ロレッタブログ

便利なテクノロジーの進化で失われた能力 - 2020.02.05

現代人の身体能力の低さはもはや危険レベルですがこれは子供にも及んでいるそうです。テクノロジーの進化であらゆる面で利便性は向上したけれど、それと引き換えに、生きるために必要な身体能力すら失っていきつつあるようです。

私は大人を相手にする仕事なので、エステの技術指導や、ピラティス、パワープレートのセッションを通じて、頻回に感じています。サロンでのセッションが、その事実に気づくきっかけになり、それぞれが生涯自分らしく自立して生きるための身体の再構築のための発奮に繋げて頂ければと思います。

怠けるのは楽ですが、後で困るの自分です。便利に流されすぎず。どのテクノロジーをどの程度活用するかについて、再考したほうがよさそうです。幼い子供には、より慎重にしたほうがよいでしょうね。便利過ぎる環境に置かれた子供たちの身体能力と脳機能の消失は、本当に恐ろしいレベルのようです。

→●「ノートがとれない」中学生日本の子どもたちの読解力はなぜ落ちたのか。新井紀子さんインタビュー。

新井: 実は、今の子どもの多くが、中学生になってもノートが取れません。ノートの取り方自体がわからない。成績下位の生徒だけでなく、中の上の生徒でもそうなんです。板書を写させると、写すことに「認知負荷」がかかりすぎるので、先生の話が聞けなくなります。板書に認知負荷が全て持っていかれてしまい、先生の話が聞けない状態なのです。本来ならば小学校3、4年生くらいまでに、先生の話を聞きながらノートが取れるようになってほしいのですが、それが難しい状況になっています。

先日訪ねた小学校では、5年生で自分の名前を漢字で書けない子が半数いたんですよ。

浜田:普通の公立小学校で、ですか?

新井:はい。理由の1つはキラキラネーム。小学校での配当漢字にない画数の多い名前が多いんですね。

さらに今の子どもたちは手先が不器用なんです。手先を細かくコントロールしなければならないタスクが家庭内で減っています。そのまま小学校に入学してくると、雑巾を絞れない、トイレでお尻を上手に拭けない。その状態では字をマスの中に書けない、定規で線を引こうとしても定規が斜めになってしまって上手く線を引けない。だから「ノートに定規で線を引いて」と指示すると、全員が書き終わるまでに何分もかかってしまう。

浜田:そうすると先生の話が頭に入ってこないわけですね。

新井:そうです。定規で線を書くのでいっぱいいっぱいになってしまいますので。そうすると先生も困って、ノートを書かなくてもいいように、プリント中心の授業にしてしまう。プリントだと、穴埋め部分しか字を書かないので、ますます字を書かなくなり、手先がコントロールできなくなるという悪循環が生まれているのです。3年生でこういうことがしたい!と先生が思っても、それができない状態です。

新井:核家族では、会話をする大人も限られる。新聞もとっていない、カレンダーやアナログ時計もない家庭も多いです。小学校に入るまで数字も字も見たことがない、1週間が何日かを知らない、という子どもも増えています。キャッシュレスが進めばお釣りの計算もできなくなる。便利になることが、子どもたちの自然に学ぶ機会の損失になることを、私たちは考えてこなかったんですよね。