ロレッタブログ

二丁目読書会「結婚不要社会」 - 2019.12.28

先日、2丁目で開催された読書会に参加してきました。

課題図書は『結婚不要社会 山田昌弘 朝日新書』。今日はこれについて、思いついたことをざっと書いてみますね。まったくまとまりがないので、とりあえず自分用の覚書として。

ブライダルエステにお通いいただいた方も、後日いろんなご相談でお見えになります。エステでドレス映えする肌はつくれても、ライフプランは「これが唯一正解!」みたいなものは無いのだから、迷うし試行錯誤もしますよね。

新書だし、参考図書には麻奈先生の『パリマダ』や、『ドットコムラヴァース』など当ブログで取り上げた既読本もあったのでサクサク読めました。世の中で何となくみんなが思っていたことを平易に言語化してくれた感じ。

参考記事はこちら。↓↓

→●婚活女性の6割が”最低700万”という理由

→●恋愛はバーチャルでパートナー不要「おひとりさま」で幸せな日本人の不思議

今回の読書会は、メンバーが秀逸でした!

  • 同性婚訴訟の原告団弁護士(「とりあえずそういうもんだ」と思って40歳までに結婚した妻は美人が決め手だった&子持ち40代男性)
  • 精神科医(副業の民泊も好調で高収入の30代女性・独身)
  • 昔から子供や家族に憧れはあるが、結婚制度というシステムに自分が含まれる可能性があると考えたことがなかった(50代ゲイ・独身)
  • セックスが終わったら相手にはすぐに帰って欲しい、基本的にひとりでのんびりすごしたい。(30代ゲイ・独身)
  • 他人のペースに合わせるのは苦手だが、性格は柔和でコミュニケーション能力も高い治療家。長男。(40代男性・独身)
  • マンションを棟で所有しており、寡黙。毎週婚活パーティに出かけているが相手が見つからない。(40代男性・独身)
  • 結婚でどちらに名字が変わっても職業上不便なので公正証書を作成した。(40代女性・事実婚)
  • 条件ではなく感情で選んだ夫が今でも大好き。一人娘は経済的自立を優先に育成。(50代女性・既婚)
  • 現状経済的に自立しており出産・育成欲も皆無。エンディングノートも用意済みなので10数年来の相方と自分が結婚制度を利用する必要性がよくわからない、という私。(40代女性・独身)

日本では結婚すればどちらかの姓を名乗るので、災害時に行方不明者から家族を探しやすいなどの便利な場面はありそう。しかし、いかんせん長寿になりすぎたせいで、結婚制度は加速度的に空洞化が進行しているように思える。

どうしてもというか、つい私は理系の頭で考えてしまうのだけど、感情や倫理の話を別にすれば、初潮年齢(現代は10歳~13歳らしい!早くなってますよね!?)に達すれば妊娠・出産可能なわけで、そこから女性ホルモンの分泌がピークを迎える25歳ごろまでに子供を数人産んでいると仮定すれば、40代は孫がいてもおかしくない。孫の成長を眺めつつ、畑仕事で使いまくった身体は60歳くらいで寿命を迎えて没する・・・ぐらいが本来の農耕民族の生命サイクルなんじゃないか。前にもブログに書いたが、厄年が60歳ぐらいで終わっているのは、それよりも長く生きる人間が珍しかったからだろう(つまりそれ以降はだいたいその辺の年齢で死んでた)。

しかもこのサイクルで出産が繰り返されていれば、60歳になる頃には曾孫、現在の日本人平均寿命83歳の頃には玄孫(曾孫の子)がいて、100歳なら 来孫 (玄孫の子) までいる!自分の遺伝子が子々孫々まで続いているのに、己もまだまだ生き続けるなんて、野生だったら不可能なんじゃないか。どう考えても、人生の前半に参加する結婚制度に対して、残りの寿命があまりにも長くなりすぎている。20代とか30代に「好き!」とか脳内物質があふれてラリッた状態で決めた「添い遂げ決断」が、残りの人生50年とか、長生きすると60年とか、保てるわけがないというか、もはや無理ゲーだ。そうでもしないとできないのが、結婚と妊娠、出産ともいえる。「己の遺伝子を残すゲームへの参戦意欲」って脳内物質の過剰放出でラリってないと参加できないぐらい未知なる道ですものね。

