ロレッタブログ

人間の価値は見た目が何割? - 2017.12.15

「人間の価値は見た目が何割?」って、難しいテーマですが気になりますよね。
果たして女性と男性の価値は見た目が何割なのでしょうか?

私は仕事では主に女性の言い分を聞き、プライベートでは2丁目でLGBTやノンケ男性の言い分を聞く(キャバクラの持ち上げ接客でもなく、男同士で実績マウンティングをしたいわけでもない時に2丁目に来る)という、まんべんなく様々な人の言い分を聞けるところにいるので、人間の裏でも表でもない真ん中の顔がよく見えてほんとうに面白い。


身も蓋もない事実だけど、男性はお金があれば容姿はあまり問われません。外見の最低ラインは清潔であること。
「優しい人」とや「価値観の合う人」がいいなんてよく女性はいいますが、おそらく世の多くの女性が思う男性の優しさって、端的にいうと自分にどのぐらいお金(と時間)を費やしてくれるかで測られるんですよ。だから容姿よりもケチな男性のほうが絶対的に×なわけ。優先順位は「自分に費やしてくれるお金>自分に費やしてくれる時間(マメさと手間ひま)>セックス>見た目」ではないかと推測する。この順番が逆転するとヒモと呼ばれる。

でも、ヒモというと響きが悪いようだけど、女性がお金を稼げて知性も備えるようになったら「自分を養ってくれる男性」という存在が不要になってくるのは自然な流れなんですよね。男性がこれをやるとトロフィーワイフとかいろいろ言われるけど、男女問わず似たようなことになるわけです。かつてジャンヌ・モローが「名声も知性もお金も全て私は持っているから、男性は美しいだけで結構」と語ったとおり。
加齢や病気を経るとその先に必ず訪れる死を意識するから、一人が心細くなり誰かを求めることはあるとしても、相手の存在や相手を求める意味がそもそも違う。

うちのお客様には依存&他力本願じゃなくて、自立&自力本願で、さらにその次にある相互扶助のステージを目指している女性が多いので、私が言わんとすることを理解いただけると思うのだけど、女性の社会進出を謳いながらもまだまだ多くの女性の本音は「社会で活躍して自己実現したいから働いてみたい。でも、責任ある立場で矢面に立つようなのは嫌。辞められるならいつでもやめられる程度のポジションでそこそこ働ければいい」だと思うんですよ。仕事を辞める心理的なハードルは、女性のほうが明らかに低いでしょう。
おそらく心のどこかで「男性を矢面に立たせておけばどうにかしてくれるはず」と思っているんじゃないかな?そうすれば、うまくいった時はまるで自分も承認されたように思えるし、うまくいかなくても自分のせいじゃないと思えるから自己正当化はできる。どっちにころんでも自分の責任は問われないという感じでしょうか。自覚の有無は別として、こういう現象は時代がどんなに移り変わっても実によくみかける。ここでいう「どうにかしてくれる人」が男性じゃなくて、親のケースも多いですね。言えばどうにかしてくれる、という甘い考えで生きている20歳越えた大きな子供はゴロゴロいる。

女性は男性と同等の場で同等の戦力を備えないと自立したことにはならないというわけではないけれど、そもそも大前提として自分の食い扶持を自分で稼ぎ続ける心づもりがあるかというとちょっとね、という人はまだまだ多いわけです。だから食いっぱぐれない程度のお金を稼げる男性であることが最優先事項になる。

じゃあ男性が求める女性、そして女性の見た目の価値ってどうなのか?
つづきは明日。