ロレッタブログ

マウンティングやパワーゲームは一抜けしましょう - 2019.03.19

→●美容整形して可愛くor美人になって性格が悪くなる人はいますか?

を読んだK様からご相談いただきました。 ディティールの違いはあれど似た訴えをお客様から、とてもよく聞きます。 K様にはブログ掲載の許可をいただいたので(ご協力をどうもありがとうございます!)、今日から3回に分けて記しますね。思い当たる経験のあるかた、それとは逆の、ご自身の威嚇行動を止められないかた(ロレッタのお客様にはそうした傾向の強いかたはあまりいないように思いますが)、どちらも辛くてしんどいと思いますから、どちらにとっても参考になれば。

訴えの内容は「上司によく叱られるのだが、周囲からも「いくらなんでもあれはちょっとおかしいレベルなんじゃないか」と心配されるほどのレベルで怒鳴られ続けている。 私の力不足もあるのだとは思うが、 最近は耳鳴りと頭痛がする。先日は通勤電車内で動悸がしてきて呼吸がおかしくなり、混んでいる車内で座り込んでしまった」とのこと。この上司のかたは誰もが知るようなブランドのバッグなどをよく持っているしいです。わたしもこういう上司に幾度か遭遇したことがあるので、お気持ちお察しします・・・。

心に無理を続けていると、その悲鳴が身体症状として現れることは珍しくありません。メニエール、過呼吸、蕁麻疹、腰痛など、なにかしらの発作や痛みを伴うことは珍しくなく、原因は自律神経失調症やストレスと診断されることが多いのですが、行き過ぎると自己免疫疾患や難病を発症することがあります。心当たりのあるかたは、前にもご紹介したこの本がお勧めです。

「いやだ!」「ノー!」と言わなければ、結局、身体がわたしたちの代わりに「ノー」と言い始めるだろう。

患者たちの語りから垣間見える、無力でストレスに満ちた子供時代。周囲に自分を合わせ、生き延びるために無意識にとった戦略が病気の元となるとは……。
 強皮症、慢性関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、バセドウ病、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症等の自己免疫疾患をはじめ、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病、がん、アトピー性皮膚炎などの病気と、当人の生き方、心の在り方との関係を“精神神経免疫学”の観点から解き明かす。
 
 家庭・社会環境がもたらす心理的ストレスは病気の大きな要因の一つだが、本書は家庭や職場といった外的条件に潜む問題もさることながら、そうした環境の中で自分のありのままの感情を表現することが抑圧されるとどうなるか、という点に重点を置いている。著者によれば、あまりにも協調的な「いい人」や頑張り屋さんほど、自己免疫疾患にかかりやすいという。日本人にはぐさりとくる指摘だろう。


最善策はストレス要員からすみやかに離れること
ですが、幸いK様は人事異動で春から別部署に異動できるらしく、本当によかったです!!本当によく辛抱しましたね。辛抱や忍耐で事態がよくなるのであれば、まだやり過ごせることもありますが、辛抱しても事態が良くなる見込みがない場合は、一刻も早く脱出することを考えましょう。 それはいじめと同じなのです。真面目な人ほど助けを求めることや逃げることを卑怯とか迷惑をかけると捉えがちですが、これは破綻する前に自分自身の心身を守るために最も大切な選択肢です。

沢山の人とお会いしているとよくわかるのですが、自分の心身を度外視してまで職場や家庭に合わせてきた結果、自己犠牲が自己破綻に至り、心身の健康を損ねて退職や休職や離婚や別居に至るケースは珍しくありません。また、物事に完璧はありえないので、完璧主義もストレスを自ら増幅させる性格のように思います。嫌なことを無理矢理やっていたり、現実には起こりえない完璧を求めてやっているのだから長期に及ぶほど心身の被害も深く広がって生じるのですよね。

そして本当にもったいないことなのですが、傷んだ心身の回復には、我慢してきた年月よりも長くかかることもざらで、そうなるまで我慢して稼いだお金が治療費に費やされてしまうことも、珍しくありません。あとになってから「私はなんのためにこんなに我慢して無理をしていたのだろうか。もっと早く辞めればよかった」という声は当事者からとてもよく聞かれるのです。身体に触れるとテンションマッスルと言われる上背部がガチガチの鋼みたいな過緊張状態のことが多いですね。