かといって、感染症や飢餓で日本人の平均寿命が一気に短縮するような事態は近々にはなさそうだ。もし子育てのために結婚制度があるとすれば、子育て終了後に継続する意味はないし、子を希望せず経済的に自立している人は参加する意味がよくわからない。制度と寿命のバランスが、本当にとれなくなっているのだと思う。「家の名字を残すため」とか言ったところで、果たして歴史上由緒正しい名家かというと、だいたいが独りよがりのプライドで言っている平民出身だ。

キリスト教圏と異なり、愛最優先みたいなパートナーシップが日本で有り得るかというと、 愛情がなくなったらいつ相手が家から出て行ってもおかしくないという緊張感は、日本の結婚にはなかなか無い。 そういう努力をするよりも「家族」や「お父さん」と「お母さん」になってしまったほうが正直楽、という傾向はあるんじゃないか。性的対象として見てもらえないことに不平不満はあるけれど、生涯続く緊張感のほうがめんどくさい、みたいな感じでしょうか。キリスト教的に言えば「本来の愛は見返りを求めないもの」らしいけれど、そんな言葉がわざわざあるということは見返りを求めるのが性なわけで、さらに日本古典文学をさかのぼれば、日本には愛はなくて恋しかなかったらしいし、恋は執着であり、さらに恋はイエには無かったのだから、宗教的共通言語も土台もないままラブを愛と翻訳して好むと好まざるに関わらず長寿時代ともなると、いろいろ綻びがでてくるのは無理もない。

だたし、フェミニズムで言われがちな「結婚制度は家父長制のシンボルで悪だ!」みたいな印象があるかというと、時代をさかのぼれば田畑を維持するために長男が嫁を貰うのは労働力のためであり、沢山子を産みイエ(田畑)の存続に努めるためという事情はあっただろうし、そうした環境で虐げられた女性もいたのだろうし、他人に生殺与奪を握られている生活は少なくとも不便ではあるだろうし大局的にみれば不幸なケースが多いとも思うが、果たして現状の結婚制度のは一体何が良くて何が悪いのかと問われると、正直なところなんだかよくわからない。

お客様の声を色々聞いていると「自分の親が愛し合っていたか否か」と問われれば「どちらかというとただの同居人」か、「親がお互いの悪口を自分に聞かせて育てながら、なぜか相手が死んだらさみしがるという意味不明さを目の当たりにして『だったら生きてるうちにもっと仲良くすればいいのに』と不思議に思った」という人も少なくないです。そういう親の有様に、愛情と信頼で結びつく人間関係に懐疑的になってしまっている人(←「一番好きな人と上手くいかなかったらもう二度と立ち直れないから、一番大切な人とは結婚しない」とか)か、あるいは逆にパートナーシップにとりつかれたみたいに期待過剰になっている人(←「私を幸せにしてくれる人がどこかにいるはず」とか、こじらせすぎて「誰も私の事をわかってくれない」とか)も、いるんじゃないかな。

個人的な意見としては、こんな感じです。

→「双方会社経営してます」「お互い別々の会社で総合職です」みたいなパワーカップルもいるし、夫婦で協力しあって「二人でこれまでがんばってきて本当によかったね」と言い合える老後を迎えている幸せなつがいも(たまに)いる。

しかし、おそらく今後の結婚制度は、格差社会で一人で食っていくる収入を稼げない 、もしくは食っていけるほど社会で自らが矢面に立って働きつづけることを恐れる女性の生存の悩みにおいて、生活保護に代わる福祉になるだろう。

