ロレッタブログ

運転技術の修正は大変。だけどやる価値はある - 2024.04.20

世の中には多様なトレーニングが存在しますが、このブログで何度かお伝えしているとおり、ざっくりわけると(1)エンジンの出力増強に相当するのが高重量ウエイトを用いた筋力トレーニング、(2)サスペンションを良くするのがストレッチ、です。

いつもどこかに車をぶつけてしまったり、擦ってしまったり、一部の部品だけ極端に摩耗したり…という場合には、これだけでは根本的な解決にはなりません。いので、なるべく急カーブや急発進で車自体に無理や無茶な負担をかけないようにするために、運転手自身に運転技術の再学習を行うのがピラティスです。つまり、ドライバー自身が車を運転するときのそもそもの姿勢がおかしかったり、ブレーキやアクセルの踏み方やハンドルの切り方が自己流に偏ってしまっているのを、根気よく正しく行われるように修正していくのです。

こんな風に、知らぬ間に長い年月をかけてドライビングテクニランックが自己流になってしまっているのに、スポーツやダンスやランにいきなり飛び込めば、運動を頑張りたい気持ちとは裏腹に、その動きはとんでもないことになっていて、首や膝や腰や手首を傷めて、日常生活でもサポーターやテーピングが欠かせなくなる・・・なんて事を招きかねません。健康を増進したくて始めた運動習慣で結果的に怪我や痛みを増やしてしまうのは本末転倒です。

ただし、ここで忘れていただきたくないのは、自分のレベルを上げる方が、レベルを下げるよりも数倍難しいという事です。私達の体を構成する骨の密度や筋肉量、瞬発力、心肺持久力、コーディネーション能力、腱や靭帯や筋膜などの軟部組織の柔軟性の低下などの現象は、ある日急激に起こるのではありません。もしこれらがある日突然起こるとすれば、難病が外傷です。

好むと好まざるにかかわらず、加齢とともに全ての人の全身の機能は20歳以降から日々静かに着々と進行します。ただし、私たちが生きている現代社会は、自動化と機械化により非常に便利に進化しているために、全身に力を込めたり、深くしゃがんだり、何かを握り続けたり、引いたり押したり…というふうに体を使う機会も極端に減ってしまっているために、自分の体力が衰えていることを感じる機会すらないまま30,40,50歳・・・と年を重ねてしまいやすいのです。

会議はオンライン、買い物もオンライン、タクシーや電車で移動し、移動中も座位、余暇でも座位メインのエンタメやレジャーを好み、上下移動はエレベーターかエスカレーター、そして平日の仕事中は10時間近くを座位でPCに向き合いっぱなし、自宅ではルンバや全自動洗濯機や保温調理器を使い、自宅ではネットフリックスやTVかスマホを、横になるかカウチに仙骨座りで弛緩して眺めているかのどちらか・・・こんな生活のどこに力が必要なのでしょう。あまりにも力を入れない楽な生活に甘じてしまい、最近では自分の手で雑巾を絞るやりかたすら分からない人もいるそうです。

こんなライフスタイルでは自分の衰弱に気づくことはありませんが、さすがに50歳前後から普段慣れているはずの道で転び始めます。50代以降から骨折が散発し、60代から杖やヘルプマークの着用が始まります。立っているだけてしんどい、洋服を買いたくても試着の着脱しんどい、早歩きや階段で息が上がったるから手すりにつかまらないと登りきれない・・・。

自分の頭や下肢や上肢の重量すら体幹で支えて動かすことができないその様子は、地球の1Gの重力にまだ適応できていないだ首が座らない赤子や、四肢を振り回してなんとか移動しようとする乳幼児にとても似ています。

そんなふうにフラフラしながらでも自立生活は送りたい。でもバランスを崩してまた転んで骨折と怪我をする・・・

こんな風に、頻回の転倒やそれによる骨折、膝や股関節に耐えがたい痛みが起きて、ようやく自分の衰えを自覚します。

地球の1Gの重力下で、自分で自分の体重すら支えられない。それは全身が地球上での生命維持に対応できなくなってきている、つまり死が近いことを示す1つのサインです。

そこまで長い年月をかけて進行してきた衰弱が、短期間に回復するはずがありません。曲がった背骨が急に伸びるなら、それは外科手術です。気力の無い人が突然元気になるなら、躁病かステロイド投与でしょう。日常生活の中で、着実に安全に全身の機能を回復させるならば、睡眠、食事の管理はいわずもがな、運動も非常に地道なものになるのは、お分かりいただけるのではないでしょうか。

本来の哺乳類ヒトの寿命が50歳位だとすれば、40歳以降から心筋梗塞や脳梗塞などの心血管系疾患や、ガンなどの増殖性の細胞の病気を患う確率が高まるのは、魔訶不思議や異常現象ではないのです。なぜならば、本来の哺乳類ヒトの齢40代は、孫が誕生する年代だからです。

本来の生物の最大の優先事項は「自己の生存」で、次が「自己の繁殖」です。寿命50歳なら、40代は自己生存はもう十分に果たしており、自らの遺伝子が2代分も受け継がれたのだから、その年齢位で病気になったり死んでいっても別段おかしくはない・・・という理屈なのだと思います。

繰り返しますが、自分のレベルを上げる方が、レベルを下げるよりも数倍難しいということを、ぜひ忘れないでください。そして、衰退していく大前提で、衰退しきって何もかもダメになってからようやく改善に取り組むよりも、少し手前のうちから衰弱を緩やかにする取り組みを習慣化したほうが、心身の負担は楽でリターンも得やすい、ということも間違いのない事実であることを忘れないでください。

体は全体で支え合う

生きてきた人の体は新車ではない