて灰になる。土葬にしたって腐るだろうし、ミイラみたいに薬草をしみこませた包帯で巻いてもしぼむし、せっかくの自慢の顔も見てもらえなくなるから意味はなくなる。(笑)万物の形は一時として留まることが無いのです。
こういう「自分ではどうにもならない事実」を認めたくなくて、どうにもならないということを理解しようともしないまま漫然と年を重ねていってしまうとどうなるかというと、誰の目にも見えていない毛穴とかミリサイズのシミとかの枝葉末節にこだわり続けて、心の健康度はますます低くなります。自分の力でどうにかできることと、できないことを見分けるのが知性。メンタルが未成熟なまま年老いてしまっている人は「幼いおばさんと幼いおじさん」です。
私がそういう人と遭遇したときに受ける印象は、文学や詩や映画に親しんだり、演劇やダンスで感動したり、哲学や様々な思想を学んだりというような、多様な他者と交わり自分の知と感性を積極的に拡張することをあまりしてこなかったのかも・・・?というものです。

時間の集積が自分の人生になるので、一見なんの価値にもならなさそうな金勘定とは無縁の純粋な学びに、群ではなく個で没頭する喜びの時間を持たずに生きていると、心の健康度は保ちづらくなる。
つづきは明日。