そして、苛烈な社会的ヒエラルキーの中で、エリートであろうがなかろうが劣等感とコンプレックスを抱える男が「俺は何のために生きるのか。一体何のために働くのか」と実存の悩みに直面した時に、「俺は自分より弱い立場の女子供を守るために生きて働くのだ」という「もう悩まなくてよさげな解答」を一時的であれ、幻想であれ、思い込みであれ、妄想であれ、獲得できるシステムとして好都合だろう。しかもささやかなヒーロー願望まで満たせるのだから、ストーリーとしては上出来だ。自分がいつまでも強者でいられると思い込んでいるところが甚だ愚かだが。 そして自分が他者を生涯幸せにできるというその思い込みが、己の過信と傲慢と横柄さの証なのだが。(←ママには「わかなちゃん、本音だけでは人は生きていけないのよ。幻想が必要なのよ」と言われた。笑)

また、女性は結婚に世間様に対する(おそらく友人知人せいぜい20人位の中で比較したときの)ライフステージの上昇を望むが、男性は「人生すごろくゲーム」の一つをクリアしたに過ぎず、両者の結婚への思い入れには相当な差があるだろう

しかしこれも見方を変えれば、大企業も終身雇用や年功序列型賃金上昇は終了しつつあり(というか、私にいわせれば終身雇用なんてソ連崩壊でとっくに終わってる) 、結婚時には子供が育てられるぐらいの収入のある男性でもリストラ、病気、怪我、会社の倒産で収入減はあるし、そうなったら女性が夫婦二人分プラス育児費用まで稼ぐ必要があるわけで、 そんなご時世に家を買って30年や35年ものローンを組んで返済するなんて、さらにもっとリスキーだ。全額現金払いか、ローンならは10~15年で完済するぐらいが現実的じゃないのか。

結婚制度は子供をもうけて育てるためのシステムなのだろうが、産んだ子どもが老後の保険になるかというと全くそうではない。引きこもりや社会不適応で30歳になっても社会でまともに働けていなければ、50歳になっても親が養っている可能性が高い。昔のように沢山子を産み、老後はそれぞれの子どもから少額ずつ経済的サポートを得る時代とは違い、たった一人か二人の子どもが経済的&精神的に自立しなかった暁には、「いつになっても返済のめどが立たない子どもという総額不明の借金を生涯抱えて生きるのが親業」みたいになる。

「社会の荒波にもまれるのが怖くてずっと親のすねをかじってます」というとっくに成人を過ぎた20代とか30代って、実際にいますもんね。女性なら母親にべったりな友達親子で職業は自称家事手伝い、男性は社会離脱で引きこもりと化す。実家が胎内みたいなものか。こうなると、もはや結婚すればライフステージが上昇するのかどうかも、全くよくわからない。

もし現在結婚制度を利用中の人にとってメリットがあるとすれば、結婚したけれど「本音は別れたいけど自立はもっと怖い」という女性や、「社会的ダメージを避けたい」(←人の噂も75日だから周りはそんなに他人を気にかけていないのだが)という男性にとっては、夫婦で会社経営とかしていれば 社会的な大義名分が 双方にとって別離を当面先延ばしする言い訳になりうるので、結婚制度は好都合かもしれない。 「社員を食わせるために」とか「ビジネスで社会貢献!」「相手が能無しだから自分がフォローしないと」みたいなことを言えばいいからね。ほんとは別れても社員は食わせられるし、ビジネスで社会貢献もできるし、離婚した奥さんも社員として雇用継続しているケースも多々あるのだけど、「被害者の利益」みたいな印籠はどちらにとっても好都合だろう。

しかし、離婚後の男性には「バツイチのほうが結婚生活や女性に多大な期待をしてなさそうだからこっちも気が楽」と女性が寄ってきやすく、 女性には 「傷ついた彼女を俺が慰めてあげたい」みたいなヒーロー願望の男性が寄ってきやすいので「離婚直後が人生で一番モテた」という人は多い。つまり実は、離婚した方が性愛が充実する機会は増えやすいんです。

