ロレッタブログ

力発揮ができない体はアクセルを踏んでも走れない車と同じ - 2024.04.23

利便性をとことんまで追求した現代社会では、体に力を入れる機会なく生きることが可能になってきています。多くの人にとって、1日の中で最も使うパーツは目と指、ではないでしょうか。目は開くだけ、指はタッチとスワイプ、あとはクリックだけ、でしょうか。

しっかりと何かを握る、掴む、引っ張る、ということをしてこなかった体は、いざダンベルを持とうとしても、力がうまく入らないので、手首を反ることで筋力不足を代償して手首が痛くなります。いざ運動しようと思い立ち、脚を閉じて立とうとしても、低筋力だとバランス力が失われるのでふらつきます。また、長時間座位生活を続けると、腱や筋肉などの軟部組織が癒着や拘縮を起こし、それらの伸長バランスが変化するため、O脚やX脚などの変形が生じます。その結果、いくら足を閉じようとしても、両脚を閉じることができません。

それでも何か運動しようと大股歩きにトライすれば、膝から打ち付けるように着地するので膝が痛くなります。あるいは股関節の柔軟性が低下しているために、腰をひねることで疑似的に大股を作り出そうとして腰痛になります。「では早歩きを」と試したら、次は足がもつれて転びそうになります。「せめて階段昇降を」と試したら、途中で脚が上がらなくなり、たったの3階すら手すりなしでは上がり切ることができません。一定スピードを保ち、さくさく7階まで上がるなんて、はるかかなたの夢のように思えるでしょう。

曲がり始めた背筋は、伸ばそうとすればするほど、お尻を後方に、肩と首と顎を前方に突き出したゴリラのような姿勢に逆進化していて、ちっとも背筋が伸びません。

これは、車なら、いくらアクセルペダルを踏んでも、速度が出ないのと同じです。買ったままガレージに入れっぱなしだった車や、一般道を法定速度をはるかに下回るスピードでごくたまにしか走らせなかった車は、丁寧に定期的なメンテナンスを施しながら無理無茶な運転もせず大事に乗ってきた車のような「現役感あふれる走り」ができなくなっているのです。

ですから、当ブログで最初に申し上げたように、エンジンや車全体をよくあたためて、動かす準備を始めることが欠かせないのです。まずは車の通りの少ない道を、ゆったり走りながら、運転技術をチェックしていきましょう。ゆめゆめ、たった数回や数十回ゆったり走ってコーチに見てもらったからといって「人や車が多いメインの道でそろそろ飛ばしてみて、そのまま高速に乗ってみよう!」なんて思わないことです。まず事故ります!

ただし、ここで間違えていただきたくないのは、アクセルを踏んでまともなスピードで走ってこなかった車は、たとえその車が10代20代の若い体に相当するものだとしても、筋肉の衰えは確実に現れている、ということです。

何度も申し上げている通り、私たちが生きる現代社会は「力発揮を必要としない生活が当たり前」なのです。ですから、年齢よりも日常的に運動不足な人であれば、何歳であっても体は危険なほど衰弱している、ということです。

運動せずに極端なカロリー制限や食事制限だけをして体形維持をしたつもりの20代の女性は、スクワット10回すどころか、「ただ深くしゃがむ」が1回もできません。腕立て伏せも1回もできません。逆に、長年定期的な運動を続けてきた人は、80代後半でも自重スクワットを正しいフォームで50回は楽勝にこなせます。腕立て伏せもできれば、ものを掴む力もちゃんと維持しています。

それでもご本人が、運動不足にまつわる諸問題を先送りにするのなら、それもその人の選択です。自分の人生を自分以上に頑張ってくれる人はいませんし、どなたにも生きたいように生きる権利はあるのですから、本人がそれでいいならいいのです。でも、脳や全身のパーツ部品が壊れきってからのケアは、費用も時間もそれなりに要します。

ですから、アクセルもブレーキも効かない廃車並みに各所が傷み壊れてしまっても、その結果も自分で引き受ける、という覚悟も忘れずに。だって、自分の人生は、他の誰も責任をとることはできないのですから。

運転技術の修正は大変。だけどやる価値はある