ロレッタブログ

運動習慣化のコツ<つづき1> - 2021.12.22

4つ目はアクティブな実践時間を1時間にすること。

運動習慣の生涯化は外国語や楽器演奏の習得、左利きの人が右利きを習得するのと同じと考えましょう。やったことの無いこと、慣れないことを、それなりにできるようになるまでのステップは誰にとっても困難の連続です。最初の一歩は何もかもちっともできないし、何がわからないかすらわからないというような状態から始まるでしょう。

それが「ちょっとだけわかってきた気がする」になり、「なんとなく出来るようになった気がしてきた。でもまだできないところもいっぱいある」というステージに進み、さらにそこから自分なりに出来るようになったことの中から「次の課題を先生から指摘された」り、あるいは「自分の修正すべき点に自発的に気づく」というステージに進み、そしてまたその「新たな自分の改善課題に取り組む」というステージに進む・・・・というような工程を来る日も来る日もひたすら繰り返して、初めて「想像もしていなかったところまで到達でき、それをやることがもはや当たり前」というステージにたどり着きます。

こうした新しい取り組みにおいて、着実にステージを上げていくために最低限必要な能動的なアクティブな実践時間は1日1時間以上でしょう。1日3時間あれば万々歳でしょうが、育児やフルタイム勤務で忙しい現代人に最初から3時間の設定はハードルが高すぎます。かといって、ほぼ日本語で進行する英会話番組をただ眺めていては、どう考えても一生英語を話せるようにはなりませんよね?高い学費を払った英会話スクールも、週2回たった1時間の授業を「発音も下手くそだし失敗したら恥ずかしいから」と一言も発言しないパッシブな受講スタイルで通し、他の日は日本語に囲まれた環境にどっぷりつかって、アクティブな自習をしないのなら、どんなスキルも上達するわけがないんです。

1時間の運動時間の捻出が今は難しいなら(先日の朝方生活への移行のブログ記事にも書いた通り)ひとかたまりで1時間を割こうとせず、朝と夜の各30分間に分割してもいい。朝・昼・夜の20分ずつでもいいでしょう。運動し慣れていない人は、前述の1つ目に記した「5㎞歩く」だけで40分以上かかってしまうかもしれませんよね?だから1日10回のスクワットと、当サロンの週3回の朝30分間のグループセッションから始めると、ハードルが低いし、時間もかからず効率的です。

他の週4日は家のお風呂掃除や天井やエアコンの掃除や床のワックスがけや庭の手入れをすれば、1時間は身体を動かしたことになりますよね?重量物の買い物も宅配便を使わず、自分で歩いて買いに行って自分で運べばウエイトトレーニングになります。家もきれいになるし、体力も尽くし、良いことしかないのでやらないほうが損です。最初は1日の中で15分ずつに分割してみたっていいんです。


もし、この程度のことが何年間も何十年もできないほど本当にずー-っと忙しいなら、その人のライフスタイルの設計自体に相当ひずみや無理があると思うので、再設計することを検討してみてください。そのままでは心も体もそのうち本当に病気になってしまいます。

でもね。「忙しくて、30分の運動時間さえ作れないのよー」とか言う人に限って、ネットでどうでもよいゴシップやインスタを眺めていたり、何の生産性もない井戸端会議に平気で1時間とか費やしたりしていませんか?次のGOTOトラベルやGOTOイートで「どこに行こうかな~」なんてリサーチに平気で3時間費やしていませんか?

運動の必要性を感じながらも、そのためのお金と時間を捻出せずに旅行や会食やゴシップには平気で時間を使えるのなら、それは向上を目指して自ら行動するよりも、目先の受け身でいられる享楽や娯楽を優先していると認識すべきです。それを自分で選択していることを認めましょう。そこまで目先の享楽を優先しないとやってられないストレスの源から遠ざかるなり、離れるなり、去るなり、ご自身で専門家のカウンセリングを受診するなり、何かしら解決に向けた方策をとったほうがいい。いずれ遅かれ早かれ健康を失ってしまいますから。

そのアクションすら取らないのは自分の問題だと気付かなければ良くなるものもよくならないし、事態は何ひとつ変わらないでしょう。もちろん、「誘ってくる人がいるから」と他人のせいにしたり、「毎晩深酒しないとやってられない」のにその事態を変えるためのアクションを何一つせず健康をないがしろにして過ごすのも個人の自由です。ですが、もちろんそのつけを払うのも自分です。そして、巻き添えになるのは家族や親族です。

そして、こういうことを言ってくれるのも家族か近しい親族ぐらいのもので、おそらく多くの人にとっては最も忌憚なく言ってくれるのは親だと思います。親が死んだ後に嫌われる覚悟でこういうことを指摘してくれる他人は、滅多にいません。

ですから、私はそういう人をあえて積極的に選んで、自分から繋がるようにしています。本音で思ったことを率直に言い合えない関係性は、待たずに自分から作っていくものだと思うから。

続きは明日。