なので、子供や仕事といった離婚回避の大義名分を用意して結婚制度に参加しつづけるとすれば、自由と恐れを天秤にかけたときに「嫌いだったりどうでもいい相手と暮らす不快と不自由さよりも、自由と自己責任をセットに船出する人生のほうが恐ろしくて耐えられないという人向きの選択」かもしれません。

ちなみに、注意点があるとすれば、こういうのは相手のせいにせず、「これが自分が選んだ人生なのだ」と自覚的かつ主体的に決定するのがベター。なせならば、思考と理屈で納得したつもりでも、相手や外的要因のせいにしていると自己欺瞞で次第に感情のバランスが取れなくなり、女性は買い物依存症とか神経症とか子供に依存して背後霊化したり精神的におかしくなっていく人がとっても多いから。 映画『ブル―バレンタイン』も『レボリューショナリー・ロード』みたな感じ。

そして男性は不倫とか(テストステロン低下とともに純愛志向が高まる)も多いですが、さらに対人コミュニケーションに絶望した人は物や動物に向かうので、 ギャンブル依存やアル中、オーディオのようなモノに逃避しやすくなる印象です。女性ならペットやガーデニングに「趣味の範疇を越えてのめり込む」とか。「人間は尽くしても応えてくれないけれど、植物や動物はちゃんと応えて愛情を返してくれるから・・・」みたいな感じ。でも飼ってるのが猫や犬ではなくコブラやライオンなら、仲良くしていたつもりがうっかり食い殺されることもあるだろうから、「愛情を返してくれている」と感じるのは人間側の思い込みも多少あると思うのだけどね。(←人は幻想がなくては生きていけない。笑)

更に言えば、私は「実子を産みたい欲」も「子供育成欲」もないのだけど、独身だったり子どもなしで生きていると、40代~50代ぐらいで自分の為だけに現代社会で消費&享楽メインで生きるにはそろそろネタ切れしてくる、というのもあるように思う。私は二人姪っ子もいるし、子どもに関わるという選択肢に「実子でなくてはならない執着心」がどうも無いのですが、今後もし子どもに関わりたくなったら、子ども食堂や児童養護施設や交通遺児への寄付など困っている子どもたちを広くサポートする方法を選択すると思いますね。むしろ血縁の実子しか愛せない世の中のほうが殺伐として危険だからこそ、社会は必ず巫女や聖職者のように子を産まない女を一定数確保してきたのではないか。

そして、既存の社会的価値観や世間様圧力による「形だけ満たした結婚」に対し、精神的に解放されている人間は、多様で流動的なパートナシップと仲間たちでチームを組み、サバイブしていくようになるのかもしれない。それが主流になるかどうかは別として、現実世界ではある一定数を占めるようになるのではないかと思います。まさに「社会という荒野を仲間と生きろ(by宮台真司先生)」ですね。

結論「多くの人間は本音だけでは生きていけない。生きるためには妄想という大義名分が必要だ」。

己の人生の充実と幸福は自分で満たすものであって、誰かに幸せにしてもらおうとか、結婚したら幸せになるとか、子供がいれば幸せになるとかは全て幻想なのだけど、経済も関係性も世知辛いと「会社も社会も自分には冷たいけれど、家族だけは自分を裏切らない」という妄想に縋りたくなるのが人間なのかもしれません。 しかし、そこでもやはり「妄想はいつも破られるためにある 。殺人事件なんて親族間で起こった事件が55%以上なんだから。 」とつっこんでしまう私なのでした。つまり結婚や家族化は、よきチームになれるかもしれないが、お互いがお互いを殺し合いかねないかもしれない関係性に、自ら参入していくということなのだ。そりゃどう考えても、大変だよね。(←リアリスト)