短期的にはご自身が我慢することで得られるメリットもあったのだとは思いますし、それがあるから続けられたのだとも思いますが、自分の根が鉢植えの土の中でじわりじわりと腐っていくような関係性からはもう少し早い段階で離れたほうがよかったのだと、心身の色々なところが壊れてから気がつくことってありますよね。

色々な人を見ているとよくわかるのですが、マウンティングや理不尽なレベルの叱責や八つ当たりをしてくる人は、その本人こそが惨めで惨憺たる心の持ち主だっりするので、そういうことを知っておくのも有益かと。こちらも気の持ちようが多少なりとも違ってくるかもしれませんから。これはどういうことかというと、孤独な人ほど他人に厳しくなり、周囲の人の言動をネガティブにとらえるということなんですよ。だから、何を言われてもマイナスに受けとって過剰反応する。ベルリンの壁的な精神的バリケードを築いて他者をシャットアウトしているのは自分のほうだと当人は気づいておらず、結局「かまってほしい」「認めてほしい」「わかってほしい」が攻撃でしか表出できないのです。自分の思うようにならないからといって泣くか叫ぶか怒るかでしか表現できないコミュニケーション能力は幼児と同等です。 (言うまでもないが叱ると怒るは別物です。)暦年齢はもういい大人の人間がそんな風だからこそ、人生がますますうまくいかなくなるんですが、そういう一番耳に痛いことは本人には誰も言ってくれない。だって、そういう関係性を誰とも築いてこれなかったのだから。気の毒な負のル―プですよね。

私もこういうタイプの上司がいた経験が何度かあるので、なんとなく想像できるのですが、おそらくこういうタイプの人は、自分をそれなりの大物だと思いこみたいから、自分より少しでも上だと思えばムッとするタイプでしょう。具体的に例をあげると、「弱い犬ほどよく吠える」のとおりで、根源的に自信がないから他者比較と誇示をせずにはいられない。内心は常に不安でオドオドしており、自分はたいした人間だと思えないから「他人よりもいいものを持たなければ」 と威張れるものを何かしら身に着けたい。誰も自分なんか話に耳を傾けてくれないと自己卑下しているから、より強力な鎧と思われそうな、誰もが知るブランドものを装備したくなる。馬鹿にされるかもしれないと怯えているから、実際に馬鹿にされる前に先制攻撃をしなければ心もとない。エリート志向が高い方や男性だと、学歴が自分より上ならなおさら敵視するかもしれない。一方で、相手が年下なら自分のほうが人生経験が豊富なはずだと思いこめるから(まさにこれこそが人生経験が少ない証拠なのだが)先輩面ができたり、金銭を介在させることで自分の優位性を予め確保できる接客サービス業の相手でもないと気楽に接することができない・・・という人が多いように感じています。

しかしこんな調子では、いつまでたっても幸福感は希薄なままなんですよ。幸せや成功の基準が全て他人の物差しだから。 しかもその物差しの測定可能範囲は狭いのです。社内、同級生、行きつけの飲み屋やカフェ、隣近所を合わせたとしてもおそらく50人もいないのではないでしょうか。カウンセラーの信田さよ子さんは「世間というものは、わずか20人ぐらいの知人と、その背後に広がる『日本中の人たち』という幻想から構成されている」と記されていましたが、まったくその通りだと思います。世間様と少々の知人相手にマウンティングをする人にはウォーレン・バフェットやビル・ゲイツやジェフ・ベゾスと自分を比較するほどのスケール感はないです。

どうせ威張るなら高価なものを持たなくても、本人だけでこんな凄みや

こんな迫力を備えていてほしい。

しかし、やっかいなのがこういう高圧的なタイプに限って、実は「こんな居丈高で傲慢な自分をどうかしてほしい」とも心のどこかで思っていたりすることもあるのですよね。実は自分にとことん寄り添って本気で叱ってくれる人が欲しかったりもするわけです。でも、素直じゃないからそんな人寄ってこないし、いたところでどこかで愛想つかして見限られるのがオチです。

なので、もしここに書いたようなレベルまで心の土台が傷んでいる人なら、臨床カウンセリングの専門家に任せた方が良く、我々一般人はむやみに関わらない方がよい事例です。(笑)そうじゃないと、我が身が危険ですから。それとなくフェイドアウトしましょうね。

つづきは明日。