ロレッタブログ

芝桜 - 2012.01.17

四歳のときに京都祗園甲部の芸妓置屋「岩崎」の女将に見初められ、「100年に1人」とも言われる存在で人気を博した岩崎 峰子さんの著書で、有吉佐和子さんがお座敷にいらしたときに、話しかけてもあまりよい反応が無く、退屈なのか、気にらないのか、とても気がかりだったというお話がありました。その後、お座敷で自分たちが交わしていた会話から後日「芝桜」という小説が生まれていて驚いた、とあり、興味をそそられ一気に読了。
下記のとおりバッサリと厳しい言葉もつづくのですが、花柳界という特殊な世界で育つ女性の言葉遣いに身のこなし、男性と花柳界の交流の在り方などなどいわゆる「男の甲斐性」というか「男の器」も考えさせられます。
もちろん着物が大好きな方には、たまらない小説と思います。
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芝桜(上) / 有吉佐和子 / 新潮文庫

「正ちゃん。あなたが大変だって言ってた意味がよく分るわ。楽じゃないわねえ。私は叱言をいってるんじゃないのよ。正ちゃんが気の毒で見ちゃいられないから口出ししちゃうのよ。津川家の看板が鳴くようなひどい妓ばっかりじゃないの」
「そんなことないわよ。阿や八姐さんのおめがねなんだから、みんな」
「そんな上玉がいるとは見えないけどねえ、まあ正ちゃんも大ていの苦労じゃないわ」
同情して溜息をついている。
正子も正直なところは芸者の仕込みについては手を焼いている。阿や八の養女だったとはいっても、つい昨日まで同じように阿や八にがみがみ躾けられて育ってきたのだ。姐さん風を吹かすには正子はなんといっても若すぎた。二十二歳といえば年齢からいって土地では中堅の芸者だし、その中ではずっとスターのような地位を守ってきている梅弥の正子なのだが、突然のように阿や八に死なれてみると戸惑うことがあまりにも多い。同じ津川家の芸者といっても、一人一人の違いが大きすぎるのである。
売れない妓というのは、本当に売れないだけの理由があると正子には分かってきていた。正子は出だしから幸運に恵まれていて、阿や八も最初から別扱いにしてくれたのだが、今になってみると、それにはそれなりの理由が正子の方にもあったのだということだ分る。
客は花柳界には憂さ晴らしに来るのだから、何より芸者は陽気でなければいけない。ひっそりした女は、それなりにその中で目立ちはするが、そこでいい客がつくかつかないかは、やはりその女が見かけと違って寝に陽性なものをもっているかいないかで決まることになる。
正子たちの土地には柳橋のように角力の出入りはあまりないのだが、どんな商売にも賭博性はつきものだから、角力が土俵を前にして寝た女に負け女と勝ち女の区別をつけるようなところが、どんな客にもあるのである。その点、陰気な女はどんなに美しくて賢くても客は気が滅入るから芸者としては失格なのである。
見かけが派手な目鼻だちでも、あんまり愚かな口をきくのは客の会話を白けさせるから、そういう芸者も嫌われる。芸一本槍というのも座の取持ができないわけだから、どんなに三味線の筋がよくても一流の扱いは受けるわけにはいかない。
どうせ芸者になるからには生まれ育ちのいい女が集まっているわけはないのだが、その生まれ育ちが立ち居振舞に現れるようなのも、いい客からは敬遠される。しかし何事も心がらなので、親が叩き大工でも気位の高い娘はできるものなのである。金持ちばかりが集まっているところで、客は日頃から世辞追従には首までたっぷり浸っているから、むやみと口上手に御機嫌ばかりとるような女は、肚の卑しさが見透かされるからいけない。花柳界には幇間というその方の専門家が既にいるのである。
こんなことは、ちょっとお座敷で注意していれば分ることだと正子は思うのに、何年芸者をしていても、芸者の分がよく分からない女がいる。美しい。騒がしい。世辞がうまい。芸もある。それでもお茶をひき続けているのがいて、当人がその理由が分かっていない、というのがいるのである。津川家の中にも三人ばかりそういうウダツのあがらない女がいて、これは正子も頭痛の種だった。自分が売れない芸者だと分れば、せめて誰かの取巻になって、座敷の数だけでもこなすように心掛ければいいと思うのに、それもしない。いや、それもできない。
才覚というものでは梅弥の正子も及ばぬだけのものを持っている蔦代としたら、それはもう横で見ていても腹の立つものだろう。だから蔦代が言うように、正子の身になってつい口が出てしまうのに違いない。
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